ピンクサファイア


安息日の穏やかな午後。
マジックの家のマジックの部屋で、二人はお茶をしていた。
ふと気付いたようにジャンを見つめ、マジックが小首を傾げた。
「なんですか?」
「ああ、ちょっといいかい?」
マジックは立ち上がりテーブル越しにジャンの髪に触れた。
「マジック様?」
「やっぱり。」
マジックはそのまま髪を梳きながらジャンの顔を覗き込んだ。
「少し髪が伸びているね」
「そうですか?」
「ああ。ほら」
ジャンの目に掛かる髪を払い、窘めるようにマジックは続けた。
「前髪なんて目に入りそうじゃないか」
「はあ」
指摘され気になり出したのか、前髪を指で引っ張り「ほんとだ」と呟いた。
「目を悪くするよ、ジャン。それじゃなくても君はよく目を使う仕事をしているんだから。自分の身体はもっと大切にしなさい。大体君は……」
離れた手を寂しく思いながらジャンはマジックの保護者のような小言を聞く。あれをしちゃ駄目こうしなさいどうしておまえはそうなんだ。お兄ちゃんの言うことを聞きなさい。弟に言ってきたであろう小言の数々を想像し、ジャンは堪らず笑った。基本的に過保護なのだ、マジックは。
「聞いているのかい? ジャン」
「ええ、聞いてます。この伸び切った前髪をどうにかすればいいんでしょう?」
「分かっているなら早く切ってもらってきなさい」
「でもそんな暇ないんですよね。だから」
「だから?」
「マジック様が切ってください」
「私が?」
ジャンの我儘にマジックは瞬いた。
「ええ。昔は弟たちの髪を切るのも貴方の役目だったと」
「昔の事だよ。それにあまり上手でもなかった」
「不恰好でもオレは気にしません」
「どうしても私に?」
「どうしても貴方に」
真剣な顔で頼んでくるジャンにマジックは優しく笑みをこぼした。
立ち上がり座っていた椅子を持ち上げる。
「ここではなんだからバスルームへ行こう」
椅子を持ち歩きだすマジックの後ろを、慌ててジャンは追い掛けた。

タイル張りの洗い場に木製の椅子を置き、ぐらつかないことを確認したマジックはジャンをそこに座らせるといったんバスルームを出ていった。
ジャンは椅子に座り落ち着きなく辺りを見回す。午後の日差しが差し込み明るい室は普段と違って見えた。
「待たせたね」
戻ったマジックの手にはハサミと手鏡。マジックはジャンの前に立つと目線を合わせた。
「始めていいかな」
「よろしくお願いします」
ジャンはぺこりと頭を下げた。
「どれくらいの長さにするんだい?」
「えーと、目に掛からなければそれでいいんですけど」
「ならこれくらいかな」
頭の中で完成図を描いているのか、マジックはジャンの前髪を摘みハサミを当てた。
はらはらと髪が落ち、マジックは納得したように一人頷く。
「うん。これぐらいの長さに切ってしまおう。目を瞑っていなさい」
ジャンが目を閉じるとシャキシャキとハサミが動く音が室に響いた。
下手に動いて邪魔をしてしまわないようジャンは身を硬くする。
その様子が可愛くてマジックは気付かれない様笑みを深くした。

十分も経たないうちにマジックはハサミを置いた。
「これでどうだい?」
そっと目を開けるジャンに手鏡を渡す。
「どうだい?」
「……上手いじゃないですか!」
「それはありがとう。でもちゃんと整えてもらってきたほうがいい。かなり伸びているよ……おや?」
「痛っ!! 何するんですか!!」
後ろに回りこんでいたマジックが予告もなしにジャンの髪を一本引っ込抜く。マジックはそれをまじまじと見るとジャンに渡した。
「なんですか?」
「……白髪、だね」
「え?」
見るとそれは確かに白髪だった。ジャンは掌の上の髪を眉間に皺を三本寄せて見つめた。
「これで君もオジサンの仲間入りだね」
「やめて下さいよ。一気に老け込んだ気がします。それにオレ、貴方の息子より若いんですけど?」
「私より年上だろう? 忘れがちだけれど」
「それはそうですけど、それは肉体年令の話じゃないじゃないですか。まだ二十歳を過ぎたばかりの人間にオジサンって!」
ムキになるジャンを笑顔で受け止め、マジックは髪に指を差し込んだ。
「いつかこの髪もロマンスグレーになるんだろうね」
「だからやめて下さいって。まだまだオレは若いんですから」
「それが老いるということさ。生きた歳の分だけ皺を刻んでこの髪が白くなっていく」
マジックはジャンを立たせると服に付いた髪を払った。椅子を外に避難させシャワーで髪を排水溝へ押し流す。
ジャンは髪を触りながらそれを見つめる。そしてふと皺くちゃな自分とその横に立つ目の前の人を夢想した。

それは穏やかな光景だった。



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10月12日の誕生石は「ピンクサファイア」
石言葉は「はかなさ・無常」
パラレルというか、歳を取るジャンを書いてみたかった。