ミヤマカタバミ


   −回想始め−
「受け取って貰えないかい?」
 小さな箱の中には、赤い石の埋め込まれた銀の指輪。
「スタールビーだよ。」
 にっこりと笑う人に、ジャンは指輪を見詰め続けた。
「結婚してくれないかい。」
 にこにこと、拒否されるとは思ってもいない口調。
 マジックの差し出す箱を、ジャンはじっと見詰めた。
 手が服の裾を握り締めた。
「あの。」
 マジックは首を傾げ、ジャンの言葉の先を促した。
 ジャンは手を閉じたり開いたり、服を握ったりした。
「あの……少し、考えさせて下さい。」
 目を合わせないまま、ジャンは俯いた。
 パタンと箱の閉められる音がした。
   −回想終り−

「………………アンタなんで断るんですかっっっ!!!」
 3日前の出来事を話し終えたジャンは、激怒する高松に首を竦めた。
「だってさ。」
「だってじゃないでしょっ。」
「うーーー。」
 高松の声を遮るように机に突っ伏すジャンに、高松は「まったく」と呟いた。
 ジャンの横の椅子に座り、ビーカーに入ったコーヒーを啜った。
「何で断ったりしたんですか。」
「断ったっんじゃなくて、考えさせてくれって言っただけだよ。」
「あの親父にしたら、どっちだって同じことですよ。」
 怒気の残る口調で切り捨てられる。
 高松は置いた手で、机をタタタタンと人差し指から小指で、順に叩いた。
 らしくない高松の姿を横目に盗み見つつ、ジャンはコーヒーに手を伸ばし、顔を顰めた。
「にがい……。」
「知りませんよ、そんなこと。」
 取り付く島もない。
 ジャンは苦いコーヒーを、少しずつ飲み込んだ。

 マジック前総帥の機嫌が悪い。
 マジック付きの秘書二名中、一名は部屋に充満する冷気に耐え切れず、無断欠勤逃亡中。
 八つ当りのように、辛辣な言葉を団員投げ付ける。どうにかしてくれ、とティラミスがハーレムに泣き付いたのが昨晩。
 なんだかんだで兄貴思いのハーレムが、どうせ原因は息子か恋人だろうと、高松をジャンの所に寄越したのがついさっきだ。
 何があったのかと事情を聞いてみれば、下らない痴話喧嘩。
 否、喧嘩と言えるかどうかも怪しいものだ。
 マジックが勝手に苛立ち、周りに八つ当りしているだけなのだから。
「それでアンタ、どうする積もりですか。」
「どう……するかなぁ。」
 ジャンは天井を見上げ、椅子ごとくるりと回転した。
「いつまでも保留にしておく訳にはいかないんですから、さっさと断ってきたらどうですか。」
「あーー。どうしよ。」
「……どうしたいんですか、アンタ。」
「どう……したいんだろ。」
 ボンヤリ天井を見詰めるジャンに、高松はため息を吐いた。
 半分まで減ったジャンのコーヒーにミルクと砂糖を入れ、ジャンに手渡す。
「兎に角一度、話し合ってらっしゃい。」
 コーヒー牛乳を受け取ったジャンは、ビーカーに口を付け、小さく頷いてみて見せた。



「よっ。」
 廊下を歩いていたジャンは、向かいから、見知った顔がやってくるのに気が付いた。
「シンタロー。」
「オマエ、親父のことどうにかしろよ。」
「なんだよ、会うなり。」
「団員から苦情が来っぱなしで仕事になんねーんだよ。」
「んなことオレに言われても……。」
 それでも自分が原因だという自覚はあるので、少々逃げ腰になる。
「いいからとっととどうにかしろ。」
「あー、はい。」
 曖昧に逃げ笑いするジャンを、シンタローは睨み付ける。
「オマエさ、なんでプロポーズ受けなかったわけ?」
「ハッ!?」
「いや、なんでよ。」
「なんでって……お前、オレの息子になりたいと思うのか?」
 ジャンの言葉にシンタローはあからさまに嫌そうな顔をした。
「冗談。」
「だよなぁ。」
 頭を掻く。
「男同士で結婚ってのもなぁ。」
「なに考えてんだあの親父。」
「まー、マジック様だしなぁ。」
 ジャンは笑って歩き始めた。
「オマエさ。」
 シンタローはその背中に言葉を投げた。
「受けちまえよ、プロポーズ。」
 ジャンは少し、困ったような顔をした。



 ドアの横にあるインターフォンを鳴らす。
 応対に出たティラミスにジャンが名を告げると、慌てたような声がした。
 扉が開く。
 ジャンが不審に思う間もなく、中から顔を出したティラミスは、ジャンを部屋の中に押し込むと、そのまま部屋から抜け出しどこかへ行ってしまった。
 部屋に残されたジャンは、一度首を回すと、よし、とマジックへ向き直った。
 マジックは、表面上はいつもと変わらず、ジャンを見詰めた。
「なんだい?ジャン。」
「一つ、聞いても良いですか?」
「どうぞ。」
 ジャンは歩き、マジックに近づく。
「どうしてオレにプロポーズなんてするんです?」
 机に手を突き、身を乗り出し、マジックの顔を覗き込む。
 マジックは少し考える。
「そうだね……君を幸せにしたいから、かな?」
「幸せ、ですか?」
「ああ、いけないかい?」
「いえ。」
 ジャンは視線を落とし考え込む。
「私は……貴方よりも長く生きます。」
「だからこそ、私は君に結婚を申し込んだんだけれど?」
 マジックの連れ合いであったという事実があれば、彼の死後も、ガンマ団にいる理由になる。
 ガンマ団の強さは、人の生には永遠と同意義の彼の一生を護る場所になりえると、マジックは考えていた。
「死ぬくせに。」
「そうだね。私も君の心の疵くらいにはなれるだろうか。」
 マジックは頬笑む。
 だから嫌だったんだ、とジャンは思う。
 今いる約束をすればするほど、彼の、彼らの居ない未来を想像してしまう。
 指輪を手にすれば、それだけで、いつか彼が居なくなることを意識してしまう。
 いつか、百年もしないうちにくる未来が、恐かった。
「私に出来る全てをするよ。何千年後の世界でも、君が笑っていられる世界を創る努力をする。」
 唇を噛んだ。
 マジックは小箱を取り出した。
「考える時間は与えた筈だ。受け取ってくれるね。」
 マジックはジャンの瞳を見詰めた。
 ジャンはぎゅうと瞼を閉じた。
「ジャン。」
「あんた、ガキだし、親馬鹿だし。オレはこんなんだし、あんたら家族をメチャクチャにしたのに、それでもですか。」
「それでも君に出来ること全てを、私はしたいんだ。」
 ジャンは机上に置かれた小箱を掴み、中に入った指輪を握り締め、グッとマジックに押しつけた。
「ジャン?」
 ジャンは下を向き、はあと息を吐き、肩の力を抜いた。
「貴方が、オレに填めてくださるんでしょう?」
 マジックは目を瞬かせ、笑って差し出された左手を取った。
 赤い石の付いた指輪は、ジャンの指へと納まった。



‐‐‐‐‐
5月20日の誕生花「ミヤマカタバミ」
花言葉は「歓喜」