東行庵(山口県下関市吉田)

東行庵
東行庵、2011年6月7日撮影
高杉東行先生像
高杉東行先生像
東行庵の説明板
東行庵の前にある説明板
東行の墓地に至る道
東行の墓所に至る坂道、途中に樹齢300年という東行楓もある
東行の墓
東行墓
墓地の説明板
東行墓の説明板

東行庵の案内図、クリックで拡大
東行庵の案内図、クリックで拡大できます
2011年6月7日の夕刻、下関市吉田の東行庵を訪ねました。かなり田舎でした。
東行は長州の志士で吉田松陰の門下生だった高杉晋作、後の谷潜蔵または谷梅之助の号である。幕末の志士として目覚ましい活躍ぶりだったが、結核を患い、現在の下関市桜山神社近くに小さな家をたてて闘病生活を余儀なくされた。その家を東行庵とか捫虱所(もんしつしょ)と呼んでいた。親友の野村望東尼(のむら もとに)と愛人おうのの看病を受けていましたが、萩にいた正妻マサの見舞いを機に別の家に引越しました。しかし、1867年4月14日、明治維新を目前にして満27年8ヵ月の若さで亡くなった。上海の実情を見聞し、自らの発案によって1863年に発足した奇兵隊の陣屋が吉田清水山にあった。遺言により、その近くに土葬されました。明治14年になり、おうのさんが曹洞宗の下で出家して谷梅處(たにばいしょ)尼となり、東行の菩提を弔って生涯を過ごしました。その建物が現在の東行庵とされます。元々は山形有朋の草庵だったとされます。
辞世の句とされる 「おもしろく なきこの世を おもしろく/すみなすものは 心なりけり」 は自筆が残っていないので「おもしろく なきこの世”を” おもしろく」と「おもしろく なきこの世”に” おもしろく」の2つが流布している。この上5・7・5は晋作が、下7・7は望東尼が作った共同作品とも云われ、さらに亡くなる前年の作という説もあるようです。明治維新の夜明け前の様々な心意気の一面を短く巧く表現した名句として親しまれている。

( 2015.09.06 改善 )( 2011.06.10 公開 )
東行庵の高杉晋作像が新たに建立され、2014年3月30日に記念式典が挙行されました。当ページ掲載の銅像と趣きが違うようです。次のリンク先でご覧ください。
東行庵お知らせ|高杉晋作墓所 東行庵
( 2014.03.31 追記 )