台風一過の喜界島(2004.10)

今年は台風にやられっぱなしだ。6月下旬千葉に調査を予定していたが、台風6号で中止した。8月下旬には福岡で研究会を予定していたが、台風16号のため1日で切り上げざるを得なかった。9月8日から11日まで喜界島に行くことにしていたが、猛烈な台風18号の直撃を受け、やきもきした。幸いなことに8日には通過したので飛行機は飛んだ。喜界島は元来平たい島であるが、百之台という標高200mほどの台地がある。その台地の上まで塩害にやられていた。サトウキビだけではない。台地の傾斜地に生えている木々まで褐色に塩を受けていたのである。サトウキビはことごとく倒れ、葉がもがれ、無惨な姿だが、それでも減収率は5〜10%だという。1〜2週間もすると再生するのである。いかに災害に強い作物かが分かるだろう。

 喜界島では、ある集落の全戸調査を行った。鹿児島の農村では老人の独居世帯が多いのには慣れているから驚きもしないが、空き家が多いのには驚いた。ざっと集落の3分の1が空き家になっていた。この集落は石垣が美しいことで有名なのであるが、石垣で囲ったその家の入り口には木や鉛管の柵が設けられ、人が入れぬようにしてある。従って立木が生い茂って中は藪の状態になっている。本土や奄美大島に引き上げるときに家を閉め、遺骨を持って墓を倒していくそうである。一層空き家が目立つわけである。

 その一方で、喜界島には近年国営事業で地下ダムが完成し、基盤整備もあらかたすんでいるので、広大な農地が整えられた。サトウキビは斜陽であるが、災害に強いその性質からいっても地域の「基礎作物」である。近年は小型ハーベスターが導入され、収穫面積の半分くらいは機械収穫になっている。いま喜界島で元気があるのは白ゴマと肉用牛である。健康ブームとBSEによって追い風に乗っているわけである。白ゴマは日本一の産地であるという。過疎はすすみ、次世代の農業者がまだまだ育っていないが、望みはあると感じた。

 喜界空港の脇に、スギラビーチという珊瑚礁に囲われた海水浴場がある。観光シーズンは過ぎたが、台風一過で晴れ渡り、絶好の海日和だった。眺めているうちに泳ぎたくなり、短パンのまま久しぶりに泳いだ。鹿児島に戻って8年目にして初めて海で泳いだことに気がついた。(『博友』第56号2004.12


国立大学法人の財政会計制度の危険性

国立大学法人がどのような姿になるのか分からない状態が続いていましたが,法人化 案の概要も出て,姿が明らかになりつつあります。 財務会計制度もまだまだ分からないことが多いのですが,皆様に情報提供という意味 を含めて,私見を述べておきたいと思います。

なお,財務会計制度専門委員会ワーキンググループの議事録及び資料は http://hm.kuas.kagoshima-u.ac.jp/houjin/hozon/senmon/index.htm にて随時公表される予定ですので,ご覧ください。

現在の法人化の状況は国立大学が首に縄を掛け,踏み台を足で蹴ろうとしている状態 だといえるかと思います。 財務会計制度の細かい点はさておくとして大きく4点の問題があると思います。
まず,法人化後の財務会計の仕組みを概略説明します。 法人化後の大学会計のバランスは
(費用)     (収益)  人件費+物件費=自己収入(=学生納付金+病院収入等)+運営費交付金
となります。運営費交付金は「学生数等の客観的な指標の基づいて共通の算式で算出 される標準運営費交付金」と「客観的な指標によることが困難な教育研究施設の運 営や事業の実施に係っての収入・支出額の差額で算出される特定運営費交付金」に分 かれて交付されますが,育英会「奨学金」がその実「貸付金」であるのと同様,「交 付金」といっていますが,実は「貸付金」のようなものです。

さて,上の算式をみて分かる第1の問題点は,「自己収入を増やせば運営費交付金が 減らされるということです」。これまでは自己努力によって増やした収入は剰余金と して自由に運用できるようなイメージがありましたが,「剰余金」となるのは文科省 から「認定」を受けたものだけになりますので,むしろ「そんなに自己収入があるな らば,運営費交付金は減らしてもよいだろう」ということになると思います。

第2には,経費の節減を図ることが教育研究費の確保につながらないということで す。「運営費交付金」は一定の算式で算出され交付されますが,交付された後は「渡 切費」といって各大学での使途は特定されません。従って教育研究費を確保しようと すると管理運営費や人件費を削ろうということになります。では削った分が教育研究 費になるかというとこの分は翌年の予算の積算の場合に「それで運営ができるのであ れば,積算の単価を削ることができるのですね」ということでこれまた運営費交付金 の節減につながる恐れがあります。

つまり,収入を増やしても経費を節減しても運営費交付金は減額されていくという仕 組みになっています。

第3に,それならば収入の増加や経費の節減を敢えて行わず現状で行けば少なくとも 現状維持はできるのではないか,と考えられますが,それも甘い。運営費交付金は毎 年1%減額されることになっています。なによりも文部科学大臣任命の監事の存在, および半数以上の学外者で構成される経営協議会の存在が肝要です。つまり経営努力 が足りないという評価を受け,努力を怠った部局にペナルティが来ることが考えられ ます。逃げ道がない。

第4に,運営費交付金は「渡切費」なるということですが,これは大学の裁量の幅を 広げることになり,一見自由度が増したように見えますが,法人化後の当該法人が採 用する組織,人事制度のあり方次第ということになります。能力別給与方式を大幅に 入れようと思えば入れられるなどその面では自由になります。しかしなによりも一方 では学長(理事長)の権限が大幅に(絶対的に)強化されていることを忘れてはなり ません。つまり大学の裁量ではなく「学長の裁量の自由度」を増しているということ になります。

以上,述べた点だけをみても,大変な制度だと思います。私見ですが,国立大学法人 法には反対した方がよいと思います。


アメリカ農村の旅

昨年夏と今年11月アメリカ中部アイオワ州とネブラスカ州の農村調査に加わる機会があった。調査の目的は農業経営継承の国際比較である。日本と比べると巨大なアメリカの農業も家族で営まれるものが多い。しかもその家族が継いでくれない場合も多い。そのため家族農業を次の世代の家族農業として継承していくためのリンク・プログラムが草の根レベルで取り組まれている。アイオワ州立大学やネブラスカ州立大学のファームオン・プログラムもそのひとつで身内に後継者のいない引退予定者と農業に参入したい若者とをつなぐプログラムである。昔と違い今の大規模な農業経営を継いでいくのはアメリカの農業でも大変なことである。そのためのマッチング(お見合い)、経営計画、投資計画、資金計画などを作り、特に新旧世代の話し合いの場を作るのである。大学だけでなく、農業NPOも熱心に取り組んでいる。

ネブラスカ州ノーフォークに住むタイドさん(いずれも人名は仮名)を訪ねた。タイドさんは農業をやりたいが土地も資金もない。一方、ピーターさんは経営を誰かに譲って引退したいが、コミュニティと何の関わりあいも持たない農企業に譲り渡すのは嫌だと考えている。このような両者をマッチングさせるのが、ネブラスカ州立大学のエクステンション(普及)の仕事となっている。もちろんどこでもやっている活動ではない。家族農業と農村コミュニティを守ろうという強い意志のもとに行われている活動である。さまざまな問題を乗り越えて経営継承が成功するのだが、最も重要なポイントは引退する側、つまり年寄り世代の若者を育てて家族農業として根付かせたいという意思である。

さて、このような場合に選択されるのが有機農業である。昨年訪ねた経営継承を果たした数事例と今年のタイドさんの事例は有機農業に取り組んでいた。新規参入した若者がいきなり数百haの大規模経営を営むことはできないので、小面積で付加価値の高い有機農業を選ぶケースが多いのである。トッドさんの場合には有機畜産で豚を出荷していた。

私は研究者としてこのような家族農業の経営継承について関心があり、国際比較調査に参加しているが、経営継承に際して有機農業が重要な選択肢であることを認識するとともに、家族農業を守っていこうとするアメリカ農村がもっている精神にも感心した。しかしその一方で、これらの人々が有機農産物の市場としての日本の可能性について熱心に聞いてくることについては複雑な思いであった。


「エイズ最前線」
話が少し重くなるかもしれない。今手元に谷口巳三郎著『エイズ最前線』(熊日出版)という本がある。北部タイのパヤオ県で「二一世紀農場」を開き、農業開発のボランティア活動を行っている谷口巳三郎先生のエイズ患者援助についてのエッセー集である。
「二一世紀農場」における谷口先生の活動は多岐にわたる。エイズ患者支援は北部タイの農村開発活動の中でやむにやまれず、しかし必然的に始められた活動であった。谷口先生は医師ではないので、治療活動を行っているわけではない。北部タイの農村で活動している中でエイズ患者が爆発的に増え、その根因が農村の貧困問題にあると認識し、深い同情を寄せて支援活動始めたのである。本書では、死にゆくエイズ患者の心の支えとならんとの思いがつづられている。

「国際協力体験農業講座」
鹿児島大学では共通教育科目のカリキュラムの中で「国際協力農業体験講座」を数年前に立ち上げた。国際協力の現場で農業を体験しながら研修を受けたり、ホームスティをしたりして発展途上国の農村の実態、国際協力の在り方などを学ぶ講座である。事前事後の講義と十日間ほどの海外実習をタイとミャンマーに分かれて実施しているが、タイでの受け入れ先が「二一世紀農場」で、研修スケジュールは谷口先生に立てていただいている。二〇〇二年の研修スケジュール例を示そう。
(一日目)オリエンテーション、農作業実習、モン族寮訪問、レクチャー。
(二日目)朝市見学、アカ族寮訪問、アカ族集落ホームスティ。
(三日目)谷口先生レクチャー、海外青年協力隊員との交流。
(四日目)パヤオ農業高校訪問、郡農業普及所訪問。
(五日目)ミャンマー国境税関訪問、ゴールデントライアングル見学、地元農民との交流。
(六日目)エイズセンター訪問、農協、農業銀行訪問。
(七日目)高地民族学校訪問、高地民族支援活動見学。
(八日目)メジョー大学(チェンマイ)訪問。
このように二一世紀農場での実習と谷口先生によるレクチャー、エイズ患者との交流、農業高校訪問、高地民族村でのホームスティ、ゴールデントライアングル見学などを行っている。
 毎年全学部から一〇〜二〇名の学生が一〇万円程度の実費がかかるにもかかわらず受講しており、本年度で五年目になる。感想は様々である。高地民族が焼畑を禁止され、麻薬の密売に手を出さざるを得なくなる事情、結婚前に夫がした買春によって母子ともにエイズに感染する例、毎年起こる洪水によって収穫皆無になる水田。こういう事実をみた率直な驚きと自分の無知のへ反省が書かれている。


二一世紀農場の活動
 二一世紀農場は、谷口巳三郎先生が熊本県を退職し、その退職金を持ってタイに乗り込み、悪戦苦闘の末築いた個人プロジェクト農場で一九九六年にタイ政府からNGOとして認可されている。タイで活動を始めてほぼ二〇年になる。多岐にわたる活動は我々の研修プログラムからもその一端が分かるが、実に幅広い。
一、タイ農村青少年を毎年二〇名選抜して全寮制で農業後継者として育成している。二、タイ農民に堆肥技術、稲作技術などの農業技術研修を行っている。三、日本からの青少年及び農民を受け入れて研修している。四、農村婦人の授産、売春婦対策としてミシンの研修、貸与。五、エイズ罹患者への医療費援助、幼児へのミルク供与、ミシン研修、素畜、飼料の貸与(この活動が『エイズ最前線』に記載されている)六、日本の里親を募り、奨学金制度を設けて就学を援助、七、高地民族の自立を支援し、緑を回復するための「高地民族の果樹の森」運動、八、タイの将来を担う青年を日本に農業研修派遣などである。
 二一世紀農場は二五ヘクタールの敷地があり、果樹園、水田、畑、養魚池、竹林があり、有機農業を実践している。スタッフの住居、食堂、学生寮、研修寮、農機具舎、畜舎があり、谷口先生の他、数名のタイ人スタッフと寮生二〇名が居住している。  タイ政府からの支援はない。日本側からの公的な支援は「少額無償援助」「ボランティア活動援助資金」などを受けたことがあるが、大部分は二一世紀農場を支援する「タイとの交流の会」「北部タイ農村振興支援会」が集めた資金によっている。谷口先生は八〇歳に近い高齢になられたが、身を削り、心を砕いて献身的に活動しておられる。


体験と実感
 「日本の青年はつまらなくなっている。彼らに希望を持つことはできない。」それが、谷口先生がタイの青少年を教育しようと思われた理由だという。一番困難なところに希望につながるもの、一番やらなければならないことがあるということであろう。もしわれわれが日本の学生に希望を持つことができるとすれば、高地民族と麻薬、農村の貧困とエイズ、民族の移動と国境などアジアの農村の最奥で起こっている様々な問題を目の当たりにして何かを感じ、日本に帰国してからもその実感を反芻し、何らかの実践につなぐことができる学生が生まれたときであろう。
 日本の大学で農村問題や食糧問題を講義していても、その本当の意味や問題の深刻さを、実感を持って伝えることはできない。日本での生活実感が途上国の農業・農村問題や食糧問題とかけ離れているからである。この実感の差は年々広がっていくような気がする。体験させることがもっともよい学習方法となる。体験を実感に転換し、実践につないでいくことができればよい。そういう思いで「国際協力農業体験講座」という科目を立ち上げた。しかし、学生諸君に本当に願っているのは、谷口巳三郎という高齢の日本人が病身をおして献身的に活動しているその生きざまを見て、感じ、学んで、志を継いでほしいのである。

(『農林統計調査』2003.9)