ラン


「わりぃ高松。救急箱貸してくれ。」
 ノックなしで部屋へと入ったジャンは、中にいた人にたたらを踏んだ。
「るーざーさま。」
「やあ、どうかしたの。」
 ジャンの声に、椅子に座り、机に肘を突き、論文に目を通していたルーザーは顔を上げた。
「あ、えーと、高松は……。」
「高松ならいま席を外してるよ。どうかしたのかい、ジャン君。」
 ルーザーは論文を机に置き、命令した。
 ジャンは反射的に背筋を伸ばす。
「はい。救急箱を貸してもらおうと……。」
「救急箱?」
 ルーザーは首を傾げ、右腕を押さえるジャンの姿に、納得したのか椅子を立った。
「座っていて。」
 ルーザーは薬品棚に向かうと、棚の一番下から取っ手の付いた木箱を取り出した。
 そして振り返り、立ち尽くしているジャンを見詰めた。
「……ジャン君、ここに座るようにと言ったと思うんだけど?」
「えっ。ああっ、す、申し訳ありませんっ。」
 小走りに椅子に近付き、ジャンはおとなしく座った。
 ルーザーは満足そうに頷き、箱を机に置くと、ジャンの前に立った。
「腕を出して。」
「はい。」
 にこにこと楽しそうに手を差し出すルーザーに、ジャンはおずおずと腕を見せた。
 右腕には、刃物で切り付けられたような傷。
「どうしたのかな、これは。」
 眉間に皺を寄せ、ルーザーは尋ねた。
「自分で。」
「自分で?」
「はい。ナイフの手入れ中に扱いを誤りました。」
 言い切るジャンに、ルーザーはスッと目を細め、ジャンを見下ろした。
 ジャンは真直ぐその目を見返した。
 いくら誤ったとしても、利き腕の外側を傷つけることは少ないだろう。
「誰にやられたの。」
「ですから自分で。」
「そう。」
 良くも悪くもジャンは目立つ。サービスと懇意にしていることで、嫉みを買うことも多い。
 また、サービスに良い感情を持っていない者の標的になることも少なくない。
 ガンマ団は団員同士の私闘を禁じているが、ジャンはたまに、こうして傷を作っていた。
 相手の名を答えそうにないジャンに、どうせ明日になれば分かるかと、ルーザーは追求を止めた。
 ジャンに傷を負わせた相手が無事なはずがない。
 今頃は病院のベッドの上だろう。
 傷を消毒し、強めに包帯を巻く。
「これで大丈夫だと思うよ。」
「ありがとうございます、ルーザー様。」
 プレッシャーから解放され、力を抜くジャンの肩をルーザーは、弟にするようにポンポンと叩いた。
 ジャンは上目遣いに伺うようにルーザーを見上げた。
 ルーザーは、どうやって彼を傷つけた者を消し去ろうかと考え始めた。
 ジャンは、ひどく困ったまま、彼を見詰め続けた。


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5月19日の誕生花「ラン」
花言葉は「美しい人」