神無月弐日 月齢15.1

思いやりという花の種
連日テロの報復についてのニュース、ニュース。
そんななか心温まるニュースがひとつ。
あるアメリカ人の家族が、
テロで父親を亡くした日本人の家族を
どうやったら慰め力づけられるか
一生懸命になっているお話。

習慣の違いなどから、どのような方法が適切なのかわからず、
他の日本人家族に相談して
手紙で気持ちを伝えることにしたのだそうだ。
こんな風に相手の立場や考え方、国民性などを思いやって
お互いうまくやってゆけたらいいのにね。
『〇〇人はすきだけど〇〇の国の政府は嫌いだ』
というセリフもよく目にするけれど、
国単位になってしまうと
外交的な駆け引きが優先されてしまうのでしょうが。。。


神無月壱日 月齢14.1

雨月夜

たとえ、厚い雲に隠れていても
その後ろには、
月が優しい光をたたえて見守っていてくれると
信じていたい


長月参拾日  やったね!

マラソンの高橋尚子選手が
世界記録を更新した、とのニュース。

オリンピック後、日本のマスコミ(というより日本人の?)特有の
バッシングを受けながら、
ちゃんと結果をだした。

レースに向けて体をしぼり、練習を積み重ねた結果と、
良い指導者に恵まれた為なのだろうが、
何より彼女の強い精神力、自分の可能性を信じる力に拍手。

インタビュー時のいつもと変わらぬ笑顔と穏やかな受け答えの裏で
いろんな葛藤があったのだろう。
それをあえて表にださない彼女の
その爽やかな佇まいにまた拍手!


長月弐拾九日  ジョーカー

仕事でなぜか、その人がかかわると
思いがけずおかしな展開になり
トバッチリを食うことがある。

そのジョーカーのような人は
故意ではなく、真面目で一生懸命なのに、何故かそういう結果になる。
しかも一度だけではなく、だ。

なぜそうなるのだろう?と考えてみた。

みつけた自分なりの今の答えは、
やはり事務手続きとその流れとか、業務上の約束事とかが、
きちんと頭に入っていないから
スムーズにいかないのではないのか?と思う。

いろんな職種の人が働く職場では
これらは重要なポイントではないかと思う。

自分が誰かにとってのジョーカーになっていないか?
ならない為にはどうするか?

考えてみなくちゃね。


長月弐拾五日  野生のグルメ王?

お向かいの家にはアケビがあって、
持ち主のおじさんはそれが食べごろになるのを
楽しみにしていたらしい。
でもそれはマボロシのお味になってしまった。
横取りされてしまったのである。
誰にって?

ウチの母が、その犯人を発見したのだが、
民放のお昼の番組ではおなじみの悪役、
おサルさんだった。

サルが特別利口なのか、野生の生き物とはみなそういうものなのかは知らないが、
彼らは『食べごろ』というのをよく心得ている。
ある人は、そろそろ食べごろと思ってトウモロコシの収穫に行ったら、
すでに先客のサルが全部食べちゃった後だった、
その前日までは無事だったのに、と悔しがっていた。

また彼らは、『ひとをみる』。
女子供年寄りには強気である。
またひ弱そうな男性にも強気である。
アケビの強奪を目撃した母が、
『コラ!』と怒鳴ったら、反対にサル殿に威嚇され、怖くなって逃げたと言っていた。
石を投げるくらいじゃ絶対逃げない。

家の中に侵入するのもお手のものである。
音も無くしまっている戸をあけ、
目に付いた食べ物を失敬していく。
噂によると冷蔵庫もあけちゃうらしい。

あと球根も好きらしく、我が家のチューリップは全部姿を消してしまった。
今年はひそかに『ヒヤシンス』でも
育ててみようかと
思っているのだが、
これもサル殿のお口にあうのだろうか?


長月18日  青空
NYのあの痛ましい事件から
一週間が過ぎました。
ニュースでたまたまリアルタイムで
見てしまった2機目の衝突。
テレビで何度みても“見慣れる”ことはないでしょう。
いつもと同じ日々を淡々と過してはいても、
この先どんなことが起こるのかと
不安な気持ちを拭い去ることができません。

あの日のNYの空はとても綺麗な
青空だったそうです。
早くこんなノンキな雲が似合う
穏やかな毎日をうつす青空が戻りますように・・・



長月16日 月の足

「月足」さんという名前の女性に
お会いしました。
白いシルクのブラウスに翡翠のブレスレットが
お似合いの台湾の方。
「素敵なお名前ですね」とお話したら、
『姉妹が多くて、女の子は“足りてる”ということなのよ、
でもまた妹が生まれたの』
と笑っておられました

それにしても月に足があったら、
いったいどんな靴を履くんでしょうね


長月五日  とんぼ

先日、近所を歩いていたら、捕虫網を持った男の子に
「今日は」と声をかけられた。
近頃そういえば虫取りをしている子供を見かけない。
とんぼや蝶々の数も減ったようだ。

小さい時、ありんこの巣を水攻めにしたり、
アリ地獄にアリンコを落としてみたり(途中で救助するけど)、
子供らしい好奇心と残酷さでいろいろ悪さをしたものだ。

それでも子供心に「死」や、殺してしまったことへの罪悪感を意識し、
命を大切にすることを学んだように思う。
今の子供は何から「死」や「命」を学び取っているのでしょう?


長月参日  はじめての靴

家の玄関に、見慣れない汚れた赤ちゃん用の靴が置いてあった。
どうも納戸に鼠が入り込んだらしくて、掃除をしたらこれが出てきたという。
白いちっちゃい靴。
「これもしかして私が生まれて初めてはいた靴?」
と母に聞いたらそうだとのこと。
今の私の靴の何分の1の大きさだろう?

私は歩くのが遅い方だったし、
ハイハイもヘタで、おしりでずりずり動いていたらしい。

この靴で初めて自分の足で私が歩いた時、
両親はどれだけ喜んでくれたのだろうか?

幼児虐待の痛ましいニュースが沢山流れているけれど、
そんな親たちだって最初に自分の子供が歩いた時は
やっぱり嬉しかったと思う
その喜びがどこで歪んでしまうのでしょう?


長月壱日  今日から秋

窓を開けたら、そこに秋が到着していた

影を秘めた向日葵の黄色より
透明だけれと夕焼けの憂いを隠した
女郎花の黄色が似合う風が待っていた