
先日電車に乗っていて ある青年が ご老人に席を譲っている光景を目にしました
なかなか席を譲るって勇気いるでしょ なかば清水の舞台から飛び降りる心境です
かっこ悪いけど 困ってる人を見たら黙っていられない
えぇーい 「どうぞ おじいさん座ってください」 冷や汗たら―
何か少々照れくさいですね 見ていて 私は何となく この青年に好感を持ちました
えらい兄ちゃん
損をしても弱い人のために そんな行動に人は心動かされるものです
今回ご紹介する顔真卿(がんしんけい)さん 身を捨てて唐王朝に忠誠を尽くしました
後世の人は顔真卿の行動に どれほど感動し どれほど大きな影響を
受けた事でしょうか 今回は顔真卿の魅力に迫ってみたいと思います

顔真卿(709〜785)
字(あざな)は清臣(せいしん) 諡(おくりな)は文忠(ぶんちゅう)
琅邪臨沂(ろうやりんぎ)の生まれ 何と王義之と同郷
顔真卿が活躍した時代
時は 玄宗皇帝と天下の美女 楊貴妃(ようきひ)とのロマンス華やかりし頃であります
李白は楊貴妃の美しさを このようにた例えました
眸を廻らして一たび笑えば百媚生じ 六宮の粉黛顔色なし
(ひとみをめぐらして ひとたびわらえば ひゃくびしょうじ ろくきゅうのふんたいがんしょくなし)
と言うぐらいにです なんや解ったようで解らんような
(詳しくは李白の長恨歌をお読みください)
もっと解り易く言うと ビックリする位 お座りして 三回まわって
ワンと言ったぐらいでしょうか(なに よけ解らんですって すんまへん)
最初 楊貴妃は玄宗の 皇子 寿王瑁(じゅおうぼう)のお妃(きさき)でした
楊貴妃さん あなたは私の太陽だ あなた無しでは生きられぬ 何て言って
おやじの玄宗 楊貴妃を横取りしてしまったのです
最初は良い政治をしていたのですが 夢かうつつか幻か
こんな状態ですから 政治どころではありません そうこうしている間に国は乱れ
安禄山の乱が起こってしまいました 危うし 唐王朝の運命やいかに?
その時 玄宗は 「河北二十四郡に一人の忠臣もいないのか」と嘆いたそうです
(何をぬかすか 自分は楊貴妃とラブラブのクセにあほんだら)
しかし その時現れ出でたるは平原の太守 われ等が顔真卿
いとこの顔杲卿(がんこうけい)と共に大活躍 長安にいる
安禄山の手先を ちぎっては投げ ちぎっては投げ 賊軍を蹴散らしてしまいました
これで一応 唐王朝の危機を救えたのですが
元々顔真卿は軍人ではなく官僚で しかも親戚は字が上手いんだけれど
もう一つ頼りない しかし既に安禄山は謀反(むほん)を起こすぞと噂されており
顔真卿はいち早く準備をしていました 城壁を修理するとか 食糧を蓄える等等
「朕(ちん)は顔真卿という者を知らないが 良くやってくれた」 と玄宗は言ったそうです
何か気の抜ける皇帝ですね かたや顔真卿は剛直の士として有名です
曲がった事が大嫌い 相手が誰であろうが間違った事は正す
実力は人一倍あるのに そういった性格ゆえ かなり損をしたようです
しかし後世の人は こんな損ばかりしている顔真卿に好感を持ちました
安禄山の乱とは
755年 安禄山によって引き起こされた大乱です
この乱は禄山の死後 その子 安慶緒(あんけいちょ) 武将の史思明(ししめい)
その子 史朝義(しちょうぎ)と前後四人の賊将によって指導されました
よって安史の乱とも呼ぶ 八年間にわたり唐帝国の中枢部を戦火のちまたと化し
唐朝の権威を一朝にして失墜させた ところが顔真卿の名が天下に轟いたのも
この乱によってであります
朕とは 皇帝が自分をさして言う言葉 つまり 私 わちき 俺 等の意味
顔真卿の作品について
簡単に顔真卿の武勇伝をご説明したわけですが なかなか上手く
彼の人間性をご説明するところまでには至りません
真実を曲げない 世渡り下手だと自分でも言っている通り
数ヶ月 家族揃ってお粥(かゆ)をすすらなければならない
おとうちゃんお腹がすいた こんな情けない状態の時もあったようです
比類のない芯の強さが 顔真卿の書を形成している事は間違いありません
当時は顔真卿の書を「醜怪悪札の祖」とまで酷評する者が居たそうですが
しかし蘇軾(そしょく)あたりが 絶賛するようになり
顔書の評価が上がっていったようです
顔真卿 直撃インタビュー 衝撃の告白
司会
顔真卿さん こんにちは今日は宜しくお願いします
顔真卿
いやーはずかし こんにちは よろしゅうに ほな
司会
では最初に顔真卿さんのご先祖のご紹介からお願いします
顔真卿
ご先祖はんは 古く春秋戦国時代 孔子はん のお弟子
顔回(淵)はん まで遡ります
司会
ヘーじゃー 顔家には有名な人が沢山居られるのでしょうね
顔真卿
いてま いてま 五代の祖には顔之推 三代の祖には顔師古
それから兄弟親戚 字のうまい奴 よーさん おりま
それから わての おかーちゃんの殷氏も字がじょうずでね
司会
と言う事は あの流麗な王義之の書も勉強されたわけでしょ
だったら何故あんな小汚い いやいや失礼
独特の!書風でお書きになるようになったのですか
顔真卿
いやー痛いとこ突きはんなーー それはでんな わて玄宗皇帝に
言いたい事ぎょうさん ありまんねん それはでんな
表向きをカッコ良くして 女にもてようとする性根(しょうね)が気に入りまへん
男は仕事 一生懸命してる姿に女は惚れるもんだす
そう ぼろは着てても心の錦(小錦とちゃいまっせ) 心が大切
それが解って欲しかったので 今までに無い書風を考えたわけだ
男らしい 人を圧するような そんな凄い書を
ご先祖には太宗皇帝という 王義之の超有名コレクターがおられまっしゃろ
わてが まともに王義之を書いてもあきまへん 玄宗はん 解ってくれはりまへん
司会
よーわかりま
顔真卿
せやけど わての性格だと あんな皇帝でも 皇帝でおまっさかい
しっかり仕えんと 失業が恐い リストラが恐い
元々わての家系 書道の名家 王義之と同じ琅邪臨沂の生まれ
王義之にもライバル心が有ったかもしれまへん
司会
大阪弁がこの時代にあったとは 大発見です
(ちょっと と言うより かなり 私の独断と偏見が入っています しかし
考えられなくは無いと思います)
多府県にお住まいの方 お解りいただけたでしょうか 言葉が
結論
一本筋が通った人が少なくなり 困っている人がいても知らん顔
一人で正々堂々間違いを正す人もいない
そればかりか 自分さえ良ければ それでいいと言って平気で犯罪を犯す
ばか正直でいたら損をすると仰る方が居られると思います その通りですが
しかし 前述の電車内の青年の話では有りませんが 人は見ない振りをして
見ています 良い事をしていれば 必ず報われる (ちょっと自信がないけど)
この考え方が顔真卿の心を支配していたのではないでしょうか
では顔真卿がどんな作品を残したのか 知りたい方はどうぞご昇天下さいませ
私の臨書を見たい方は 地獄ヘまっ逆さま 落ちろー