パソコンパーツの歴史
デスクトップパソコン向けCPUの歴史3
〜PentiumIIIとAthlonの1GHz対決〜
(2002年6月7日公開)

第3段階のCeleron
 
 1999年のCeleronはこれまでのインテルにない程に凄かった。実はインテルは1998年に333MHzを発表した時点で、1999年早々に366MHz版を追加するという説明を行っていた。これだけでもなかなかのペースなのだが、実際に1999年になると、予定の366MHzに加えて400MHz版まで同時発表してしまったのだ。スケジュールを大幅に前倒ししたのである。
 それだけではない。インテルは新Celeronに攻撃的な価格をつけた。インテルは1998年夏の時点で、366MHzを190ドル前後で提供すると説明していた。ところが実際に400MHz/366MHz版が発表されてみると、その価格は400MHz版が158ドル、366MHz版が123ドルだったのである。つまり400MHz版ですら当初の366MHz版の予定価格より安い価格を付けたのである。
 この366/400MHz版からは新しい形状の物も出荷された。従来のCeleronはPentiumII/IIIと同じSlot1だった。ところがいくらパッケージを簡略化し製造コストを下げたとしても、SocketであるK6-2にはかなわない。そこで、CeleronもSocket形状に戻ることにした。といってもSlot1と電気信号の規格の異なるSocket7に戻ることはできない。そこでSlot1と同じ電気信号のSocket版である「Socket370」を作り出した。これによりCPUの製造コストは大きく下がり、K6-2に対抗できるようになったのだ。今後はすべてのCeleronがSocket370に移行することになり、Slot1版のCeleronは近い内に製造がうち切られることになった。
 さらにCeleron用のチップセットとしてi810の出荷も開始した。これはインテルのチップセットとしては初めてグラフィックス機能を内蔵したものだった。従来はグラフィックス機能は別メーカーの製品であり、カード状のグラフィックスカードを差すのが一般的だった。しかし、低価格パソコンにはこれではコスト的に高く付く。そこでチップセットに内蔵することでグラフィックスカードは必要なくなり、パソコン全体として安くなるようになる。低価格パソコンには性能よりコストが問題になることが多く、このグラフィックス機能を内蔵するチップセットは歓迎された。Celeron+i810は非常に低価格であり、ますますCeleronの人気は上がった。  インテルは今後も止まらなかった。同年2月には433MHz、4月には466MHzを発売と、2ヶ月ごとにCeleronのクロックを引き上げ、従来の製品の価格を下にスライドさせた。1998年までインテルのローエンドCPUの価格は90ドル程度だったが、1999年前半には50ドル台に下がった。

追いつめられる互換CPUメーカー

   このCeleronの低価格化と高クロック化は、AMDをメインターゲットにした戦略であった。これまでのAMDのCPUは、同クロックのインテルのCPUと比べると、1段低い価格を付けていた。例えば、AMDの300MHz版のCPUは、インテルの300MHz版のCPUより25%ほど安い価格であったし、逆にインテルの300MHz版のCPUと同じ価格で、AMDの333MHz版のCPUが購入できたのである。
 ところが、インテルがCeleronを投入し、低価格化&高クロック化という戦略を取ると、AMDは「同クロックなら1段安く、同じ価格なら1段高クロック」というパターンを維持できなくなってしまった。AMDも価格を下げて対抗したが、インテルも採算ラインぎりぎりにまで価格を下げていたため、AMDはインテルに対してはっきりした価格差をつけることが出来なくなった。つまり、Celeronの低価格化&高クロック化戦略は、利益を得るためでなく、AMDからシェアを取り返すためだったのである。
 さらにAMDにとって悪いことに、インテルの高クロック作戦により、市場に受け入れられるCPUのクロックの下限が上がってしまったのだ。1999年頭の市場のローエンドは300MHzだったのが、夏には400MHzになってしまった。つまり、400MHz以下の製品は売れなくなってしまったのだ。夏の時点でのK6-2は475MHzでCeleronは466MHz。しかしインテルには余裕があり全てのCeleronを400MHz以上で出荷できるのに対し、K6-2は366MHzや375MHzでしか動作しない製品が出来てしまう。しかし、400MHzより低いそれらは売れ残ってしまう。AMDは売れる個数も減り、販売価格も下がるという二重の苦しみを受けることとなった。なぜAMDには低クロックな製品が出来てしまうのだろうか。
 インテルが400MHzを出荷する前にAMDは400MHzを発表、そしてCeleronが400MHzに追いついた所で433MHzを出荷。Celeronが466MHzを出す前にK6-2の475MHzは出荷されている。一見すると、AMDがリードしているようだ。しかし、Celeronのクロックが上がらないのは、PentiumII/IIIに追いつかないためだ。ハイエンドのPentiumII/IIIに追いつくとせっかくの利幅の大きい高価格なCPUが売れなくなる。そのためにインテルはわざと動作クロックを押さえているのだ。ところがAMDはクロックを押さえる理由はない。逆にPentiumIIに追いつけるなら追いつきたいはずだ。とこがAMDはK6-2のクロックを思うように上げられないのだ。なんとかCeleronに負けないようにクロックを出荷しているに過ぎない。いや、CeleronがK6-2のクロックを見て離されないように、PentiumIIに追いつかないように出荷しているのだ。
 こうした状態であるため、インテルには余裕があり、Celeronはどの製品も十分に高いクロックで動作する。最低でも400MHzでは動作するのだ。ところがAMDはギリギリの状態でクロックを上げてるため、低クロック品が出てしまうのだ。
 AMDはついに赤字に追い込まれた。インテルはCeleronの価格をぎりぎりまで下げても、PentiumIIが高価格で売れるためなんとかなる。ところがAMDはK6-2が主力製品であるため、K6-2の価格が下がると会社全体の利益も減ってしまったのだ。

互換CPUメーカーの脱落

   AMDはまだマシな方だった。インテルとAMDが価格を下げたため、今までCyrixとIDT、Riseの市場だった700ドルから500ドルのパソコン用のCPU市場がインテルとAMDに浸食され始めた。Cyrix・IDT・Riseのいる場所がなくなり始めたのだ。
 「高性能」と言われたmP6は確かに高性能だった。しかし、実際に出荷され見ると動作クロックはたったの200MHz。いく同クロックのPentiumIIより高速だと言っても200MHzでは相手にならない。結局mP6の次の世代mP6IIが出荷されることもなく、x86市場から撤退してしまった。
 Cyrixはやはり思うようにクロックが上がらない。1999年夏の時点でやっと300MHz程度(P-Ratngで350GP)。ローエンドと言っても辛いクロックだ。
 IDTはようやくWinChip C6の次世代であるWinChip2を1998年4月に出荷する。ところがクロックはC6と変わらない200/225/240MHz。しかもC6からの変更点と言えば、整数演算ユニットと浮動小数点演算ユニットが独立して動作可能になったことと、3DNow!機能が搭載されたことだった。性能向上はせいぜい10%程度。その後Super7(FSB100MHz)に対応した233MHzと250MHzを出荷するも、233MHz版は外部クロックの2.33倍という変わった倍率であった上、クロックも低いため、市場ではほとんど受け入れられなかった。
 「低価格パソコン市場がここまで利益が薄い市場になるとは予想しなかった」。これはある互換メーカーの関係者の言葉だ。インテルとAMDの低価格・高クロック化は、低価格パソコン市場でのCPUの利幅を薄くし、互換メーカーを追い込み始めた。利幅は20ドルが10ドルになり、さらに数ドルになり、ついにギブアップするメーカーが出てきた。
 National Semiconductorは1999年5月にCyrix部門の売却を決定した。さらにIDTもWinChip開発部門のCentaur Technologyの売却した。両者とも細々とした売り上げでは開発チームを維持できなかったのだ。結局、この2社を買い上げたのはVIA Technologyであった。VIAはこの2社を買収することでCPU市場に参入することとなった。
 National SemiconductorとIDTがすんなりとCPU部門を売却したのには理由がある。2社ともCPU部門以外に利益を上げている本業があるのだ。そこに事業拡大のために外部からCPU市場に参入したのだ。そのため事業拡大につながらないばかりか、損益ばかりを出している。そんな部門は切り捨てて健全な本業の戻ろうと言うことだ。
 ところがAMDはそうはいかない。CPU市場から撤退しても他に利益を上げる事業はないのだ。K6-IIIの失敗によりますます危険な状態になったAMDはK6-2の高クロック版の製造を急ぐ。しかし、今まで高クロック化でCeleronに対しリードしていたK6-2だったが、ついに500MHz版ではCeleronに先を越されてしまった。ますます辛い闘いになるAMDであった。

AMDの最終兵器〜Athlon〜
 
 しかし、AMDは秘密兵器を開発していた。PentiumIIIが550MHzに達する頃、AMDはついに「Athlon」の出荷を開始した。このAthlonは開発コード名「K7」と呼ばれていたCPUだ。
 実はこのAthlonは初めてAMDが独自に開発したプラットフォームのCPUだ。今まではインテルの作り出したCPUと載せ替えの出来る互換CPUを作っていた。しかしインテルはSlot1/Socket370のライセンスを与えなかった。と言うことはAMDはPentiumIIIやCeleronと載せ替えが出来るCPUが開発できないのだ。だからといってSocket7の延命の不可能だ。そこで、AMDは全く新しい規格を作り出した。形状はPentiumIIIと同じようなSlotであり、名称は「SlotA」。AthlonはSlotAに対応したCPUと言うわけだ。
 このAthlonは「整数演算性能」「浮動小数点演算性能」共に同クロックのPentiumIIIより大幅に高いのだ。今まで整数演算性能でインテルのCPUと同等の性能を実現したことはあったが、浮動小数点演算性能まで同等以上というのはこれが初めてだ。
 Athlonは1クロックで処理できる命令数がPentiumIIIより多い。そのためPentiumIIIより性能が高いのだ。L1キャッシュは128KBとPentiumIIIの4倍。L2キャッシュは512KBでダイには内蔵されず、ダイとL2キャッシュが同じ基盤に搭載されパッケージ化されている。L2キャッシュはコアの1/2で動作する。つまりL2キャッシュの構成はPentiumIIIと全く同じと言うことになる。3DNow!はSSEと比べて追加された命令数が少なかったためAthlonではSSEと同等の命令数に拡張した「Enhanced 3DNow!」を実装した。またFSBは実際はPentiumIIIと同じ100MHzだが、チップセットとは2倍速の200MHz相当でアクセスできるようになっているため、メモリからの大量のデーターも余裕を持ってCPUに渡せるようになっている。
 このAhlonは当初600MHz版出荷するとしていた。業界はAthlonはインテルのハイエンドCPUの「初めて」挑戦するCPUという衝撃を受ける。AMDはこの衝撃をさらに大きくするために出荷日の8月10日に650MHz版も同時に出荷してしまったのだ。インテルはすぐにPentiumIIIの600MHzを追加するが、それでもAthlonは50MHzも高く、さらにクロックあたりの性能も高い。「Athlon=速い」という図式はすぐに確立した。
 AMDはAthlonの価格をPentiumIIIより若干安く設定していた(PentiumIIIの600MHzは669ドル、550MHzは487ドル。対するAthlonは600MHzが615ドル、550MHzが449ドル)。ところがAthlonは全く新しい規格であったため、マザーボードの価格がこなれておらず、PentiumIII向けより若干高かった。つまり「CPU+マザーボード」の価格では相殺される。それでも、「x86CPU最速」を名乗ることが出来たことはAMDにとっては大きかった。最速のCPUが欲しかったらAthlonという図式になり、Athlonは急激に売れた。全く新しい企画が市場に受け入れられるか心配されていたが、最高速ということですぐに受け入れられたのだ。

AMD Athlon(K7/K75)

Athlon

動作クロック : 550MHz〜1GHz
L1キャッシュ : 128KB/L2キャッシュ : 512KB
拡張命令 : MMX、3D Now!Professional
製造プロセス : 0.25〜0.18μm
対応Socket/Slot : SlotA

インテルのつまずき

 インテルもこのまま黙ってはいない。インテルは9月の頭に新PentiumIII(開発コード名Coppermine)の出荷を予定した。このCoppermineは現在のPentiumIIIの製造プロセスを0.18μm化し、さらに高クロック化を 狙った物だ。同時にL2キャッシュをダイに内蔵しクロックあたりの性能も上がる。さらにFSBも現行の100MHzから133MHzにあげる事になっている。これにより同クロックのAthlonと争える性能を持つようになるのだ。
 もし、当初の予定どおりなら、667MHz版を前倒ししてAthlonに対抗できただろう。Athlonがx86CPU最速は名乗れるのは1ヶ月だけとなるはずだった。ところが問題が発生し、Coppermineは10月まで出荷が延期されてしまった。インテルは現PentiumIIIのFSBを133MHzに対応した533/600B MHz版を出荷するがこのCPUが助けになることはなかった。
 インテルにはもう一つ問題があった。新しく133MHzFSBに対応するチップセットのi820の開発も遅れているのだ。もしこのi820が10月に間に合わないと133MHzFSBに対応したチップセットはi810Eのみになる。i810Eはグラフィックス機能が内蔵されている。そのため別に高性能なグラフィックスカードを差すことが出来ないのだ。ハイエンドパソコン向けのCPUと性能の低いチップセット内蔵グラフィックスはどう考えても不釣り合いだ。インテルはCoppermineとi820の両方の開発を急がねばならなかった。
 インテルがつまずいている間にAMDはAthlonの700MHz版を出荷。ますます高性能CPUの地位を強固な物にしていった。

ようやく出荷されたCoppermine

 10月25日、インテルはCoppermine版のPentiumIIIをようやく出荷、さらに11月15日にi820チップセットを発表した。
 しかし、ここでも問題が発生した。CPUの問題ではない、対応チップセットの問題だ。チップセットとはパソコンの主基板であるマザーボードに搭載されるチップである。パソコンの部品はほとんどチップセットに接続される。例えばメモリからCPUにデーターを送る時も一度チップセットを経由してデーターが送られることになる。つまりCPUをパソコンの頭脳とすると、チップセットは神経である。パソコン上の部品を統括しているのがチップセットだと言えば、重要な部品であることが分かるだろう。このチップセットによりパソコンの主な機能が決まってしまうのだ。対応するCPUやメモリの規格、最大メモリ量、ハードディスクインターフェイスやなどだ。
 さて、i820チップセットが対応しているメモリは「Direct RDRAM(以下DRDRAM)」だ。これはこの時主流の「SDRAM」よりも高速な新しいメモリだ。インテルは新しいPentiumIIIにはより高速なメモリがふさわしいと考えたようだ。ところがこのDRDRAMはSDRAMの10倍以上の価格だったのだ。メモリ単体が5万円以上という高値になる。たしかにSDRAMを使うより数%の性能向上が見られる。しかし数%の性能アップのかわりに4万円以上高いお金を払いたくはないだろう。i820でSDRAMが使えるようになるアダプタも開発されたが、どうにもうまくいかず、結局発売されることはなかった。i820は大失敗に終わりSDRAMが使えるi815の開発を余儀なくされた。
 それ以外はCoppermineは良好だった。L2キャッシュが半分の256KBにはなっているが、コアに内蔵することでコアと等速で動作するようになった。FSB133MHzと相まって、同クロックのAthlonと比べて「若干劣る」といった程度になった。0.18μm化により600MHz以上っで動作するようにもなった。
 10月25日にインテルの出荷したCoppermine版PentiumIIIはなんと8種類にも及んだ。FSB133MHz版として533EB/600EB/667/733MHzを、FSB100MHz版として500E/550E/600E/650/700MHzが出荷されたのだ(同クロックの製品がある場合、Coppermineコアという意味でEを、FSB133MHzと言う意味でBをつける)。一気に133MHzも高いクロックが提供され、さらに特に733MHz版はAthlonの700MHzを越えるクロックだ。これによりインテルはAMDからx86CPU最速の座を奪い返すことに成功したのだ。
 さらにCoppermineはL2キャッシュを内蔵し、製造プロセスが0.18μmになったことでSocket370版も提供できるようになった。これにより製造コストが安くなり、製品を安く提供できるようになった。性能面でも価格面でもAthlonに対抗できるようになったのだ。

PentiumIII(Coppermine)

PentiumIII(Coppermine)

動作クロック : 500MHz〜1.1GHz
L1キャッシュ : 32KB/L2キャッシュ : 256
拡張命令 : MMX、SSE
製造プロセス : 0.18μm
対応Socket/Slot : Slot1/Socket370

ローエンドで独壇場のインテル

 ハイエンド市場での苦戦とは裏腹にローエンドが市場ではインテルの独壇場になりつつあった。K6-2のクロックが思うように上げられない間に、Celeronは順調にクロックを上げていった。詳しくは次回書くことにするが、PentiumIIIと同形状で性能もK6-2より高いためほとんどのメーカーがCeleronを採用した。K6-2はローエンドの一部に残るだけになってしまった。

ハイエンドCPUの対決〜PentiumIIIvsAthlon

 PentiumIIIが10月25日に733MHzを出荷したことによって、Athlonは最高速のCPUの座を奪われた。しかしこれで黙っているAMDではない。AMDは即座に750MHzを出荷する。11月29日のことである。わずか1ヶ月でインテルは最速の座を奪い返されたのだ。一方インテルの750MHz版の出荷は次の年の予定であった。AMDのリードで今年を終えると、誰もが思っただろう。ところが12月21日(米国時間)、予定を大幅に変更し800/750MHz版を発表した。1999年は最後の最後で逆転し、インテルリードで終わったのであった。
 AMDも予定を繰り上げた。年明け早々の1月6日(米国時間)にAthlon-800MHzを追加した。さらに2月にはAthlon-850MHzを追加するという激しい戦いとなった。Athlon-700MHz→PentiumIII-733MHz→Athlon-750MHz→PentiumIII-800MHz→Athlon-850MHzと抜きつ抜かれつの展開だ。
 インテルがAMDよりクロック周波数で先に出ようとムキになっているのには理由があった。この時期、パソコンメーカーによるAthlon採用に拍車がかかっており、国内でも富士通とNECが、米国でもGatewayが新たに加わっていた。しかもこのPentiumIIIとAthlonの市場は、シェアを落とすのは直接利益に影響が出るのだ。これまでインテルがCeleronで、AMDがK6-2で争っていた市場は、低価格な市場であり、ある程度シェアを落としても売り上げに大きく影響はしない。しかし、PentiumIIIのいる市場は高くで売れるために利幅も大きいのだ。インテルがムキになるのも無理はないのだ。

PentiumIIIとAthlonの問題

 このころ、少しでもライバルより高い周波数をと争っていたPentiumIIIとAthlon。この二つには問題が出始めていた。
 まず、PentiumIIIは元々、Athlonより設計の古いCPUだ。そのためクロック周波数がAthlonよりも上がりにくいのだ。それなのにAthlonと同じペースでクロックをあげているのだから、当然無理が出る。確かに製造を続けていけばだんだんと高クロック品が製造できるようになり、従来のクロックで動作する物の割合は増えることは前に書いたとおりだ。しかし、この時のクロック周波数の上昇は、明らかに「製造を続けることによるクロック上昇」の割合を明らかに超えていた。最初は最高クロック品が全体の40%程度を占めていたとしても、800MHzの発表時は20%、もしくはもっと低くなっているかもしれない。
 こうなると高クロック品の品不足が起こる。どのメーカーだって最高クロックのCPUを使ったパソコンを売り出したいと思っているはずだ。ところが、十分な数が出荷できなくなり始めていたのだ。
 AMDは全く別の問題を抱えていた。AthlonはPentiumIII(Coppermine)と違い、L2キャッシュ(二次キャッシュ)がコアに内蔵されていない。PentiumIIや旧PentiumIIIと同じく、別基板のL2キャッシュを1つのパッケージにしていた。ところが外付けL2キャッシュは350MHz以上で動作させることは難しい。この頃のAthlonのL2キャッシュはコアの1/2で動作していた。それでも700MHzまでは対応できたのだが、750MHz版ではそのまま1/2でL2キャッシュを動作させると375MHz。明らかに限界を超えている。これではL2キャッシュが足かせとなりCPUが動作しないのだ。そこで、AMDはL2キャッシュの速度をコアの1/2から2/5に落とすことにした。こうすれば750MHz版でもL2キャッシュは300MHzとなる。しかし、L2キャッシュの速度を落とせば、当然性能に影響が出る。これまでのAthlonよりクロックあたりの性能は若干ながら落ちることとなった。これまではPentiumIIIに対して、同クロックなら「若干高い性能」を示していたが、L2キャッシュの速度を下げたことにより、PentiumIIIと「同程度」になってしまった。

狙いは1GHz

 インテルとAMDが次に狙っているのは、なんといっても「単位」の変わる1GHz(1000MHz)だ。世界で初めて1GHzを出荷したメーカーは、それだけでインパクトがある。950MHzを出荷しても、それほど話題にはならないだろうが1GHzともなれば話は別である。
 インテルは2度の改良を施して1GHzへと向かう予定にしていた。基本はCoppermineのPentiumIIIだが、微妙な修正を施すことで1GHzでも動作するようにするのだ。インテルはPentiumIII-1GHzの出荷を今年(2000年)の第3、もしくは第4四半期になると各メーカーに伝えていた。一方AMDはL2キャッシュを内蔵した新Athlonを急いで開発していた。1GHzのもなってL2キャッシュが外付けでは問題がある。なんとしても1GHz版はL2キャッシュを内蔵しようと考えていた。出荷はPentiumIIIと同じ頃になるとされていた

1GHzにもつれ込んだインテルとAMD

 ちょっと前までは夢の領域だった1GHzのCPUが急に現実の物となった。インテルとAMDが1GHzのプロセッサの発表を大幅に前倒しし、2000年3月上旬に緊急発表したからだ。AMDがAthlon-1GHzを3月6日(日本時間3月7日)に発表。インテルもほとんど間をおかずにPentiumIII-1GHzを3月8日(日本時間3月9日)に発表した。
 AMDが僅差で先に1GHz版を出荷した訳だが、これはAMDが最後の最後で予定を前倒ししたからだ。インテルの出荷日が直前にメディアによって報道されたため、AMDはインテルの二日前に発表日を変更したのだ。

問題の多いインテルとAMDの1GHz

 1GHz版の出荷は早くても9月頃だと思われていた。それを半年も早めたのだ。インテルもAMDも無理をしていない訳がない。
 インテルのPentiumIII-1GHzの問題は何だろう。実はインテルは順番をとばしているのだ。1GHz発表前の最高クロックは800MHz版だ。この後、850/866MHz版と933MHz版を順に出荷し、その次に1GHz版の順番だ。ところがインテルは850/866MHz版と933MHz版を「とばし」て1GHz版を発表したのだ。つまり850MHz版ですら出荷できる状態ではなかったのにさらに150MHzも高いクロックの物を発表してしてしまったのだ。事実、このPentiumIII-1GHzは量産出荷ではなく限定出荷として発表された。動作電圧を従来のPentiumIII(Coppermine)の1.65Vより高い1.7Vにすることで(通常、電圧を上げれば高クロックで動くようになる)ごく少量の1GHz版を作り出したのだ。つまり数が非常に限られた特別バージョンという事になる。
 実際PentiumIII-1GHzを搭載したパソコンを発表したメーカーは米国でも数社、日本ではデルコンピューターが限定モデルに採用したにすぎなかった(デルは唯一AMDのCPUを使わないメーカーであったため優先されたと思われる)。
 一方のAMDもさまざまな問題を抱えることになる。第1に出荷量だ。インテルと違い限定出荷とはならなかったものの、一気に900MHz/950MHz/1GHzの3つを発表したのだ。3段階ものクロックを一気に発表するのはCPUが新しくなった時ぐらいの物だ。インテルほどではないにしろ1GHz版の数は限られている。
 第2は発熱だ。Athlonもにまたインテル同様動作電圧を上げることで対処している。問題は元々消費電力が高いと言われていたAthlonが、動作電圧を1.7Vから1.8Vに上げ、動作クロックも上がってしまった。消費電力は60Wという途方もない数字となった。消費電力が上がれば発熱も増える。パソコンメーカーは特別な冷却装置を用意しなければならなかった。
 第3は性能面だ。750MHz版からL2キャッシュの限界から速度をコアの1/2から2/5に落とすことになったのは周知の通りだ。だがコアの2/5でも900MHz以上ではL2キャッシュの限界の350MHzを越えてしまう。そこでさらに速度を落としてコアの1/3とすることになった。1/3なら1GHzでも333MHz動作でなんとかなる。しかし当然性能低下はさけられない。2/5に落とした時にPentiumIIIと同程度まで落ちた性能は、1/3に落としたことでPentiumIIIより若干だが低くなってしまった。1GHzを先に達成したAMDだが、世界最速のCPUかどうかは怪しくなってしまった。
 この問題は新コアに移れなかったことが原因だ。AMDは1GHzを出荷するまでに開発コード名Thunderbirdの新コアに移る予定だった。ThunderbirdではL2キャッシュがコアに内蔵されるためコアと等速で動作させることが可能なのだ。Thunderbirdは2000年第2四半期に出荷が予定されていた。1GHz出荷が当初の予定通り9月に出荷されていればThunderbirdコアが十分に間に合ったのだ。ところがPentiumIIIにあわせて計画を大きく前倒ししたためThunderbirdが間に合わなくなったのだ。

お互い十分な準備をしないまま1GHzを出荷してしまった。インテルは抜けたクロックの発表と1GHz品の量産出荷、そして開発コード名Willametteと呼ばれる次世代Pentiumプロセッサに続けて行かなければならない。AMDは早くThunderbirdの出荷を始めなければならない。そしてVIAに買われたCyrixとIDTはどうなったのか。その部分はそこをお話ししたいと思う。