ありえたかもしれない一つの可能性としての物語
――または
一つの転換期


ふじばかま




「あー疲れた〜」
部屋に戻るなりバタリとソファーに倒れ込むコタローに、ジャンは苦笑して椅子から立ち上がった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出しピカピカのグラスに注ぐ。
「お疲れさま」
「ホントだよ。まったくジャンのせいでほんといい迷惑だよ」
「あはは。わりぃわりぃ」
コタローは息を吐くと身を起こしグラスを受け取った。
「それでなんでこんなことしたの」
「あー」
ジャンはぽりぽりと頬をかいた。
「なんとなく? イテッッ」
無言で蹴られた向こう脛を押さえ、ジャンはうずくまった。
「なにその疑問形」
「うう。マジで痛い……」
うっすらと涙の浮かんだ瞳で情けなく見上げてくるジャンを、冷たくコタローは見下げた。
「自業自得だろ」
「ぼーりょくはんたい」
「これのどこが暴力だよ。まったく。僕には理由なんて話せないってワケ?」
「そういうわけじゃねーけど」
「けど?」
コタローは追及を止めない。
ジャンは諦め立ち上がるとコタローの隣りに腰掛けた。
「そんなこと思ってないけど、身勝手な理由すぎて、とてもじゃないけど恥ずかしくて、おまえには教えられないってだけなんだよ」
「なにそれ」
言ってコタローは肩の力を抜いた。
「まあ、いいよ」
自分が白状させなくとも父か叔父がさせるだろう。それを聞けばいい。
「コタロー……?」
コタローの顔を不思議そうに覗き込んでくるジャンに、追い詰められたいのかと息をついて、話題を変えた。
「夕飯は食べたの?」
「え? ああ。売店でお弁当買ってさっき食べたよ」
「あんまり出歩いて見つかっても知らないからね」
「んー、気をつける。ありがと」
これ以上問い詰められることはなさそうだと判断したジャンはへにゃりと笑った。
コタローは冷たい水に口を付けた。
「で、どうだった?」
「どうってなにがさ」
「シンタローたちだよ。やっぱかわいい?」
わくわくと目を輝かせて訊ねられ、コタローは首を傾げた。
「そんなに気になるなら会ってくれば。お父さんと高松を引き離す手伝いくらいならするよ」
「え、うーん。……やめとくよ」
にっこり。笑う顔に引っ掛かりを覚えた。
「なんでさ?」
「だってなんて言って近づくんだよ。不自然すぎるだろ?従兄弟も親戚も通用しないぜ?」
黒髪に黒い瞳。
シンタロー以外は持たない色。
「髪染めてカラーコンタクト入れれば」
「う〜ん、その手があるか。でもそうしたらオレは誰の親戚に成りすませばいいんだろう」
本気の感じられない声に小さく笑った。
「どうかしたのか?」
「なんとかなるんじゃないの。僕なんてハーレムの隠し子だと思われてるよ」
「はーれむぅう?」
ジャンは素っ頓狂な声を上げた。
「なんでだよ?」
「『おまえたちの従兄弟』だって言ったら誰の子供かって話になっちゃってさ。ばれる訳にもいかないだろう? どうしようかと思ってたらお兄ちゃんがハーレムの隠し子だろうって」
「ハーレムなぁ。隠し子だったら高松のほうがいそうだけどなぁ」
「やめてよ。グンマお兄ちゃん泣いちゃうだろ。……ねえ」
「んー」
「僕、お父さんに似てない?」
予想していた問いにジャンは顔に出さず自分を呪った。
「んなわけないだろ。瓜二つってわけじゃもちろんねーけど二人とも似てるって」
「本当?」
「当たり前だって。コタローの中にはマジックと、お母さんの遺伝子が入ってるんだから、似てないはずないだろ?」
「でもハーレムの隠し子で納得されちゃったんだもん」
拗ねた口調に少し安心して、優しく続けた。
「そりゃマジック様とハーレムは兄弟なんだから。というかさ、おまえら全員親戚同士なんだから、どこかしら似てて当然だろ。家族、なんだから」
「そうかな」
「そうだよ。おまえは、誰がなんて言ったって、マジック様の自慢の息子だよ」
「そうかな」
はにかむコタローの頭をわしゃわしゃとジャンはかき回した。
「ちょっと止めろよぐしゃぐしゃになるだろ?!」
「おまえはほんとーにかわいいなぁ」
「人の話しを聞きなよっ!」
「なんつーかほんとオレって幸せ者だなぁー」
「なんで僕が宇宙一奇麗なのとジャンが幸せ者なのが繋がるんだよっ!」
「そりゃこんなに可愛いコタローさまが息子なんだぜ〜。スゲー幸せ毎日じゃん?」
「そんな当たり前のことをいちいち噛み締めないでよっ!!」
それでもその手が心地よくて、コタローは、にこにこと笑うジャンの手を振り払わなかった。
「なんだよー知らないのか、コタロー。幸せなときに幸せだって言葉にすると幸せが二倍になるんだぞ?」
「幸せ幸せ繰り返しすぎだよ! ってひっつくな〜っ!!!」
すっぽりと腕の中に閉じ込めたコタローをぎゅっと抱き締めるジャンはコタローの抗議を聞いていない。
コタローは諦めたように力を抜いた。
どうせ何を言ってもやりたいようにやるのだ。
『どれだけ口先だけの抵抗をしても、それが本気じゃない限りオレはオレオレのやりたいようにやるからな!』そう宣言したとおりジャンはコタローの抗議に耳を貸さない。
そしてそれが不思議と嫌じゃないのだから困ってしまう。
抱き締められ、トクトクと音を立てる心臓の音を聞きながらコタローは甘えるように目を閉じた。
ジャンは柔らかな眼差しでコタローの髪を撫でた。
「ジャンが、女の人だったら好かったのに」
「え?」
呟きにジャンは疑問で答えた。
「だって、そうなら、きっと僕はジャンをママって呼べたよ」
「……オレはオレだからいまの幸せがあるんだよ」
ジャンは手を止めず瞳を閉じた。
コンコン
穏やかな空間を破り、部屋の扉を叩く音に、ハッとジャンとコタローは顔を上げた。
「コタローちゃん?」
扉を開け姿を見せたのはマジックだった。
「お、お父さん!?」
慌ててコタローは隣りを見たが、一刻前までそこにあったはずのジャンの姿は、もう跡形も無く消えていた。
音も気配もなにもない。
コタローが驚いた顔で真横の空間を見つめるのを見て、マジックは小さく小さく息をはいた。
「コタローちゃん。いま、いいかい?」
にっこりと笑ってマジックが訊ねると、我に返って慌てた様にコタローは立ちあがった。
「え、うんっ大丈夫」
「よかった」
マジックはコタローに座るよう促すと、自分もその隣りに腰を下した。
「どうかしたの、お父さん。お兄ちゃんたちは?」
自室に下がる前、小さな兄たちは就寝の準備をしていたはずだ。
グンマは高松についていき、シンタローとキンタローはマジックを取り合っていた。
確か今日は三人で眠ると言うことで決着を見たのではなかっただろうか。
「うん、シンちゃんもキンちゃんも、もうぐっすりだよ。だからちょっと抜け出してきたんだ」
告げられた言葉にコタローは首を傾げた。
「それじゃあ、なにかあったの?」
マジックはふわり、コタローの頭を撫でた。
「少し元気が無いような気がしてね。なにかあったのかい?」
「え?」
コタローは目を丸くした。
「シンちゃんたちと何かあったのかと思ってね。でも、余計な心配だったかな?」
「え、ううん!」
見ていてくれたのだ!しょげてへこんでしまっていた自分のことを!
コタローは俯き身を震わせた。
「……ありがとう、お父さん」
「どういたしまして」
にっこりと笑って。マジックは耳まで赤いコタローの頭を何度も撫でた。


部屋の奥。
寝室の扉の隙間からこっそりと様子を窺がっていたジャンは、やんわりと、泣きそうな顔で、笑って、ぎゅっと手を握り締めた。



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ふじばかまの花言葉は「躊躇」
コタローちゃんがかっこよすぎる。
しかも可愛い。
親子親子!!

途中ジャンがマジックを一瞬呼び捨てにしてるのは焦っているから。
ん。このころだったらもう二人っきりのときならマジック呼びでもいい気がする!
どうかな!
あとは、ジャンが消えたのに驚くのがコタローちゃんだなあと!きゅん!
これが高松だったら、いないのが当たり前というか、消えるのを疑いもしなさそうで!きゅん!