[ 2260] 新しい出会い 記入日時 2011年05月08日(日) 7:20 

一週間があっと言う間に過ぎました。
疲れはありますが、大丈夫。今日も忙しい一日が始まりました。
この日記は備忘録を兼ねているので、いまBBSから転載しました。
この素晴らしい経験が出来たのも、コナちゃん、リーダー伊藤さん、伊藤さんの友人の有本さん、この3人のお陰でした。
統率力ある伊藤さんは用意周到で、大勢仲間に声をかけ、食料、衣料品などの支援物資を大量に集め、宮古に届けました。
有本さんはいつもは歌舞伎座で三味線をひかれる方なのですが、つてなく三味線を始めたように、バイタリティーあふれる方でした。
そして、コナちゃんのご両親にお会いできた事も大きかったです。
今でもマンドリンを弾かれるお父さん。さすがコナちゃんのお父さん。
顔つきも、優しさと話が大好きなコナちゃんにそっくりなお母さん。

行方不明者の事や、脳裏に焼きついた一面のガレキ。これらを思うといたたまれませんが、それでも今回の新しい出会いのおかげで心休まる気持ちになります。心を癒すのだと思います。こういう人の輪が、日本中に広がっているような気がします。
僕はまた忙しい日々を過ごします。しかし宮古が、いや被災地すべてが復興するまで、僕は応援し続けます。そして5年後にリタイヤしたら、東北地方をゆっくり回りたいと思います。5年後、どこまで復興しているのでしょうか。大変な事だと思います。
それまで宮古には定期的に行きたいと思います。次は夏休みになると思います。京急バス 品川⇔宮古を使ってみます。
コナちゃんのご両親にお会いするのが楽しみです。それまでお元気で!そして伊藤さん、有本さん、また飲みましょう!(^_^)


[ 2259] 抜けない疲れ 2011年05月07日(木) 7:49  記入日2011/5/8(BBSより転記)

連休明けと金曜日が重なり、昨日の議員宿舎は忙しかったです。

それでも6時には仕事を終えていつもの時間に寝て、今朝も5時に起きました。

でも、やはり体がだるい。疲れが抜けないですね。
明日が休みなので助かりました。

今朝は写真の整理をしました。150枚くらいの写真を90枚まで減らして、トリミング、リサイズ必要なものはしました。
明日にはアップします。

さて今日はお通夜が入りました。
大震災でまだ1万人の方が行方不明です。
お別れ出来るだけ幸せなのだと思います。


[ 2258] 東京への帰路 2011年05月05日(木) 16:42  記入日2011/5/8(BBSより転記)

いまコナたちと別れ、宮古発の列車に乗りました。
始発なので座れました。
盛岡−宮古間は国道もJR山田線もほぼ一緒に走ります。
山と渓流が綺麗なのです。紅葉が綺麗だとコナが言ってましたが、分かります。 盛岡までの2時間、ゆっくり帰ります。
さて、今日の話です。
(いま列車が発車しました)
今日の作業は幅が1メートルほどある側溝のヘドロ除去でした。
総勢24名ほど。
長さが200メートルあり、各グループごとに別れて側溝のヘドロをシャベルですくい、土のう袋に入れていきます。
長靴とゴム手袋を借りました。
悪臭と服に泥がつく中作業をすすめ、終わったのは今回もお昼過ぎでした。
コナ実家に1時半ころ戻り、自分で作ったおにぎりを食べました。
今回、コナのお母さんにはずいぶんお世話になりました。僕も台所を借りて料理しながら、よくお母さんと話をしました。
コナとよく似ています。顔つきもそうですが、優しさと話好きなのが似ているのです。
初めてお会いしてお話したのに、ずっと以前から知り合いのような気になっていました。
いま山田線は盛岡に向かって走っています。思うと山田線の景色はコナのお母さんのようです。
優しい木々の色、緩やかに流れる渓流。よく似ています。
ボランティアは二日間だけでしたが、掛け替えのない経験でした。
昨日、今日と作業中も終わって一息ついている時も、何度も話かけられ、お礼を言われました。
それだけでもいい経験でした。
ボランティアの人々は男も女も若い人も僕らのような年の人も本当に様々です。
乗りつける車のナンバーも、もちろん地元ナンバーもありますが、大阪や四国のものもありました。外国人のグループも何組もありました。
みんな純粋に被災した方々を助けたいという思いだけです。人に対する優しさにあふれています。
そういう機会に恵まれた事に感謝します。
今回、僕は素晴らしい経験をして帰ります。でも、思い出だけはしたくないのです。
ボランティアで出会った人々、コナの友人、コナのお父さんお母さん。素晴らしい人たちと出会いました。
しかし思い出にはしません。また近いうちにお手伝いに戻ってきます。
あっ!車窓に桜がきれい!
山田線の景色は色合いが優しいのです。
明日、明後日は仕事に追われます。
日曜日にまたゆっくり書きます。


[ 2257] ボランティア1日目 2011年05月05日(木) 7:30  記入日2011/5/8(BBSより転記)

おはようございます。
昨日は12時まで飲んでました。
今回のメンバーはコナの友人二人なのですが、その一人が常磐津のお師匠さんなのです。
僕より3つ下ですが、初めて三味線を習いました。
この話もいずれゆっくり書きます。
さて昨日は初のボランティア作業でした。
様子が分からないのは困ったものです。
ご遺体と遭遇するのでは…、ガレキの中に釘を踏み破傷風にかからないよう…など万全の装備で出かけました。
9時ボランティアセンターに集合ですが、8時に着き待機しました。
オリテンテーションがあり、作業指示書が手渡させれ、必要機材を受け取り、さっそく現地に向かいました。
僕らコナを除いた3人と、東京から来た2人の計5人です。
仕事は宮古市内、駅近くの民家のヘドロ撤去でした。
民家の住人がボランティアセンターに仕事を依頼し、センターが事前に調査して、作業を振り分けるのです。
作業指示書には現地の地図と作業現場の写真が添付され作業内容が細かく懸かれています。
現場に着くとさっそく作業に取り掛かりました。
その家は地面より1メートルほど高く建っていたのですが、それでもリビングの天井まで海水が来ていました。
近隣の地面と同じ高さに建っている家は2階の天井くらいまで海水が来て、ほとんど全壊か、建物は残っていても赤いペンキで「解体OK」の印が書かれていました。
さて、そのお宅のリビングに接した和室の床下のヘドロを取りさるのが仕事でした。
仕事を見ると畳はすでにありませんが、住人が津波のあと家に戻ると、窓は飛ばされ、畳は床下から入った海水に吹き上げられていたそうです。
海水の力はすさまじく、建物が残っている隣りの家を見せてもらいましたが、1階の天井が海水で押し上げられ、大きく凹んでいました。
さて9時半から作業に入ったのですが、思いのほか作業は早く終わりました。
小さなシャベルでヘドロをすくい、袋に詰めて、袋を表に出す。その繰り返しです。
ヘドロは湿っているため粉塵がたたず助かりました。
お昼過ぎ作業は終わり、ボランティアセンターに戻ったのですが、これでこの日は終わりです。
例えば作業が早く終わっても住人が別の作業を依頼など出来ないのです。
センターの事前の調査などが必要なため、作業指示書以外の作業が出来ないのです。
お役所仕事のようですが、仕方ないのだと思います。
作業が終わり、せっかくおにぎりを作ったので、コナの運転で浄土が浜の北にあるハーバーに向かいました。
そこにはキャンプ場などもあるのですが、ここも想像を絶する光景でした。
ハーバーの手前は全て人家が破壊されガレキの山。そしてハーバーまでも破壊されています。
大きなコンクリートブロックがいくつも横たわる光景に、ここでも言葉がありません。
僕らは人気のないハーバーのコンクリートに腰掛け、おにぎりで昼飯をしました。
食べているとカモメが寄ってきます。
カモメたちは人がいなくても生きていけるのでしょうか。
遠くの綺麗な景色、人気のないハーバー。壊れたコンクリートブロック。
さて今日はどんな作業でしょうか。
そして僕だけ、宮古4時発盛岡行きの列車で帰ります。
東京には10時過ぎに着きます。
忙しい一日です。ではまた!


[ 2256] 第1日目 2011年05月04日(水) 5:23  記入日2011/5/8(BBSより転記)

おはようございます。
昨日の事をざっと書きます。
11時30分にコナ実家到着。
コナ両親への挨拶もそこそこに、すぐに昼食を取りつつ宮古市内の様子を見て回るため家を出ました。
まず宮古駅。僕の帰りの列車時刻確認のためです。
ところがコナ実家もそうなのですが、市内は思いのほか「普通」。
ある意味拍子抜け。
しかし宮古駅から港方面に向かうと様子が変わります。
津波が来て壊されたと想像出来る家々が連なります。しかし人々の苦労は想像出来ますが、それもある意味思っていた範囲内です。
そして宮古小学生に向かうと自衛隊の車両が泊まっています。
ここも震災地域である事が分かります。
市内めぐりをやめてコナお勧めの中華そば屋「花福」へ。
コナ好みの汚い店だが、味はあっさり、色も薄い関西風とも言える美味しいラーメンでした。
昼食後、宮古ボランティアセンターに今日の確認と、リーダーの伊藤氏が仲間から集めた大量の支援物資を届けに行く。
すると支援物資は宮古では足りてるので、宮古から北へ20キロほど行った、田老(たろう)地区に届けて欲しいと言うのだ。
そこで、田老へ向かった。
車から見る風景は相変わらず「普通」だ。
ところが!
しばらく走って切通を抜けた先に目にした風景に愕然とした。
その風景に言葉がない。
僕のつたない文章ではあの風景は表現出来ない。
一面に広がるガレキの山。なんという風景だ。
そして田老ボランティアセンターで支援物資を降ろし、今度は宮古の港のある鍬ケ崎(くわがさき)に向かう。
ここも壊滅的だ。船があちこちに横倒しになり、港の市場の屋根には壊された船や車が乗っかったままだ。
港から見える対岸の月山(がっさん)が静かな港の水面に写り、なんとも綺麗な風景に逆に心が痛くなる。
時はすでに5時だった。
コナ実家での歓待の話はまたいずれ書こう。
今日は民家のガレキ撤去だと言う。
これから昼食のおにぎりを僕が作る。
いまコナ家の炊飯器のスイッチを入れた。
「普通」の生活だ。
また明日の朝、今日の様子を書きます。ではまた!


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