アメシスト |
「高松くんはいないのかな?」 士官学校の寮に現れたルーザーはベッドの上に寝転んだまま固まるジャンに問い掛けた。 ジャンはルーザーの顔を見つめたまま本を閉じると体を起こした。 「サービスに連れられて朝から街へ行っています。なにかありましたか?」 「うん。ちょっと手伝ってもらおうと思って来たんだけれど。まあ、君でもいいか。えーと……」 「ジャンです」 「ジャンくん。手伝ってくれるかな」 にっこりと断られるとは思ってもいない顔で問われ、ジャンは黙ってベッドから降りた。 研究棟の最上階全てがルーザーの研究室だった。 「何をすれば良いんですか」 休憩スペースなのか、日の当たる窓の側に置いてあるソファーに座り、ジャンは机の上に積まれた紙から何かを探すルーザーに声を掛けた。 「簡単な実験だよ。えーと……あった」 ルーザーは五枚ほどの紙の束を取り出すと、ペンと共にジャンに渡した。 「隣の部屋に実験用のマウスがいるからこれを投薬して何秒で死ぬか測ってここに書きこんでいってくれればいいから」 記録用紙と薬品棚の鍵を開けて渡された液体の入った黒いガラス瓶。 「ネズミを殺すんですか」 「実験だからね」 ジャンは曖昧に頷いた。 ルーザーはにこにこと笑うと、そうだと自分の腕時計を外した。 「ちょっとストップウォッチが見当たらないんだ。だからこれを使ってくれるかな。ここでスタートとストップ、このボタンでリセット」 銀の縁取りに藍色の文字盤のクロノクロスの腕時計をジャンに渡した。 「じゃあ私はいまから会議があるから後は頼むね」 「日曜日に会議ですか」 「うん。遅くなると思うから薬は余ったら棚に戻しておいて。鍵はこれだから。下の管理人室に届けておいてくれれば良い。紙はそこの机の上に置いておいてくれ」 「はい。あの!」 ジャンはルーザーを呼びとめた。ルーザーが振りかえる。 「なんだい?」 「時計はどうすれば」 「ああ……」 ルーザーは少し考えジャンを見た。 「次に会うまで君が持っていてくれるかな?ええと……」 「ジャンです」 「ああそうそう、ジャンくん」 にこっとルーザーは笑うと振りかえることなく部屋を出ていった。 それから結局一度も会うことのないままジャンは士官学校を卒業し、戦場へ赴いた。 南国の島の祠の前。ジャンは閉まった扉に背を預け座りこんでいた。 ポケットから取り出した腕時計を陽にかざす。クロノグラフの秒針が時を刻む。 裏返すと黒のマジックで書かれた名前。『ルーザー』。 持ち物に名前を書くように躾られていたのだろう。だからといって腕時計にマジックで書くかと苦笑いした。彼は兄に言われたことをただ守っていただけなのだ。 ジャンの脳裏に先程聞かされた赤い秘石の言葉がよみがえる。よくやりましたねジャン。これで青の戦力は大幅に減りました。 サービスが目を抉り、彼が死んだらしい。 「実感わかないな」 ジャンは腕時計についたストップウォッチのボタンを押した。 そのままぼんやり藍色の文字盤と青い空を見上げ続けた。 −−−−− 10月14日の誕生石は「アメシスト」 石言葉は「心の平和」 |