焼き物雑感 その8 〜粒子〜
 遠くに望む山の頂がうっすらと雪化粧をし始めたある小春日和の日曜日,椎間板ヘルニアの腰をいたわりながら,久しぶりに単車で出かけました。訪れた山里は稲刈りもすっかり終り,白菜の収穫の真っ最中でした。棚田の畦のオレンジ色の柿の実と,どこかで藁を焼いているにおいが思わず足を止めさせました。忙しく暮らしていた毎日を忘れさせてくれる,晩秋の山里の風景。ハードなデスクワークで日ましの大きくなっていた鳩尾のあたりの硬いしこりが一気にほぐれたような気がしました。

 帰り道,高速のパーキングで一服していると,腰の痛さもすっかり忘れちょっとだけやんちゃ心が頭をもたげました。「どれ,ちょっと飛ばしてみようか。」

 本線への引き込み線を1速9000回転まで引っ張り2速にシフトアップ。ラフにクラッチをつないだのでフロントタイヤがふわっと浮きました。そして本線へ合流,3速,4速……,5速に入れたときには,空気がピーナッツバターのように体にまとわりついてきました。その時です,150マイルを越える向かい風の中に硬質の粒子を感じました。空気中の水蒸気です。人がこの世にに誕生する以前から,成層圏の中で連綿と循環をくり返している粒子に,地球の大いなる生命感を感じました。

 さて,同じ頃各務賢周氏の黄瀬戸茶碗が届きました。前回の窯よりも,明らかに質の高まりを感じる油揚げ手の肌の中に,薬の成分が再結晶した粒子を見て取ることができました。地球が育んだ木や藁の灰や長石が賢周氏の器の中で再び結晶し粒子をなしています。まるで大気の中の水分のように……。茶碗を宇宙にたとえる考え方がありますが,賢周氏の今回の茶碗を見るにつけ,この考え方を実感せずに入られません。
 本人は,「釉調に立体感がなく,満足してないんですよ」とのことでしたが,いささか自己評価が厳しすぎるのではと思います。  
 
 下は,父周海氏の黄瀬戸茶碗のアップです。賢周氏の茶碗のアップと比較すると再結晶した粒子の一つ一つに柔らかさを感じます。また,一つ一つの粒子がブラウン運動をしているかのように躍動感を感じます。再結晶した粒子があるところは粗に,あるところは密に散らばり,奥行きのある釉調に仕上がっています。以前,周海氏の轆轤が自在の境地に達したと感じたというようなことをかきましたが,それは,轆轤に限ったことではないことを改めて感じました。そして,今回の賢周氏の黄瀬戸茶碗を見て,それを受け継ぎさらに高めていくのは賢周氏であることを確信しました。
 
 よく「科学的に合成した釉薬では本当の油揚げ手が焼けない」といわれます。天然の原料を用いることで,自然界の大いなる循環が油揚げ手として器の中に表現されるのかも知れません。
 
 料金所が近づいてきました。右手のアクセルをゆるめると,一気にブレーキング。料金所へのランプウエイにはいりました。地平線に沈もうとしている夕日は,山里の棚田の畦にあったあの柿の実と同じ色でした。 
kawasaki zx9R
 Z1,GPZ900Rと続くカワサキマジックナインの正常進化形。180s程度のボディーに,ラムエア作動時には150馬力以上を絞り出すエンジンが乗り,あっという間に180マイルに達する,私の愛機。
各務賢周
  黄瀬戸茶碗の肌
 
 この秋の新作の茶碗のアップ。窯を焚くたびに作品の質が高まるのは,作陶への情熱と才能によるものだろう。
各務周海
  黄瀬戸茶碗の肌

 昨年秋の作品のアップ。近現代陶のみならず桃山陶をも凌ぐ黄瀬戸であることは,多くの周海ファンの認めるところでる。