南無阿弥陀佛って
どういう意味ですか
それは自分に執着している
そのまっただなかに
自分をはなれる
大きな世界のあることに
めざめることなのです
−平成16年12月−
わしがほとけになるじゃなし
ほとけのほうからわしになる
浅原才市
ようこそ ようこそ
足利源左
−平成16年11月−
あなたの願いにそいつつ
私の願いを届けたい
わたしの名はアミダ
−平成16年10月−
ああ
世界 虚空はみなほとけ
わしもそのなか なもあみだぶつ
浅原才市(1850−1932)
−平成16年9月−
ある人が
この世の命が終わったとき
あのお方は
お浄土に往生されたと思えたとき
その人と本当に出会えたと
いえるのだろう
−平成16年8月−
わたしより
あなたのほうが大切
あなたこそ
わたしの いのち
あなたのなかで
わたしは生きる
なもあみだぶつ
−平成16年7月−
自分が自分を見つめている
その眼を
ほとけの世界にむけると
この私をそして
すべての生命を
いかそうとしている
大きな世界のあることに
気づかされる
−平成16年6月−

生きている
ここにこうして生きている
そのことの意味がわかりたい
それが仏の教えをもとめる
原動力
−平成16年5月−

この一生を むだにするなよ
この一生 この上ないチャンスなんだ
むだにするなよ もったいない
生きるんだよ 生きるんだよ
今を 今を生きるんだよ
南無阿弥陀佛が
生かしてくれるんだよ
−平成16年4月−
こころはなかなか開かない
かたくな 頑固 我執
そのこころが開かれるときがくる
仏さまの世界と離れていない
一体であることの発見
南無阿弥陀佛であることの発見
−平成16年3月−

今 今 今
どんどん流れていく今
そのまっただなかに
不死の法がある
今を生きる
不死を生きる
南無阿弥陀仏を生きる
−平成16年2月−

人生の当事者は誰でもない
この私 この自分
人生の当事者は誰でもない
この私 この自分
死は人生の当事者が
引受けるべきこと
−平成16年1月−