焼き物雑感 その11        
 5月にイワナ釣りに出かけたときに沢筋の日だまりに見つけた花です。
  仕事が忙しく、しばらくHPを更新することができませんでした・・・。

  とはいえ、その合間をぬって、6月の末に周海氏の工房におじゃましてきました。今回は、走行距離が17万キロを超えた愛車での旅でしたので(車やさんにもらったタイヤ付き)、途中で故障しないかということがかなり気になっていましたが、途中の高速道路で大雨に遭い道中ますます不安になりました。
  しかし恵那に着く頃には雨も小降りになり、程なく周海氏の工房へ。車を降りると、懐かしい薪を焚いたにおいが、長旅の不安をほぐしてくれました。

  左下は、今回の窯における賢周氏の作品です。まずその肌合いに驚きました。じんわりとした油揚げ手の肌合いが見事です。また、柔らかく力強い造形は、作家としての「各務賢周」のアイデンティティーの確実な確立を感じさせました。

  2ヶ月ほど前、ある人気作家の黄瀬戸茶碗を手に取る機会がありました。シャープなろくろ引きは、現代作家の中でも群を抜いていると思いましたし、現代陶芸が決して桃山の陶芸に劣っている物ではないと感じさせられました。しかし、いかんせん釉調が平面的で焼きの表情もあまり感じられませんでした。
  以前、ゲシュタルト化を引き合いに出して、焼き物の美は「総体」としての作品そのものにあるということを書きましたが、この人気作家の黄瀬戸茶碗は、焼きと造形の総和が、それ以上の美しさを表しているとは感じられませんでした。

  しかし、賢周氏の黄瀬戸茶碗は、造形と釉薬とそして焼きの総和がそれ以上の味わいを表現していると感じます。聞けば、薬は周海氏の物とは別の独自の物であるとのこと。まさに、「各務賢周の黄瀬戸」であると感じました。
  今回、どちらかといえば周海氏よりも賢周氏と話をする時間が多かったのですが、その間中ずっと「賢周氏は、30歳を前にしてなぜこれだけの作品を創造することができるのだろう」と深く考えさせられ、また私自身が学ばなくてはならない点だなあと感じました。

  増田正造氏は『能の表現』(1971中公新書)の中で「体でもって世阿弥の美を実現した前記の人々の次の世代の多くは、先人のイメージだけを相続し、そこへいたる稽古の道程の方は踏襲しなかった。」と述べていますが、賢周氏の創造の原動力は、小さい頃から古陶や周海氏の作品を目の当たりにし、土に触れ、薪を割り、窯を焚いてきた生活そのものなのではないのかなあとそんなことを考えながら帰路につきました。

  来るときには大雨だった高速道路は、うってかわって快晴でした。途中休憩したパーキングで見た日本海の海風に、季節の移り変わりを予感しました。
   
  
各務賢周黄瀬戸茶碗 
径12,4 高8,1  
 現代作家の中でこれだけの黄瀬戸を焼くことができる作家はほとんどいないのではないだろうか。