焼き物雑感 その9 〜印象〜
工房での賢周氏 
 この工房から幾多の名品が生まれることを楽しみにしています。ご結婚なさったばかりであるのに窯焚きの真っ最中。
  先日,久しぶりに恵那の各務周海氏の元を訪れ,苗木城跡を案内してもらいました。苗木城は花崗岩の巨岩が尖塔状をなす山に築かれた山城です。私の住む町にある城跡は,扇状地の中心部に位置する平城の城跡ですから,苗木城はそれまでにもっていた「城」に対する私の印象をがらっと変えるだけセンセーショナルなものでした。
 また,石積みに今も残るくさびの跡に,そして,道ばたのぬかるみに頭をのぞかせる鮹唐草の器の陶片に,戦国の世に生きた人々の生き生きとした息吹を感じました。そして,花崗岩の巨岩を眺めている内に,ちがう思いもこみ上げてきました。十代の頃のクライミングにのめり込んでいたときの少し照れくさいほどの情熱です。

 左は,長野県の小川山と言うスポットで花崗岩の壁をよじっている所,そして右は足尾銅山の上流,松木沢の氷壁を登っている所です。

 そういえば,この氷壁を登りに行ったときのこと。グラビア等で,樹木が枯れ果て巨大なコンベアと鉱山から立ち上る黒い煙で陰惨な夏の足尾銅山を知っていた私は,青氷が明るさとさわやかさえ感じさせる冬の足尾銅山に驚きました。グラビアだけでなく田中正造の伝記などからも抱いていた,暗く荒涼としている足尾銅山の印象ががらっと変わった瞬間でした。

 さて,掲載した賢周氏の作品には,あえて作品名とサイズを記載しませんでした。どのぐらいのサイズとお考えになるでしょうか。
 この作品が届いたときにかなり驚きました。たった数ヶ月前までの作品とはまたちがった印象を受けたからです。無論,私は賢周氏の大ファンですから,足尾銅山の話のように悪い印象がすっかり変わったと言うわけではありません。よい印象がさらによくなった訳ですが,作品から受ける印象の振り幅は足尾銅山で感じた以上のものでした
 実は,この作品はぐい呑みで径6.5p,高5,5pほどの作品です。しかしどうでしょうか。画像だけ見れば茶碗と言ってもおかしくないほどの存在感をもつ作品だと思います。油揚げ肌の深い味わいは語る必要はないと思いますが,タンパン,焦げのバランスが絶妙です。また,口づくり,高台の削りは豪快でありながら静寂感さえ感じさせてくれます。 
 以前,ある人間国宝の茶碗が写真ではぐい呑み程度にしか感じられなかったと言う話を書きましたが,この作品は,全く逆です。片手の手のひらにすっぽり入ってしまうほどの作品なのですが,倍以上の印象を受けるのです。
 
 物は物以上でも以下でもありませんが,そこから受ける印象は無限の広がりをもっていると思います。こう言ったことから考えると,焼き物の美の要素の一つに,人の印象を無限に広げてくれるということがあげられるのではないでしょうか。私にとって賢周氏の作品はそんな作品の中の一つです。
 
 足尾銅山は,最近植林も行われずいぶん緑が復活したという話も聞きました。クライミングの世界からはすっかり遠ざかってしまいましたが,また何かの機会があったら訪れてみたいなあと思っています。

 今回苗木城を訪れたときには,天守閣付近の石垣の修復工事をしていたため,最上部まで登ることはできませんでした。周海氏の話によれば,最上部からは木曽川の流れを眼下に一望できるとのこと,工事が終わったころ再び訪れるのを楽しみに苗木城を後にしました。