長月壱拾壱日

壊れた心

また9月11日が廻ってきた。
日本テレビでは、テロ発生時の消防士達の活動の
映像を放映していた。
ニュースだけではわからなかった直後の惨状や
消防士達の使命感ゆえの行動に恐怖・怒り・感動を覚えた。
でも、その後『筑紫哲也NEWS23』で『アフガンの子供が見た正義』をみて
やりきれない気持ちになってしまった。
日本のNPOのアフガンでの戦災孤児ストレスケアクリニックの
活動が紹介されていた。
アメリカ軍の誤爆で家族を失い心身に異常をきたした子供たちが
治療を受けてる様子が映し出されていた。
誤爆で8人の家族を失った少年。
いつも家族のお墓の前で泣いているという彼は、
アメリカへの憎しみの言葉を口にすることはない。
彼の心の葛藤は全身の痛みという形で表現されている。
マッサージを受けながら、
『外国にいきたい、アフガニスタン以外ならどこでもいい』と言う。
『人を怨む気持ちを内側に秘めて、ある日突然暴発するような
テロリストになるような、そういう選択肢ではなくて
本気で応援してくれる人がいるんだと少しでもわかってもらえば』と
NPOの代表が話していた。
誤爆のショックで完全に精神に異常をきたしてしまった
小さな男の子と女の子がいた。
笑顔が似合うはずの愛くるしい少女、
その虚ろな瞳は何を映しているのだろうか?
アフガンのナースが『外国人にとって私たちの命はタダ同然』と語っていた。
でもタダなのは外国人だけではないのだ、戦争では。
湾岸戦争時、アメリカが同軍の戦死者の数をあらかじめ割り出して
死体輸送用のパックを作っているというニュースを耳にした時、
戦闘そのものの映像よりショックを受けた。
国の正義のもとでは多少の犠牲は当たり前という
決して公には語られない事実。
戦争とはそういうものなのだ。
番組は『この子達の心がいつ元に戻るのか、それもわかりません』
というナレーションで結ばれていた。


文月弐拾九日 月齢20.1 
みずがめ座δ流星群極大

がんばれ!

家に帰ったらまだ薄明るかったので、薔薇の剪定をした。
夏の薔薇は虫の格好の食料だ。
毎年うちの薔薇には“常連"の虫がやってくる。
ハダニはもちろん、園芸本にはのっていない
テントウムシもどきや尺取虫もどきなどなど。
剪定後薬を散布しようとしたら、
お気に入りのオレンジの薔薇にバッタのご親戚が
しがみついているのをみつけた。
近寄ってみてみると、2、3日前にもみつけて
お引越ししていただいた片方の後ろ足がない
バッタのご親戚虫だった。
先日は花が咲き終わった撫子の鉢植えに引越ししてもらったら、
テッペンまで昇ったとたん花壇(というより雑草ジャングル)に
落っこちてしまったのだが、
また頑張ってここまで昇ってきたのだろう。
再度のお引越しを願うのも気の毒なので
そのままにしておいた。


文月弐拾六日

ちょっとな〜

仕事帰り、某ドラックストアに寄る。
レジで私の前に並んでいたのは、小学生の子供連れのおかあさん。
別にジロジロみていたわけではないのだが、
彼女の買い物の内容をみて思わず首をかしげてしまった。
買っていたのは某大手メーカーの“子供用”ドリンク剤。
何年か前のニュースでみたのだが、東京だったか
ドリンク剤のスタンドバーだかがあって、
塾帰りの子供が疲れた顔でもっともらしい顔で
子供用〇ポ△△ンとやらを飲んでいたのをみて
ぞっとしたのを思い出した。
かと思えば・・・・
国道の事故多発地帯の見通しの悪いカーブのところを
よりによって道路のど真ん中を自転車並進で走っていた
トホホなカップルがいた。
轢いてくださいと言っているようなものだが、
自分達はいいだろうけど、不運にも加害者になってしまう
ドライバーと救命のために駆け回る私達のために
そういう行為はやめてほしいな〜


皐月参拾壱日

それだけでうれしいこと

朝、更衣室でKさんと一緒になった。
先週の金曜日転勤するドクターの送別会に出席したのだが、
翌朝早く出かける予定だったので、ワタシは宴会途中で抜け出して帰った。
場がしらけないように周りのヒトと幹事さんにだけ挨拶していったのだが、
そうとはしらないKさんは、ワタシがトイレにたったまま戻ってこないと思い
随分心配したとのこと。
Kさんにも声を掛けて行けば良かったね、御免なさいねとあやまりつつ、
嬉しいワタシ。
だってねえ、つまらない理由で簡単に人殺しだってしちゃうこんな時代、
ヒトに心配される、気遣いしてもらえるというのは
一番幸せなことなんじゃないかしら?と思うのです。

皐月弐拾七日

特別サービス

5月25・26日に万座温泉に行ってきました。
本当は5時に家を出発するはずだったのが、
トロトロのワタシのせいで1時間遅れの出発。
でもこの遅刻がラッキーのモトでした。
日光金谷ホテル〜馬返間は、野生の藤の花が綺麗。
竜頭の滝周辺はトウゴクミツバツツジが見頃。
それだけでも目に嬉しい景色だったのに、その後には
めったにお目にかかれないスペシャルプレゼントが待っていました。
それは戦場が原に綺麗なアーチをえがいてかかった大きな虹。
子供の時からアホなくらい月と虹が好きだった私。
急いで車のトランクからカメラを引っ張りだしました。
天気予報では夜は曇るということだったのですが、
万座の夜空は雲ひとつない快晴。
そしてぽっかりおおきな円い月。
部屋の窓から双眼鏡で久し振りの月面観測を楽しみ、
露天風呂でお月見をいたしました。
これだけでもなんて贅沢と思っていたのに、
翌26日の鬼押し出し園ではイワカガミの群生をみることができ、
さらに帰途では、金精峠から男体山にかかる虹に遭遇。
2日続けての虹見なんてそうできることではありません。
大満足でお家に辿りつくと、白モッコウ薔薇が咲きそろって
出迎えてくれました。
お金では買えない自然の贈り物を沢山頂いてしまった
ワタシにとってはとても贅沢な一泊旅行になりました。


皐月弐拾参日

元気でよかった

朝新聞の番組欄を眺めていると
『羽中田昌』という名前が目に飛び込んできた。
まだワタシが学生時代サッカーが好きだった頃に、
彼は山梨県の強豪韮崎高校の選手だった。
正月の高校サッカーでは1年生の時から活躍、
2・3位と優勝は逃してしまったが優秀選手に選ばれるなど
順調にいけば同世代の堀池巧や長谷川健太などと一緒に
初期のJリーグで活躍できたはずの選手だったと思う。
しかし三年生の時腎臓病を患い、思うようにサッカーができないまま
卒業となりその後名前を目にすることはなかった。
「わぁ〜、懐かしい!」と思った次の瞬間
『車椅子のコーチ』という見出しに目がくぎ付けになった。
大学浪人中、バイク走行中転倒し脊髄損傷となり車椅子生活になったとのこと。
受傷前からお付き合いしていた女性と結婚し、
役所勤めをしていた彼だったがサッカーへの夢を捨てきれず、
コーチになるために海外留学をして、現在ではBS放送の
サッカー解説などの仕事をしているという。
仕事で今までに幾人か脊髄損傷になってしまった方に出会ったことがあるが
まず障害受容できるまでの心のたどる苦しい道程がある。
そこをどう乗り越えるか、また周囲の人たち次第でもその後の
生き方が決まってくるように思う。
羽中田クンの場合、サッカーへの醒めることのない思いと
奥様の愛情が今の彼をつくりあげたのだろう、と思う。
どんな境遇にあろうとも、生き方・幸福のあり方を決めるのは自分自身。
今でも『あの時こうだったら』という気持ちは消えないだろうけど
そうして笑顔でいるあなたの姿がみられて
『生きていてよかったじゃない! 元気でよかった』と思うのです。