焼き物雑感 その7 〜天目茶碗〜
  今は,焼き物の中でも美濃系のものに一番心惹かれていますが,焼き物好きになったルーツが,小学生時代に手にした縄文土器の陶片だったことから,美濃系のものにしか興味がないわけではなく,コレクションの中には美濃系のものでないものも結構あります。

  さて,初めて,いわゆる作家ものの茶碗を手に入れたのは,高校生の時だったでしょうか。最初の一碗は,左に掲載した清水燿山作の木ノ葉天目茶碗でした。今でも中国の古陶磁にはあまり詳しくありませんし,なぜこの茶碗を求めたのかは自分でもよくわかりません。まして,アルバイトをしながらフリークライミングに明け暮れていたあの頃,現代陶芸にはあまり興味がなかったあのころ,茶陶の作家としてはあまり有名でなかった清水燿山氏の茶碗をなぜ求めたのか本当に不思議です。

  ただ,本歌の代表作とも言える大阪市立東洋陶磁美術館蔵の木ノ葉天目茶碗に強く惹かれており,図録等をくり返し見ていたのは覚えています。

  そのころ興味を持っていたもう一つの天目茶碗は,京都国立博物館蔵の禾目天目茶碗です。今でも,曜変天目や大名物になっているような油滴天目よりもしっとりとした奥深さを感じます。

  掲載した木村盛康氏の禾目茶碗は,造形といい釉調といい,京都国立博物館のものに近い印象を受けます。単に造形や釉調が似ているというだけではなく,うまくは言えませんが「轆轤のリズム」が似ているような気がするのです。
   
  天目茶碗は,南宋時代の技術の極みであるといわれます。特に,建窯のものは精巧な造形がクローズアップされることが多いようですが,それは,単にシンメトリックなものというだけではなく,この『轆轤のリズム」が深く関係しているような気がします。
 
  下に掲載したものは,美濃系の天目茶碗の陶片です。正円の轆轤引き,高台削りがなされているにもかかわらず,轆轤をひいている陶工の息づかいまで聞こえてきそうな気がします。

  現代陶芸において,天目あるいは青磁等の唐物系の作品を作る作家は少なくないと思いますが,「轆轤のリズム」を感じさせる作家は,そう多くないような気がします。ひずんだものだから動きがある,正形だから動きがないというのではなく,例えシンメトリックなものであっても,躍動感を感じさせるような作品に惹かれます。

  一番はじめに手に入れた,清水燿山氏の茶碗も,精巧な造形がなされていますが,その中に,「轆轤のリズム」を感じたのだと思います。そういえば,大好きな石黒宗麿が木ノ葉天目の技法を初めて再現した業績を知ったのはずいぶん後になってからでしたが,ゆがんだ造形を好まなかった宗麿の轆轤にもリズムと躍動感を感じます。
 
  昨今,大胆にゆがめた茶碗を目にする機会が多いのですが・・・。やはり,焼き物の美は,単に形にだけあるのではないような気がするのです。
清水燿山木ノ葉天目茶碗                 径15 高5.2 高台径4.7     
木村盛康禾目天目茶碗  径12.9 高6.8 高台径4
美濃系天目茶碗の陶片           桃山時代