皐月弐拾壱日 小満

早く帰れた夕方には

久し振りの晴れた夕方。
天頂には半月。
職場の近くで、今年初めてトンボをみました。
昨日今日とまだ少し日の光があるうちに帰れたので
お花の世話。
白花モッコウ薔薇、最初の1輪が明日明後日ぐらいには開花しそう。
薔薇は他の鉢にもうどんこ病があったので、
被害部分をカットして、その後全部の薔薇に薬剤散布。
それにしてもミント族は元気。
鉢植えも地植えも急成長中。
地植えのミントはいくら摘んでも良いと母にいってあるので、
トイレ・洗面所・台所に生けてある花にはすべてミントが添えられている。
洗面所のはシャガと一緒。
地植えの薔薇のまわりもミントだらけになっていたので抜いてしまう。
それを母に渡したら、ヒヤシンスの栽培容器に生けて
茶の間の炬燵の上に置いた。
葉のグリーンが目にうれしく、葉に触れると漂う香りがまた嬉しい。


皐月壱拾八日

TAIZO

一ノ瀬泰造の写真展を観に、赤坂の東京写真文化館に行ってきました。
私が泰造を知ったのは、はっきりとは覚えていないのですが、10代の頃に
カンボジアで行方不明になった泰造の両親が、彼の埋葬された場所を
探し当てるまでを追ったテレビのドキュメンタリーをみたりしたからだと思います。
カンボジアというと、ポルポト政権終了後の荒れたアンコールワットの写真や
虐殺された人々の頭蓋骨が山積みになった写真を見たことがあります。
でも泰造の作品は戦場の生々しい写真よりも、雨宿りする兵士がうたた寝をする姿や
遊んだり路上で物売りをする子供達、つかの間の休暇を楽しむ
兵士とその家族などをとらえた写真が多いようです。
泰造自身もすでに死後30年以上経っていますが、
ここに写っている人達の果たして何人が無事に生きているのでしょうか?
泰造の下宿先の子供達が6人床に丸く座って食事している写真がありました。
そこには、そのうちの3人がポルポト兵に殺されたと注釈がついていました。
無邪気に遊ぶ幼児、でもその遊び道具が弾薬箱だったり。
川で水牛と遊ぶ子供達、ほんの数キロ先で爆撃が行われて
煙が立ち昇っているのが見えます。
戦争が当たり前の日常と化した環境で育った子供達。
小学校の門柱の上に座っている子供。
でも彼は戦闘服を着ていて、小さな頭にはブカブカの軍用ヘルメットが被されていて、
腰にはどうも銃らしきものをつけていました。
一見無表情にみえるその子供、その心の中はどんななんだろう?
平和が当たり前の子供時代を過したワタシには想像することもできません。
前回の泰造の写真展の時もそうでしたが、
観客のほとんどは大学生や20代ぐらいの人達です。
浅野忠信が主演した映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」の影響なのか?
彼らは何故この場所に足を運ぼうと思ったのか?
ワタシ自身、何故泰造や沢田教一その他のいわゆるコンバットカメラマンと
呼ばれる人達の作品に惹かれるのか?
撮る者に悪意・邪心がなければ、写真は必ず真実を写し出すと信じているから?
写真展のあと吉祥寺にお買い物に行きました。
紅茶とお茶グッズのお店「カレルチャペック」に行きたかったのですが、
なかなか見つからなくてうろうろしていたら
偶然子供の本の専門店「おばあちゃんの玉手箱」にたどり着きました。
色とりどりの楽しげな本でいっぱいの店内では
小さな子供に絵本の読み聞かせをしていました。
そんな当たり前のような幸福の情景。
さきほどの泰造の写真の中では、母子が新たな爆撃のために
さらに別の避難先を求めて逃げ惑う姿がありました。
あの母子は戦後まで生き延びて、たとえ貧しくても
銃弾の音におびえる必要がない、当たり前に食べて眠って起きて、
という普通の生活を送ることができたのでしょうか?


皐月壱拾弐日

花暦
〜それいゆおばちゃんのシャガ〜

鉢植えの薔薇2つがうどんこ病になっていて、
薬を散布しても効果がないようだ。
生長が他の薔薇に比べてかなり遅れてきたので
思い切って剪定して土を変えた方がよさそう。
葉っぱばかりで今年も咲きそうになかった黒紫色のオダマキに
蕾がひとつだけついた。
5月の連休あけ後天候が安定しないけど
庭の植物も鉢植えも争うように大きくなってきた。
いつもの年のように薔薇が咲く頃には入梅となるだろう。
裏山のシャガが沢山咲き出したのでカメラを持ち出したら
お向かいのそれいゆおばちゃんがいたのでしばし花談義。
このシャガもこの後に咲くユキノシタも実はこの
おばちゃんが植えて増やしたものだ。
環境が合っていたのかどんどん増えてきている。
クリンソウも去年より株が増えたようだしね。
去年見つけたカザグルマは今年も咲くだろうか?

皐月四日

ギンリョウソウ

部屋の模様がえの為、本を整理していたら
高校時代の恩師の本が出てきました。
高校時代、友達につられて何故か生物部に入ったヒヤ。
(園芸部に入ろうと思ったけど、先輩がコワイという噂でやめました)
3年間遊んでばっかりで真面目な活動なんぞしていなかったヒヤの
部活の一番の思い出は、夏休みの合宿(!)でした。
たしか丸沼高原から日光沢温泉までおおよそ8時間の
道程をせっせと歩いたのでした。
途中、引率の先生方が生徒をほったらかしにして
夢中で撮影していたのがギンリョウソウでした。
蝋細工のような不思議なこの植物を目にしたのは、
この時が生まれて初めてでした。
珍しい植物らしく、その後全く目にしたことがないだけに
余計に印象的に残っているようです。
『栃木県の植生と花』というタイトルのこの本、
高校時代の思い出にと買っただけで
たいして中をみずにそのままになっていたのですが、
今の私にはいい教科書になりそうだな〜と
ぱらぱらめくっていたらあのギンリョウソウの写真が。
撮影年月日を確認してみると、
私達が行った時に撮ったものだということがわかりました。
当時日光沢温泉の宿は、自家発電で夜9時を過ぎると
消燈され真っ暗になってしまい、もちろんテレビもラジオもなし。
激しい雷雨におびえつつ、暗がりの中夜遅くまで同級生の部員の子達と
家族や自身の悩みのことなどいろんな話をした光景がよみがえってきました。
あれからもう〇〇年、みんなどこでどうしているんでしょう・・・
そして文化祭の準備の時、遅くまで残っていた私達のために
わざわざ梨を買ってきて自ら剥いて食べさせてくれたり、
卒業時のお別れ会で出身校の北大の寮歌を歌ってくれたH先生。
高所恐怖症だったFちゃんを気遣い、彼女が怖がりそうな足場の悪い場所では
必ず側に来て『大丈夫だから』と声を掛けながら見守っておられましたね。
卒業後一度もお会いしていないのですが、
数年前、偶然テレビで御姿をみかけた時は相変わらずお元気そうでした。
定年を迎えられた今も
野山を歩いて花や蝶の写真を撮っておられるんでしょうねえ。


皐月参日

花暦 皐月の壱

日光植物園に行く。
昨年にくらべてやはり2〜3週間は花の咲き方が早い。
石楠花は散り始め、水芭蕉も咲き終わりすでに菖蒲が咲いている。
クロフネツツジやヤマブキソウが見頃だった。
植物園を出てからも個人の庭先のオキナグサや、
昨年みつけた白藤や旧金谷ホテルのクリンソウなどの写真を撮りながら歩く。
道路はすでに渋滞。
『翠園』で食事を摂って、二荒山神社〜東照宮の参道から輪王寺に出る。
社務所〜『ふじもと』〜『明治の館』にぬけるいつもの散歩コース。
例年なら5月25日頃が見頃の『ふじもと』のモッコウ薔薇が咲きはじめていた。
帰宅後は庭いじり。
4月29日に益子の陶器市やいつもの園芸店で買いこんできた植木鉢に
植え替えたりしていたら7時になってしまった。
白のモッコウ薔薇はまた蕾が増えたみたい。
クリーム色の方は生長が遅くて心配していたが、新しい葉が出てきている。
今年も花が咲きそうにないけど、来年に期待しましょう。
紫木蓮は満開、あと2日ぐらいで散り始めそう。
シャガの花色が目に涼やか。
薔薇の蕾もちらほらつき始めた。
ウチョウランにも蕾がついている。
本当は植え替え適期ではないのだが、普通のプラスチックの鉢から
もらった時に植えてあった盆栽用の鉢に植え替える。
加藤文子さんの本に鉢の選び方が書いてあり、
ウチョウランにはどうも前の住みかの鉢の方が合っていると思ったので。
うどん粉病の薔薇は先週新しい薬を使ってみたけれど変化なし。
カイドウのアブラムシは再発生なし。
今日は時間切れになってしまったけれど、
あと窮屈そうなデルフィニウムも植え替えてあげなくちゃ。
明日からは部屋の模様がえをするつもりだけど
部屋の掃除より庭仕事の方がやっぱり楽しい。