クイズダービー・データファイル
〜〜 出演者や番組の歴史など 〜〜



放送期間…1976年1月3日〜1992年12月26日(17年間)

歴代司会者…大橋巨泉→徳光和夫

歴代出題者…丹羽節子→保田裕子→きゃんひとみ→小池達子→渡辺真理

歴代解答者…
〔1枠〕 畑正憲→鈴木武樹→プリングス・ハイム→和久峻三→篠沢秀夫→北野大→植草克秀

〔2枠〕 五月みどり→沢たまき→うつみ宮土里→高峰美枝子→南田洋子→長山藍子→宮崎美子→斉藤慶子→山崎浩子→井森美幸

〔3枠〕黒鉄ヒロシ→はらたいら→福地泡介→秋山豊寛→加賀まりこ(一時期、竹下景子3枠、市毛良枝4枠の回もあり)

〔4枠〕萩尾みどり→岸じゅんこ→竹下景子

〔5枠〕ガッツ石松→週替わりのゲスト

〔6枠〕週替わりゲスト→5枠制のため消滅

備考…
 竹下景子が産休のため、原日出子が代役で4枠を務めたことも。また、かつてのTBSの改編期に組まれていた特番「クイズまるごと大集合」のクイズダービーコーナーで、竹下景子が3枠、市毛良枝が4枠だったこともあります。

番組エピソード…
 初期の頃、回答者を6名から5名へするなどの改造のほか、裏方である問題の作家も10人に増やし、クイズの質のアップに努めたそうです。その中に、後に直木賞受賞者となった、故・景山民夫も加わっておりました。
(私の記憶では「頭の体操」の著者である、多湖輝も問題作成に携わっていた記憶があるのですが、ご存知の方は教えてください)
 この陰の努力で「裏番組に巨人戦がきても視聴率負けしないクイズダービー」が生まれたんでしょうか。

 過去にゲスト回答者としても登場したタモリが、「クイズまるごと大集合」の前身ともいうべき番組改編期の特番の司会をしたことがあります。
 1983年に放送された、「スター対抗クイズ番組大集合 熱狂!興奮!タモリの司会でクイズを100倍楽しもう!」という、TBSの人気クイズ番組をタモリの司会で、執り行う番組でした。
 この番組内で行われたクイズは「ぴったしカン・カン」 「アップダウンクイズ」「クイズ100人に聞きました」「ザ・チャンス」「クイズ天国と地獄」そして「クイズダービー」 も。

 篠沢秀夫がレギュラー出演するきっかけですが、彼は最初は自分の教え子と賭ける側で出演したそうです。そのときの「ニコニコ顔の大学教授」というキャラクターが目に止まり、出演を依頼されたとのこと。
このときは色々悩んだそうですが、勉強とクイズの違いを自分でも理解して周囲にそれを説明したり、奥さんの「マダム・シノザワ」の許可を得るなど好条件もありレギュラー出演の決断をしました。
クイズダービーの問題を「上品」と例える篠沢教授ですが、対して「下品」と例えるのが、知識系のクイズだったようです。
(クイズダービーベスト500より抜粋)『ましておや、百科事典を見ればすぐにわかるようなことを質問して、ポンとボタンを押させて早さを競って答えさせる普通のクイズは、もちろんクイズダービーの奇問に比べれば50倍も下品である』これは時代的にもフジテレビの「クイズグランプリ」を指していると思われます。篠沢教授にとっては本来、知識系クイズはお嫌いだったかも知れません。

 80年代半ば頃、当時社会党の党首だった土井たか子が5枠で出場、見事パーフェクトを獲得したことがありました。(政治家ということもあって、スタッフが気を遣ったのか…?)
 北野大が1枠レギュラーとして出演していた際、5枠解答者に弟のビートたけしが出演。「うちの三兄弟は、真ん中のこの兄貴が一番頭が悪かった。バカだから大学院まで行ったんですよ」とたけしの毒舌で対決が始まりました。
「Q.アメリカの高校生からとった『最も有名な東洋人は?』というアンケートで、一番多かった人名は何?」という問題があり、兄の大は真面目に考えすぎ「蒋介石」と答え不正解。しかし弟のたけしはワザとボケて「マイケル・ホイ」を消した横に「ブルース・リー」と書き見事正解。

 かつては解答者側として初期のクイズダービーを支えたガッツ石松が、ある回に賭ける側で出演したことも。この日は最終問を待たずに10万点を獲得するという離れ業をやってのけました。賭け方はさすがに緻密とは言いがたく、1の位の数字まで賭け点を申告するという不可解な作戦でした。

 2006年11月、惜しまれつつも亡くなられたはらたいらは「答えをあらかじめ知っているのではないか?」ということを周囲によく聞かれたそうですが、本人は「面倒なので『ええ、あれは僕が問題を作っているんですよ』と答えることにしています」とのこと。
 1993年、雑誌「ダ・カーポ」でクイズに関する特集が組まれたときのこと。はらたいらのインタビューが掲載されました。その時の内容を少し。(正確には原文のままではないですが、ご容赦を)

『よく“問題を教えてもらっているんじゃないか?”という噂がありましたが、そんなことはないです。実際に最後の問題を外したときは本当に申し訳なくて…。出場者達は大変な予選を勝ち抜けてあそこにいるわけですよ。
(中略)高かった正解率の秘密ですが、クイズダービーの問題は「起承転結」の「結」の部分を当てるわけです。黒鉄ヒロシさんが強かったのも職業柄ですよ。三択はもう山勘しかないんですけど。外したときは、本当にそれが正解なのか、百科事典で調べたりもしました。』

他のクイズ番組では…
 はらたいらはテレビ朝日で放送されていた「ナイナイナ」のクイズロケに解答者として出演。(残念ながら問題の中身は記憶になし)、篠沢教授は2002年「クイズ・ミリオネア」の補欠メンバーとして参加し、残念ながらセンターシートへは座れずじまいでした。
 2002年12月12日放送の「ミリオネア」では、同じくかつての1枠・北野大が補欠からセンターシートへ座ることに成功。ついにクイズダービーレギュラー解答者でミリオネア挑戦者となります。持ち前のニコニコ顔でクイズに臨み、見事100万円を獲得しました。

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