師走参拾日

なかなかやるじゃない!

新聞の読者の投書欄にこんな話が載っていた。
某地方都市の駅で、老女がエスカレーターに乗った。
ベルトにつかまってやっとこさ立っているような状態だったらしい。
そこへ中年男性がどかどかと駆け上がってきて
その老女に「どいてくれ!」
そういわれても老女は動けない。
投書した女性がどうなることかと、どきどきしながら見守っていたら、
若いイマドキの男性が老女をかばうように立ち塞がった。
おかげで中年男性はおとなしく乗っているしかなかったそうだ。
投書した女性は「急ぎの方は階段を!」と文章を結んでいた。
中年男性にしてみれば急ぐ理由があったのだろうから
気の毒といえば気の毒だが、身体の自由が利かない人に対して
横柄な態度をとったのだから、このような目にあったのは自業自得だと思う。
それにひきかえこの若い男の子のカッコいいこと。
投書した女性はそばで見ていて胸がすく思いだったのだろう。


霜月壱拾日 月齢05.6

ふたりの『いいひと』

今日の午前中のニュース番組には
またまたノーベル賞の田中耕一さんが登場していた。
飾らない人柄が『いやし系』として評され
一躍国民的アイドル、サラリーマンの星ともいうべき
存在になってしまった彼。
はやくもとの静かな生活に戻りたいだろうなあ。
今のところマスコミは好意的な取り上げ方をしている。
しかし日本のマスコミの一部には有名になってしばらくすると、
いつのまにか態度を豹変させ悪意にみちた
報道をするようになるという極めて悪い性質がある。
マラソンの高橋尚子選手なんてそのいい例だろう。
彼がそんな目にあわなければよいなと思う。
マスコミに悪役にされてしまった人というと
巨人の桑田投手。
私は糸井重里さんのほぼ日(デリバリー版)を読んでいるが、
11月7日の399号に元巨人監督の藤田さんが彼についてこんなことを話していた。
『普段の野球に対する取り組み方や生活を見ていると、
ほんとうに大事にしてやりたい。
あれだけの素質を持って、あれだけの生活をしている人間は
野球界にはいない。
不幸にも、マスコミが善玉と悪玉とを2つ作りあげてしまった時に
一時、悪玉の方に入れられちゃったものだから、
あんなにいい子をね‥‥それはかわいそうだった。
カバーのしようがない。ああいうように大騒ぎになってしまうと。
「そうじゃない!」とこちらが何度言っても、新聞に出てしまう。』
そういえば、桑田に対してはあまり良いイメージはなかったなあ。
この藤田さんの話から思えば、
それがマスコミが勝手に作り上げたイメージの影響だったということになる。
悪意を持ってみれば、どんな事実も捻じ曲げられたものになって
相手に伝わってしまう怖さ。
田中さんには『いいひと』のままで
日常生活に戻っていってほしいと思う。


神無月壱拾九日 月齢13.0

ハルキ的自己分析

NHKBSの『週間ブックレビュー』でベストセラーになっている
村上春樹の『海辺のカフカ』が取り上げられていた。
ハルキ文学に違和感をおぼえるか、好きかは
仕事をしている時に生きているという実感を持っていきているか、
それとも仕事以外のことに癒される、生きている実感を味わっているか、
後者のタイプの人が
ハルキワールドにすんなり入っていけるのではないか?
というようなことを話していた。
さてワタシはどっちのタイプか?
後者のような気がするけど
100パーセントでもないなあ。


神無月壱拾八日 十三夜

13歳

連日拉致事件関連のニュースを見ている。
肉親や友人にかこまれ
すこしづづ表情や言動が変わっていく一時帰国者の姿をみていると、
家族や隣人友人の存在の有難さというか、持つ力というか、
自分を案じてくれる人びとが存在するということが
どれだけ人間には大切なことであるかと感じる。
横田めぐみさんがすでに死亡していた
というニュースを聞いた時が
なにより悲しかった。
他の方ももちろん気の毒だとは思うが、
彼女とは歳は近いのでなおさらなのかもしれない。
彼女は精神のバランスを崩して
自殺したらしいが、
あんな環境におかれれば当たり前、
まるで彼女自身のせいのように
しゃしゃあとしている北朝鮮の政府関係者には心底怒りを覚える。
先日登校途中の交通事故で運ばれた中学1年生の男の子は
母親の顔をみたとたん気が緩んだのか
泣き出してしまった。
13歳、大人びた口は利いても
まだまだ子供。
突然だれも知る人のいない異国に連れさられた彼女が
どんな思いをしたのかは想像を絶する。
経済的な苦労はしなかったかもしれないし、
娘が生まれて新しい家族との暮らしに充実感もあったとは思うが、
彼女の心の空洞は埋められなかったのだろう。

神無月壱拾弐日

つんつるてん

天気がよいので
母の和ダンスの着物を引っ張りだす。
母が自分で買ったもの、形見分けのもの、
紬に色無地に訪問着と種類はあるけれど
問題は昔の人の着物はつくりが小さい!
唯一伯母のものだけは着られそうだけど
(写真のアンサンブルも伯母のもの)。
しかも長年のお手入れの悪さで
シミになっているものもあるし。
でもあまりにもったいないので
羽織に仕立て直すとか
方法がないかなあ。
だだお金がかかりそう・・・


神無月六日

春の準備

今日は鉢植えの植え替えをする。
ヒヤシンスや匂い水仙、バイモユリ、キバナカタクリも
無事に根っこが生きていたので
来春も咲いてくれるかな?
着付けの練習をしてみたけど、
やはりおはしょりがうまくいかないなあ。
とりあえず着てみてその格好のまま仕事の宿題をする。
いつもは姿勢がとっても悪いヒヤさんなのに
帯のせいでPCに向かう姿勢の良いこと(笑)
伝統芸能の人たちはみな姿勢が良いけれど、
これって子供のときからのキモノ生活の賜物かもね。


長月壱拾五日

ほんじょ

ヒヤは女優の本上まなみのファンである。
女優としてよりも、なにより彼女本人が面白い。
自分と同族の人間だと思って親近感を持っているのだ。
(周囲にどこかちょっと変わってる子と思われるタイプですね)
『透明感のある癒し系』と評される彼女、
確かにその通りの容姿だが、その行動・発言・文章は
受け狙いじゃないがゆえ面白くて、
物事への目の付け所がヒヤにぴったりはまる、
と勝手に思っている。
ジプリの『耳をすませば』に魅力を感じる理由も同じだし。
(『耳をすませば』がお好きな方は彼女の本『鉛筆日和』を
立ち読みしてください、共感すると思います)
お城のお堀でおぼれそうになってたカラスを
たまらず拾ってしまったけれど、結局死んでしまって
『自分がしたことは正しかったのか?』と思う彼女が好きです。
そうそう、もう1冊の彼女の本『ほんじょの天日干し。』の55ページに
ニャンと桜の写真が載ってます。
これを見てにっこりするあなたはヒヤと同族かもよ。


長月壱拾四日

浅草の職人さん

昨日浅草の「長谷川商店」さんに行ってきました。
ここはあちこちのキモノ関連HPで紹介されている問屋さんで、
豊富な品揃えの中から選んで安く買えるし、
ちゃんと足にあわせて鼻緒をすげてくれます。
このお店は土日祭日はやっていないので、平日めったなことでは
こられないヒヤは今日がチャンスとばかりに一度に
下駄と草履をあつらえるつもりです。
お店のおかみさんらしき方に一緒に選んでいただいて、
おまけにキモノの着付けのコツや、足袋の選び方も教えていただきました。

草履の鼻緒をすげてもらっている間に、
お茶をいれていただいて(またこのお茶がおいしかった!)
おかみさんや職人さんたちといろんなお話をしました。
昔は日光の履物屋さんにも品物を卸していたそうですが、
今では栃木県内だと足利ぐらいしかないとのことでした。
それにしてもねえ、職人さんの手仕事の鮮やかなこと。
「使い捨て」が主流になってしまったこの世の中、
職人さんたちがどんどん姿を消している。
日光でも日光下駄の技術を継承する人を養成するのに苦労しているし、
日光茶道具をつくる職人さんはもういないらしいです。
「みんな歳の人ばかりでしょう。だからお店は土日祭日は
休みにしているの。」とおかみさんは笑っておられましたが、
つまりそれだけ後継者がすくないということなのでしょう。
ハイテクもいいけどさ(そのおかげでヒヤみたいな機械オンチでも
HPなんかやってるわけだけど)、
職人技が絶えてしまったら日本はどうなっちゃうんでしょうねえ。