睦月弐拾六日 月齢23.6 

春は近いか遠いか

今日は、家の中で越冬中の鉢植えの水遣りをしました。
暖かい季節なら容易な水遣りも真冬は大変です。
外の水道は凍結して水が出ないので、
小さい鉢物はひとつずつ洗面台まで持って行って水をやり、
そのあとお風呂場で水をきってからもとの場所にしまいます。
大きな鉢は軒先に出して、家のなかで水を汲んだ如雨露で水やりです。
油断して夏場のように水をやっていたら、
軒先のコンクリートの床に流れた水がみるみるシャーベット状態に。
あわてて箒で水を庭に掃きだしたのですが薄く氷が張ってしまい、
スコップなどでガリガリ氷をはがす羽目になりました。

冬真っ只中の我が家にひきかえ、春がいっぱいなのは
柔道のヤワラちゃんかな?
婚約発表会見でのやわらかい笑顔が素敵でした。

笑顔といえば、この季節の代表選手はジャンプの原田選手だけど
成績が低迷しているらしく、今札幌で開催されている大会では
テストジャンパーだったそう。
コメントを求められて困惑した顔が気の毒でした。
いつも『笑顔のひと』でいることを求められるのは辛いよね。


睦月弐拾五日 月齢22.6

迷子の日本人

今日は歯医者さんに行った他には
昨日買ってきたDVDや本を見たり聞いたりしながら
ひたすらぐ〜たらに過ごしてしまいました。
昨日買った本の1冊は仏師の西村公朝さんのもの。
公朝さんのお顔や仏画を拝見するとほっとした気持ちになります。
おうちでの公朝さんは、奥様のエプロンから縫いぐるみの
スヌーピー(!)の顔にまで隙間があれば仏様のお顔を書いちゃうそう。
でお孫さんたちは御両親に「おじいちゃんに落書きされるから、
大事なもんはしもとき」と言われているとか。
生まれてきたからこそ喜びも悲しみも味わえるのだと、
人生を前向きに捉え、いつでも「生まれてよかった」と感謝する、
それが毎日を幸せに生きる秘訣と仰る公朝さん。
いつか愛宕念仏寺に行って実物にお会いしてみたいです。
もう一冊は佐野籐右衛門の「桜のいのち庭のこころ」
まだ読んでいる途中ですが、印象的だったのが
「庭は手入れでなしに守りですわ」というところ。
手入れというのは散髪するようなもので、そのときだけ
良ければいいということだとありました。
守り(もり)は今までこうだったからこの後どうなっていく、
このままにしておいたらなくなるからどうしようかと
つねに考えること。
「自然は相手を知って守りをするしかないんです」
今桜がどんどん減っている理由や、近頃流行の屋上庭園を
「なんであんなアホなことをするのか」と思うことなど
読んでいると現代人がいかに自然というものを知らないか
思い知らされます。
昨日書いた「空中都市008」のような明るい近未来も
今の所実現できていないし、
昔ながらの生活の良い面も置き去りにしてきてしまったし。
今の私達って、コンクリートの下で
息切れしちゃってる木の根っこみたいなものかしら?


睦月弐拾四日
月齢21.6 月が最近

こんなはずじゃなかった未来

『空中都市008』のDVDをみつけました。
『空中都市008』とは、1969年〜1970年に
NHKで放映されていた人形劇です。
これは小松左京氏のSF『アオゾラ市の物語』が原作です。
ちなみにあの田中耕一さんの小学校時代の愛読書だったとか。
当時はよく幼児向け雑誌にTVのドラマやアニメが
マンガ化されたものが載っていたのですが、
(たとえばチャコちゃんシリーズとか忍者ハットリくんやパーマンとか)
この『空中都市008』も幼児向け雑誌で
マンガ化されたものを読んだ覚えがあります。
主役の女の子の未来ファッションと
空中の校庭(?)で遊ぶ子供たちの絵が印象的でした。
その数年後小学校の図工の授業で未来の町を描くことになって、
その絵を思いだしながら描いたなあ、そういえば・・・。
子供の頃のお話の中の『近未来』は科学が発達した明るい世界でした。
今年はアトムの誕生した年、アニメや絵本でみた
『近未来』の世界にたどりついたわけですが、
現実は随分違ってしまったようです。
未来都市の想像図によくあった、ドーム化され
気象も完全管理された都市でのなんの不自由のない生活が
すべて良いとは思わないけれど、
少なくともこんなにすさんだ世界がまっているとは
だれも思っていなかったでしょうね。
どこでどう道が違ってしまったのでしょう?

弐千参年睦月壱拾七日 月齢14.6 
自分のスピードで

テレビの阪神大震災関連番組はめっきり少なくなってしまい、
8年の歳月が過ぎた今では、
すっかり元通りの町並や生活を取り戻したように錯覚してしまう。
町が変わっていくスピードになかなか人の心は追いついていけない。
一度傷つき壊れたものが、100%元通りになることはない。
欠けてしまった何%を受け入れることも難しい。
欠けてしまったもの、かけがえのない家族や友人、家、仕事
目に見える形あるもの、目に見えないもの。
その大きさと重さは本人にしか分からないし、
あるいはその本人にも分からないかもしれない。
これではいけないと、胸の奥に無理やり押し込めて
急ぎ足になろうとするのはつらいことだ。
自分のスピードで歩くことを世の中はなかなか許してくれないなあ。
ここにいた方たちが今はどこでどうしておられるのかはわからないけど、
たとえゆっくりでも前に向かって歩まれていますように。