農業者のライフスタイルと農業経営

鹿児島大学農学部 岩元 泉

 

1.    農業経営政策と農業経営

 「食料・農業・農村基本法」がそもそも市場経済原理の貫徹と農村の多面的機能の維持という二元的側面を持っていたわけだが、農村政策について有効なビジョンを打ち出せないでいるうちに,ここにきて構造改革の名の下、効率の追求が財政施策の面から強調されるに至った。本年8月30日のいわゆる「経営改革大綱」は「育成すべき農業経営」に生産要素を集中するなどの重点化を行い,施策の効果が「育成すべき農業経営」に帰属するように集中化するという選別政策を明確に打ち出した。しかしその後,食糧庁の米政策の見直し作業においては「副業的農家」を稲作経営安定施策から除外することについては農家,JA,自民党から猛反発があり,先送りをせざるを得なくなった。

 「経営政策」が個別の経営体の発展,成長に資するための施策を意味するならば,漠然と農業一般に対する施策とは区別され,有効性を持ちうると考えるが,現在の「経営政策」は施策対象を絞り込むための選別用語として「経営」が使われているような気がしてならない。しかし改めていうことでもないが,元々「経営する」ということマネジメントは経営主体の意思決定に選択肢があり,複数の選択肢から自らの経営戦略に乗っ取った意思決定が可能であるということが前提となっている。その意味では日本の農業においては「経営する」余地は少なかった。自分の経営する農場の立地ですら自ら選択することは困難だった。土地,水利,資源利用,集落,慣行,販売組織,価格,制度,などあらゆる点で与件が強固に意思決定の自由度を制約していた。皮肉にか,あるいはそれが経営力なのか,施策のほころびから経営の自由度が広がっていったといえないだろうか?ヤミ小作から農用地利用増進事業が生まれ,ヤミ米流通から新食糧法が生まれたように。

 だから,あえてアイロニカルにいうと,経営発展が経営者の自由選択可能な経営活動の範囲を広げることによって促されるとするならば,経営活動の自由を奪っている種々の規制を緩和することによって経営発展は促される。むしろ既に経営感覚に優れて自立している経営者ほどこのような見解を持っている例が多い。だからといって経営政策の必要を否定しているのではない。本当に経営政策が対象とするのは既に自立している経営者ではなく,まだ政策的支援を必要としている経営者であろう。そうだとすると,「経営政策大綱」が「育成すべき経営」としている「認定農業者」のいる農業経営の吟味が必要である。「認定農業者」のいる農業経営には経営政策を必要としている経営もあれば,経営政策を必要としない経営もあるからである。

 

2.    人を作る経営政策

 途中の脈略を省略して結論的にいうと,農業経営政策は「人を作る政策」でなければならないと思う。もともと協同農業改良普及事業でも優秀な農村の人材を作ることが唱われていた。しかし普及事業はハードを作り,システムを作ってきたが,肝心の人を作るという点ではうまくいっているとは思えない。日本の農村は優秀な人材を輩出すると同時に,また多くの優秀な人材を排出してきたことは確かであるが,それは施策によって作り上げられたものではなく,農村で育った資質によるものである。この資質の上に,経営者としての資質を重ね合わせていく方策が必要となっている。そのためには,自主的に物事を考える人材を作る人材が必要である。直接には,普及センターやJA営農指導員の人材に農業経営経済や経営学プロパー,社会学,人材能力開発,コミュニケーション技術等の専門家が採用される必要がある。また優れた経営者が他の経営者を教育指導するFarmer to Farmerの経営能力開発システムもこれからの課題となるであろう。

 

3.    農業経営の継承問題

 日本農業全体を考えた場合には経営継承の問題を,家族農業経営を基軸に立て直すのが,経営政策として重要な課題であり,「人を作る政策」も継承問題を柱に構築することが可能である。基本法農政においては自立経営育成だけがいわれて,その継承についての配慮がなかった。すなわち,これまでの農業政策では真の意味の経営継承政策は行われず,経営継承は農家の個人的事情・裁量に任されてきた。その結果が今日の農業経営後継者難である。

農業経営の継承については大きく見解が分かれる。家族経営は経営継承という家族規範が薄れたために不安定要素を持っており継承性には難があるという見方と,継承性の点では家族の方が優れているのであって,むしろ組織や企業の継承性には利益が上がらなければ継承を放棄するという点で難があるという見方がある。農業にとってどちらがふさわしい形態かということも論証されるべき大きな課題である。しかし,仮に新政策が10年後に15万の「個別経営体」の育成に成功したとして,おそらくその8〜9割は農家家族出自の経営者による経営であろう。これからの家族の形態は予測しがたいが,家族という社会的単位が当面は存続し続けるならば,その現実的な存在から将来の経営形態を構想する以外にはない。したがって家族農業経営の継承ということが依然として日本農業の大きな課題であるといえる。

ひるがえってアメリカにおいては家族農業の理念は深く建国の理念に基づくといわれ,家族農業を守るということも,一方にメガファームが成立し,系列化された会社農場が創生される中においても,まだ理念として生きている。次に不十分な検証しかしていないがその事例を紹介しておきたい。

 

4.    アイオワ州立大学ビギニングファーマーセンターのファームオンプログラムに学ぶもの[1]

 アメリカ中西部の穀倉地帯に位置するアイオワ州のアイオワ州立大学ビギニングファーマーセンターを訪れる機会があった。このセンターは1994年アイオワ州議会議員と普及員による協議の結果、州法に基づき設立された。アイオワ州立大学のエクステンション部門の一部門として,同大学経済学部の支援を受け,弁護士のジョン・ベイカー氏を責任者として1名の専任スタッフと15名の協力者によって運営されている。このセンターの目的は@新規就農者に対する教育プログラムと支援,A新規就農者と引退農業者の要求の調整,B新規参入と引退者の家族に対する教育の開発、調整、供給提供、C財務管理・計画、法律事項、税制、生産技術と管理、リーダーシップ、持続的農業、健康、環境についての技術と知識の開発についてのプログラムとサービスを提供することにある。

その主要な活動として注目されるのが,ファームオンというプログラムである。このプログラムは「新規就農希望者と離農予定者とをマッチングさせる」ことを目的としたプログラムであり,現在まで就農希望者延べ740名と離農希望者延べ150名を対象として80件余りのマッチングに成功している。ここでいう新規就農希望者とは,@農業をやりたいと思って道を探している人,A農業をやりたいが資金がない人,B時間、エネルギー、資源と汗をつぎ込んで農業をやりたい人,C農地を持たない人,D参入に際して大きな負債を避けたい人,となっている。資金がなく,土地がなく,つてがなく,しかし農業をやりたいという情熱を持っている人ということになろうか。その一方で,離農希望者とは,@この5年から10年以内に引退したい人,A農業を続ける家族がいない人,B農業を続けてほしい人,C新規就農者の助けがほしい人,CD節税効果を最大限にしたい人,DE若い人が農業を始めることによって家族農業経営と地域社会を守ってほしいと考える人となっている。すなわち,家族に農業後継者はいないが家族農業を継承してほしい人ということになろう。最後のDEの規定に家族農業を家族農業として継承したいというアイオワ州と州立大学の強い意志が感じられるのである。

 ファームオンプログラムではまず,就農希望者と離農希望者がそれぞれ応募書類を提出する。そして就農希望者のリストを離農希望者のもとに送り,離農希望者が就農希望者を選定する。そこで交渉が行われる。交渉が成立したならば互いに身元保証人を立てたのち,移譲のためのシュミレーションを行う。そして具体的な移譲計画を立て,その実施に移るのであるが,通常は数年の試行期間をおくという。

 このプログラムの中で,最重要視されているのが図1に示す農業経営計画である。この農業経営計画の作成手順においてはコミュニケーションスキルや意思決定スキルなどの人間関係に関する能力開発とそれに基づく自己の価値宣言が重視される。このプロセスが非常に重要であると感じた。このプログラムの中で行われるVALUE STATEMENT(価値の宣言)では,@私にとって何が重要か,何を大切に思っているか(価値),A将来をどのように展望しているか(将来),Bなぜ私はここにいるか,何を信じているか(使命),C自分は何をしたいのか,何になりたいのか(目標),Dそこにどうやってたどり着くか,どのようにしてたどり着いたことを知るか(目的)Eどのようにして達成するか,どんな計画で(戦略)F戦略を達成するのに何が必要か,誰が必要な活動に責任を持つのか(戦術)などを参加者は書き表し宣言することになっている。この価値の宣言が具体的な事業計画,引退計画,移譲計画,資産計画に反映することになる。

本当に農業をやりたいのか,何のために農業をやるのか,どんな農業をやりたいのか,そのためにはどうするべきなのかが根本的に問われるわけである。経営計画がこのように根元的な問いかけから成り立っているということに注目したいのである。この問いかけはいわば生き方に対する問いかけである。ライフスタイルを問うているのである。そのライフスタイルにあった農業経営計画を立てるべきであるということになる。そのことは経営移譲をする際にも基本的に重要な事柄とされ,単に経営資産を引き継ぎ,事業を継承すればよいというものではなく,志(こころざし)をも継ぐべきものとしている。

 

5.    日本における家族経営の継承問題

 先にも述べたように日本の農業において経営継承問題は軽視されてきた。経営継承は個人の事情によるもの,あるいは農家の相続に付随するものとして取り扱われ,施策の対象になることはなかったといってよい。しかし農家の相続(あとつぎ)が行われたからといって農業経営の継承が行われるとは限らなくなったことはいうまでもなく,農業の継続が担い手問題や組織化問題に解消される中で,継承という観点は全く欠落してきたために,農業の継続性が危ぶまれる事態に立ち至っている。農業の持続性は農業経営の継承によって支えられる。改めて農業経営政策において経営継承問題が重視される必要があること強調しておきたい。

 

6.    農業経営多様化の根拠−目標の多様性

 それと同時に,多様な農業の担い手という言葉で表されるように農業者は定義が困難なほど多様化している。それは農業に対する目標が多様化しているからである。『ファーム・ファミリー・ビジネス』で示されているように[2],@所得の最大化や資産の増加という現実的目的以外にも,A農作業をすること,野外で仕事をすること,管理された時間からの解放などの農業に本源的な目的,B農村社会に寄与したい,家族とともに過ごしたいというような社会的目的,C創造的であり,自己の充実と成長を求めるというような個人的目標など,人々は多様な動機と目標で農業に携わっている。企業的な農業であっても単純に利潤や所得の増大だけを求めてはいない。豊かな生活や地域社会への貢献を目的に加えて活動している。経営政策はこのような多様な目標を持つ家族農業経営を包括するものであってほしいが,「育成すべき農業経営」という選別政策では望むべくもない。

 それでは農業経営者自身が経営目標の多様性を認め,自覚しているであろうか。先にアイオワの事例で見たように自己の価値宣言をして,自分の農業経営の目標を根元的なところから問うているだろうか?現実の「認定農業計画」や経営継承の調査を通じてみると,経営目標をしっかりと立て,その目標に従って経営計画を立てているところは少ない。その意味ではライフスタイルを確立していない。本当に農業をやりたいのか,何のために農業をやるのか,なぜ自分が農業をやらなければならないのか,どのような農業をしたいのか,そのためにはどうすればよいのか,そのような根元的な問いかけによって確立したライフスタイルに基づく経営目標と経営計画が必要であろう。

 

 



[1] この項,アイオワ州立大学ビギニングファーマーセンター資料,同ホームページおよび内山智裕氏(東京大学大学院)提供資料による。

[2] ルース・ガッソン、アンドリュー・エリングトン著ビクター・カーペンター、神田健策、玉真之介監訳『ファーム・ファミリー・ビジネス』(筑波書房,2000),82-83pp.