パソコンパーツの歴史
Windowsの歴史
Windowsの開発〜Windows1.0の悪評〜
WindowsXP。それはマイクロソフトから11月16日に発売された新しいOSである。秋葉原や日本橋などでは15日の24時からの深夜営業による販売も行われ、様々な催しが行われたようだ。Windows95以来の騒ぎとなっているこのWindowsXPだが、そもそもWindowsXPとは何なのだろうか。
Windows 1.0のスタートアップ。マイクロソフトのロゴが今と異なっている。
Windows 1.0のデスクトップ。ソフトを起動するとタイルを敷き詰めたように分割して表示され、ウインドウを重ねる事はできなかった。左下のフロッピーディスクドライブのアイコンが5インチなのが時代を感じさせる。
Windowsプロジェクトが始まったのは1980年代の事だ。そう。まだDOSがの時代であり、CPUのクロックはせいぜい6MHzというような時代だった。この時、Apple ComputerがMacintoshの元となる「Lisa」というパソコンを開発した。これは当時としては珍しく、GUI(現在のような画像を使った操作を可能にしたもの)を使用したOSだった。MS-DOSなどの文字だけのOSと比べて分かりやすかったため、すぐに様々な会社がGUIを使ったOSの開発に乗り出した。そのような時代の流れに従い、マイクロソフトもGUIを使ったOSの開発を開始する。しかし当時のマイクロソフトはそれほど大きくなく、GUIを使ったOSを開発している多くのメーカーのうちの一つにすぎなかったのだ。
Windows1.0の開発は遅れに遅れた。開発発表から実際の発売まで2年もかかったのだ。それでもようやく1985年の終わりに発売にこぎ着けたWindows1.0だったが、全く売れなかった。Apple社の開発したLisaやMacintoshiと比べるに値しないほど使い勝手が悪く、デザインも洗練されていなかった。もっとも他の会社のOSも同じようなもので、ことごとく失敗していった。DOSに組み込む事でGUIを実現するのは不可能のような雰囲気が漂った。
そこで、IBMが全く新しいGUI採用のOSを開発した。それは「OS/2」というものである。OS/2の計画により、業界は「DOSの後継はOS/2」という考え方が広まっていった。Windowsの開発が危ぶまれるようになってきたのだ。
Windows2.0〜OS/2に勝てるか〜
Windows 2.03のスタートアップ。Microsoftのロゴは現在と同じになったが、デザインは非常にシンプル。
Windows 2.0のデスクトップ。ウインドウを重ねて表示できるようになった。
ここでマイクロソフトはある作戦に出る。OS/2の開発に協力することにしたのだ。また同時に自社のWindowsも改良を続ける。そしてOS/2の発売と同じ年に「Windows 2.03」を発売する。Windows1.0に比べて格段に使いやすくなり、デザインも洗練されたものとなった。しかし、これはOS/2に大きな差をあけるほどの物ではなく、「DOSの次はOS/2かWindows」と言った状態だった。
Windows3.1と95とNT
Windows 3.0のスタートアップ。
Windows 3.0のデスクトップ。だいぶ格好良くなってきた。このころから「Help」がはやりだした。Fileなどと並んでHelpが用意されている。
Windows 3.1のスタートアップ。初めてWindowsロゴが登場した。
Windows 3.1のデスクトップ。見た目はWindows3.0とほとんど変わらないが、内部では様々な改良が施されている。
続いて1990年。マイクロソフトはWindows 3.0を発売する。それに対してOS/2は大きく出遅れたため、業界は一気にWindowsへ向かう事となる。OS自体も完成度が高く、また対応ソフトが急激に増えた事でようやくWindowsがDOSの後継としての地位を獲得する事ができたのだ。
マイクロソフトは1992年「Windows 3.1」を発売する。WIndows3.0で不評だった部分を完全に改良し、大ヒットOSとなったのだ。
このときマイクロソフトはもう一つのWindowsの開発をスタートする。これがWindowsNTである。当時のWindows3.1はMS-DOSのソフトも動作できるように「16ビットコード」で作られていた。しかし、WindowsNTでは過去のOSとの互換性を捨てる代わりに効率のよい「32ビットコード」で作ることにした。同じWindowsという名称と似たデザインを持っているが中身は全くの別物なのである。そのため、Windows3.1のソフトや周辺機器が動かない事も多かった。この時、Windows3.1は個人向け、WindowsNTは企業のサーバーなどの個人以外での使用という2つに分かれる事になった。
続いてWindows3.1の次のOSとしてWindows95の開発に入る。Windows95では、WindowsNTと同じ、効率のよい32ビットコードを使い始める。しかしWindows3.1以前のOSとの互換性確保のため16ビットコードも含まれていた。つまり16ビットコードと32ビットコードが混在していたのだ。これによってWindows3.1のソフトも動き、WindowsNTのソフトも動くようになった。一見良い事のように思うが、しかし、混在がWindowsを不安定にし、強制終了の多発やブルースクリーンになりやすいなどの問題を引き起こす事になる。
もっともマイクロソフトもこのような16ビットコードと32ビットコードの混ざった不安定なOSを続けていく気はなかった。WIndows95で32ビットコードを一部に使う事で、WindowsNTとの互換性をある程度確保できたため、次は完全32ビットのWindowsNTに統合する予定にしていた。つまり完全16ビットコードのWindows3.1と完全32ビットコードのWIndowsNTとの間の橋渡し役として、混在したWindows95を発売したのだ。事実、Windows95の後継OSの開発はこの時点でストップしている。
Windows95は過去最大の売り上げを記録する大ヒットソフトとなる。スタートボタンを使用した新しいインターフェースは非常に使いやすく、初心者にも受け入れやすかった。発売日の0時からの深夜販売が各店で行われ、大にぎわいとなった。
この時点でWindowsNT系統はWindowsNT 3.51であり、WindowsNT 4.0の開発が進んでいる状態だった。つまり、マイクロソフトはWindowsNT 4.0で2種類のOSの統合を行う考えだったのだ。そのWindowsNT 4.0は19996年の終わりに発売される。ところが、WindowsNT 4.0は個人向けPCには採用されなかった。最大の理由は周辺機器の対応の弱さだ。Windows95系統のドライバ(周辺機器を動作させるために必要な物)はそのままではWindowsNTには使えず、新たに1から作り直す必要があった。しかし、この当時市場で一番数が多かったのはWindows95であり、メーカーはまず初めにWindows95用のドライバを作り、次にWindowsNT用のドライバを作った(作られない事もあった)。そのためWindowsNTの方が周辺機器サポートが遅れた。また、企業に通用するようにパスワード機能などの強化を図った結果、初心者には敷居の高い物となった。また、Windows95で一般的になりつつあった3Dグラフィックスも使えず、ゲームのユーザーには全く意味のないOSだった。価格もWindows95に比べて高かった。つまりWindows95が売れすぎたため、WindowsNTへの移行が難しくなってしまったのだ。
統合の奥の手〜Windows2000〜
マイクロソフトはこの時点でのWindowsNTへの完全以降はあきらめ、Windows95の後継OSの開発を急遽開始する。これはWindows98として1998年の中盤に発売される。Windows9x系とWindowsNTとの統合は次期Windowsにまで延期された。
Windows98を発売した時点でマイクロソフトは今度こそWindows9x系の開発を終了。WindowsNT 5.0の開発のみを行った。WindowsNT 5.0ではWindowsNT 4.0で苦手と言われていた3Dグラフィックス性能を搭載し、色々な使い勝手の面でも個人で使いやすい物にした。これでWindowsNT系への移行体制は整った。さらに開発時はWindowsNT 5.0と呼ばれていたものを、発売時にはWindows2000と名称を変えた。「WindowsNT」という名称のままでは企業向けというイメージが強く、個人には受け入れられないかもしれない。そこでWindows9xと同じく「販売年」をWIndowsの後につける方式をとり個人にも受け入れられるようにしたためだ。
ところがWindows2000も結局はWindows98の後継OSにはならなかった。つまりWindows9x系とWindowsNT系の統合はWindows2000を持ってしても成し遂げる事ができなかったのだ。その理由としては、価格の高さと周辺機器の対応の弱さ、3D性能の弱さなどである。価格の高さは従来のWindowsNTと同じ3万円前後に設定され、Windows98の1万円台と比べると高価だった。当時、すでに10万円前後のパソコンがブームだったため、OSの価格だけでを1万円以上高くなると言うのは問題があった。さらに周辺機器の対応はWindowsNT 4.0の頃と比べると進んだものの、Windows9x系と比べると弱かった。また、3Dグラフィックス機能を追加したが、これもWindows9x系と比べると弱く、ゲーマーは依然としてWindows9x系を使い続けた。それでも、個人に対しても多少使いやすくなっており、一部のパソコンにインストールされるなど、WindowsNT 4.0の頃よりはマシにはなっていた。
とにかく、マイクロソフトの作戦はここでも失敗。すでに次のWindowsの開発を開始しており、この次のWindowsでの統合と言う形に方向転換を行う。しかし次期Windowsが発売できるのは2001年の後半。それまでWindows98のままでは少し辛い。そこで急遽Windows9x系統の新バージョンである「WindowsMe」を発売する。
WindowsXP
9x系とNT系の統合に失敗したWindosw2000だったが、完全に無駄だったわけではない。一部のユーザーはWindows2000を使ったし、世間一般にWindows9x系よりも安定したWindowsNT/2000というOSがある事を知らせる事ができた。また、徐々にではあるがソフトや周辺機器もWindows2000に対応し始めたのである。また、周辺機器の説明書にもWindows9x系と並んで「Windows2000での使い方」が書かれるようになった。この様に、市場は少しずつWindowsNT系列への移行を開始し始めたのである。
次期WindowsであるWindowsXPはWindows2000で不評だった点を大きく改良した。まず、「3Dグラフィックス性能」については、Windows9x/Meと同程度まで改良した。また新しいデザインを採用し、より初心者に使いやすくした。またリモートアクセス機能やCD−Rへの書き込み機能など様々な機能を追加する事によって、Windows9x/MeのユーザーだけでなくWindows2000のユーザーにも魅力的なOSとなった。もちろん、WindowsNT系統の安定性は受け継がれている。その上、従来のWindows3.1/95/98時代のソフトを動かせるよう、互換モードを搭載。完全に動作するわけではないものの、お気に入りのWindows3.1/95専用のソフトを手放さなくてよくなったのは大きい。
OSの機能の他にWindowsXPでは今までのNT系にはない変更点がある。それは、価格である。Windows2000の失敗の一つに価格がWindows9x系に比べて高かった事がある。つまりWindows9x/Meの後継OSとなるためには、それと同価格でなければいけないということだ。しかし「WindowsXP Professional」は「Windows2000 Professional」の後継OSであり、価格はやはり3万円前後になる。そこでマイクロソフトではProfessional版から一部の機能(と言っても個人ではほとんど使わないような機能)を省く事で価格を抑えたHome EditionをWindows9x/Meと同価格で販売する事にした。これによってついに安定しないWindows9x/Me系統から安定したWindowsNT系統への移行の準備は完全に整った。あとは市場が受け入れるかどうかである。
そして2001年11月16日。ついにWindowsXPが発売された。この日は多くの店舗が0時からの深夜販売を行った。すでに23時ごろには数百人が並び、各販売店もさまざまなイベントを行った。Windows95以来の大にぎわいである。またこの日までに、各周辺機器メーカーはWindowsXP用のドライバをある程度用意した。その上、店頭販売されるパソコンにインストールされるOSも一斉にWindowsXPに切り替わった。と言う事は、WindowsXPがこれからの個人向けのOSとして認められたのである。WindowsXPは大成功である。
こうして、長い年月をかけてWindows98/Me系とWindowsNT系が統合されたのである。