瑪瑙(めのう) |
10月15日の続き 「これさ、キンタローにやるよ」 キンタローは押しつけられ手の内に収まった腕時計に視線を落とした。一ヶ月ほど前に動いている所が見たいと目の前の男に言った時計だ。それから暫らく男の腕に収まっている所を見ることはなかった藍色の文字盤の時計だった。 「ついでにオーバーホールしてもらったら結構時間取られちゃってさ」 「いらないのか?」 正確にいまの時刻を指し表しているであろう文字盤を見つめたままジャンに尋ねた。 「おまえに渡すしかないんだ」 キンタローは意味を理解できず首を傾げ、しかしジャンは言葉を重ねることはしなかった。 「貰っていいのか?」 「うん。付けてみてくれよ」 キンタローは左腕に時計を填めた。 ジャンがうんうんと頷く。 「やっぱりよく似合うな。うん。大切にしてやってくれ」 「ああ、分かった」 キンタローの答えに、ジャンは嬉しそうな顔をした。 キンタローは長い廊下をコツコツと革靴を響かせ歩いていた。手には外した時計。それを握り締め高松のラボを目指す。分からないことはグンマか高松に。 キンタローは分厚い扉を開けた。 「キンタロー様っ!!」 駆け寄ってくる過保護な保護者の目の前に手を差し出す。 「これがどういうものか知っているか?」 高松はぱちりと目を叩きキンタローの掌の時計をまじまじと見つめた。 「腕時計……ですか? いったいどうしたんですか?」 「ジャンに貰った。ずっと大切にしていたようだったのに。どうしてオレにくれたんだろう」 高松はキンタローに椅子を勧めると冷蔵庫からミネラルウォーターを出し二つのコップに注いだ。 「ジャンはなんと?」 「俺に渡すしかないと。どういう意味だか高松にはわかるか」 コップをキンタローの前に置き向いに座り、高松は首を横に振った。 「いいえ。私にはなんとも」 「そうか……」 「本人に問いただしてみたらどうですか?」 「聞いても答えてくれそうにない気がする」 キンタローは掌に乗せた時計を見つめ、側面に付いた三つの突起のうちの一つを押した。文字盤の下側の針が、物凄い勢いで回転し出した。 「クロノグラフ、なんですね」 「クロノグラフ?」 「ストップウォッチになるんです。このボタンで止まります。こっちがリセットボタンでしょう」 「便利だな」 「そうですね」 時計をいじるキンタローを高松は見つめた。 「どうして、キンタロー様はそれを私に聞きに来たのですか?」 キンタローは手を止め考え込む。 「……気になるのだと思う。ジャンがこの時計を大切にしていた理由がなんなのか。どうしてずっと身につけていたモノを俺にくれたのか。何を考えて渡したのかがだ」 「そうですか。……御役に立てず申し訳ありません」 「いや。ありがとう。また来る」 キンタローの退室した後で、こっそり高松は息を吐き出した。 「キンタロー様のことが好きなわけじゃ、ないんでしょう? ジャン」 グンマのところへ行こうと、時計を手に持ち歩いていたキンタローは、廊下でばったりとマジックに出会った。 「やあキンちゃん」 「こんにちは」 「はいこんにちは。どこへ行くのかな?」 「グンマのところへ行こうと」 「そうなんだ。私はね、シンちゃんとお茶を飲もうかなって」 シンタロー人形を抱きしめにこにこ笑うマジック。そして小さく首を傾げた。 「右手に何か持っているのかい?」 キンタローは頷きクロノグラフの腕時計をマジックに見せた。 「ジャンくんに貰ったのかい?」 「知っているんですか?」 「ああ、元々は私がルーザーに贈ったものだからね」 にっこりと笑うマジックにキンタローは目を見開いた。 「父さんに?」 「そうだよ。昔ルーザーの実験をジャンくんが手伝ったことがあるそうでね、その時ジャンくんに預けたと言っていたね」 「それをどうしてジャンがいまも持っていたんですか」 「さあ。でもルーザーも忙しい子だったからね。返してもらいに行く暇がなかったのかもしれない。たまに帰ってくるサービスに、ジャンくんがルーザーの腕時計をちゃんとつけているかよく聞いていたよ」 「そう、なんですか」 「ジャンくんはなんて?」 「何も言いませんでした。ただ俺に渡すしかないとだけ」 「ああ。ジャンはルーザーが好きだったからね」 その一言で、弾かれた様に。キンタローはもと来た道を走り始めた。 マジックはその後姿をにこにこと見つめた。 「ずいぶんと、お節介ですね」 「やあドクター。立ち聞きかい?」 廊下の角から現れた人物に驚きもせずマジックは笑いかけた。 「言わなければ進展しないでしょうに。キンタロー様がジャンへの思いを自覚して、誠実で一生懸命に説いたら、ジャンだってノーとは言わないでしょう。おぼろげながら好意もあるようですし。何よりルーザー様の息子なんですから。くっついてしまうかもしれませんよ、あの二人」 「いいじゃないか。ジャンくんも過去に囚われているよりよっぽどいい」 シンタロー人形を抱きしめる男はにこにこと、感情の読めない顔で笑った。 「ルーザー様の息子だからと言う理由でなく、ジャンがキンタロー様を愛せますかね」 「属性は消せないよ。でもキンちゃんが泣く結果にはならないと思っているよ?」 「……本当にいいんですか」 「ドクターは不満かい?」 「ジャンを愛するなんて厄介事を自分から引き寄せるようなものですから」 「手厳しいね。それでも、愛って言うのは理屈じゃないから、反対しようがしまいが、手を貸そうが貸すまいが、選べる答えはそう多くないんだよ。ましてや青と赤なら、手に入らなきゃ切望して泣くだけさ。ドクターはキンちゃんに笑っていて欲しくないのかい?」 「マジック前総帥は、どうなのですか」 マジックはにっこり笑った。 「いまからシンちゃんとお茶にするんだ。ドクターもどうだい?」 「遠慮します」 「そう。じゃあまた」 マジックは答えず、にっこりと高松に別れを告げた。 キンタローは走った。全速力で廊下を走り、キンタローとジャンに与えられた部屋の扉を開けると机に向かい問題集を解いているジャンがいた。 「よー、そんなに急いでどうしたんだ?」 「おまえはっ俺を父さんの身代わりにしたいのか!!!」 キンタローの怒鳴り声にジャンは身を竦ませた。 「ど、どうしたんだよいきなり」 無言で手を突き出す。突き出された腕時計を見て、ジャンは目をぱちくりとさせた。 「父さんのものだそうだな」 「あ、ああ。そーだけど……」 「どうしてそれを俺に渡す!? 父さんがおまえに預けたものだろう!!」 「いや、ほら、返しようがなくなっちゃったし」 「どうして俺なんだ!! どうして愛していた人の形見とも呼べる品を息子の俺に渡す!! 皆から父によく似ていると言われる俺に!!」 ジャンは息を飲み、そして呻いた。 「だれから……」 「誰だっていい!! 俺は父さんの身代わりになる気なんてない!! 俺はおまえが俺を見ないなんて許さないっ!! どうして俺に渡した!! どうしてこれを直した!! 父さんと重ねられて俺が喜ぶと思ったのか!! 俺は。俺は……!!」 ジャンはぎょっと動きを止めた。 「ちょっと、泣くなって、キンタロー」 「泣いていないっ」 気を沈める様にスゥゥスゥゥと息を吸うキンタローの目には、いまにも溢れそうなほどの涙が溜まっていた。 ジャンは頭を掻いた。 「ごめん。でも何か考えがあってやったわけじゃないんだ。もう返す相手もいないし、おまえが気に入ってたみたいだから、おまえに渡すべきかって思っただけなんだ。別にルーザー様とおまえを重ねてるつもりはないよ」 「なら、どうして直した」 「おまえが動いてるとこを見たいって言ったからさ。だから、動かすならおまえに渡そうって……ああそうか。おまえに渡すことで俺も区切りをつけたかったのかもな」 いま気付いたと笑うジャンをキンタローは睨みつけた。 「本当にそれだけか」 「うーん、たぶんそう。オレは自分の気持ちに区切りをつけるために、ルーザー様の息子であるおまえにその時計を渡しました。あーでもこれじゃあ、ちょっと身代わり入ってるな。ごめん」 悪びれず笑うジャンに、キンタローは俯いた。 「おまえはオレを見てはくれないんだな」 「へ?」 「俺は、俺は……」 それはスっとキンタローの口から自然に出た。 「俺はおまえのことが好きなのに」 ジャンは、……椅子から思わず転がり落ちた。 −−−−− 10月15日の誕生石は「瑪瑙(めのう)」 石言葉は「成功」 後一話かな? |