吾妻山(あづまやま)    95座目

(2,035m、福島、山形)


一切経山の途中から返り見た浄土平と吾妻小富士


吾妻小富士〜一切経山〜鎌沼〜谷地平〜西吾妻山縦走

2002年9月14日(土)

浄土平920〜吾妻小富士〜浄土平1000〜1123一切経山〜鎌沼〜姥ケ原〜1402谷地平避難小屋

 朝一番の新幹線で福島へ向かった。家を出る時は小雨が降っていたが、福島駅へ降り立つと雨は止んでいた。そして、西の空にわずかに青空が見えた。

 バス停には50代後半のご夫婦がいた。そのご夫婦とおしゃべりをしていると、旦那さんはもう何度も吾妻山へ行っていると言う。私が「今日は浄土平から吾妻小富士の往復と東吾妻の往復、そして谷地(やち)平避難小屋泊まりです」、と言うと、
「もったいないですねぇ‥‥、東吾妻より一切経(いっさいきょう)ですよ。一切経から見る五色沼は感動的ですよ。私はあの感動的な五色沼を見せたくて家内を連れて来たんですから‥」と言い、
「吾妻は、一切経を登らずして‥‥ですよ」
 と言われ、急遽コースを変更することにした。こういう時は単独だと都合がいい。要は今日中に谷地平の避難小屋へ着き、明日、西吾妻山へ登れればいいのだから・・・。

 バスが吾妻スカイラインをめざして走って行くと、青空がだんだん広がってきた。玉子湯まで来た時、ついに日差しが差して来た。
 途中でバスの運転手が、「右手に見える高い山が蔵王連峰です。普段はなかなか見えないんですが、今日は雨上がりなのでこんなにスッキリ見えるんです」と福島弁でアナウンスしてくれた。そして「今日は一切経は最高でしょう」と付け加える。期待感で胸が大きく膨らんできた。

 浄土平へ9時15分着。バスから降りて吾妻小富士を見上げると、もう30年も前に職場旅行で来た時が懐かしく思い出される。

 紅葉シーズンにはまだ早いので観光客も少ない。カメラだけを持って吾妻小富士を登って行く。薄手の長袖シャツと厚手のズボンがちょうどよい。
 火口まで行くと観光客が5、6人いたが、ここから下ってしまう人が多いようだ。私は対岸にある山頂まで行った。誰もいない静かな山頂だった。

(写真は吾妻小富士の山頂から見た一切経山)

 ここからは磐梯山らしい2つのピークが、遠くにチョコンと見えた。

 急いで浄土平へ引き返し、一切経へ向かって出発。10時ジャスト。
 登山道へ入ると前に30人位の団体さんとその前に20人位の団体さんがいた。結局、30人位の団体さんと一緒に登るハメになった。

 一切経は写真で見た時はハゲ山かと思ったが、結構、草木があった。特にリンドウの多さが目を引いた。団体さんは夢中になって草の実を摘んでいた。
 振り向くと、さっき登って来た吾妻小富士の火口がパックリと口を明けていた。その右手前にコバルトブルーの水を湛えた小さな池があった。

 少し登ると、左手に姥ケ原の湿原と鎌沼が見えた(写真左)。手前には避難小屋も見えた。ここで腰を下ろして一服。鎌沼の奥に東吾妻が見えた。森林に覆われた何処にでもありそうな山で、とても登高意欲が湧いて来るような山ではなかった。やはり一切経に変更して正解だと思った。

 一服して歩き出してから5分とたたないうちに、ガスが流れ出した。だんだん視界が遮られ100m、70mと悪くなって来た。

 ガスの中を登って行くと、アッという間に高台に出た。大きなケルンがあり、その20m先に一切経山の標識があった(11時23分着)。
 しかし、ガスで何も見えない。あの「五色沼の感動的な光景」もままならなかった。
 ここで食事をしながらガスが切れるまで待つことにしたが、寒くてたまらず弁当を半分だけ食べ、残りは避難小屋で食べることにして下山する。

 避難小屋へ入って行くと先客が2人いた。その2人は何とバス停で私に「ぜひ一切経へ登った方がいい」と勧めてくれたご夫婦だった。
 この小屋は周りがイスのようになっていて、寝るにはちょっと都合が悪い。旦那さんいわく「ここは地べたにシートを敷いて寝るんですよ」。
 私はここで一服して、すぐに出発した。

 酸(す)ケ平の木道を歩いて行くと、ウソのようにガスが切れた。木道の脇にはリンドウがいっぱい咲いていた。また、わずかに草紅葉が始まり、秋を感じる。
 鎌沼は山に囲まれた中にあった。本来は静寂なのだろうが、地元の小学生の遠足らしく、5、60人の子供たちの甲高い声が響いていた。

 姥ケ原の鎌沼と東吾妻山との分岐へ12時30分着。そこにはザックが2つデポしてあった。きっと東吾妻山を往復しているのだろうと思った。しかし、私は登ろうという意欲は湧いて来なかった。
 私が一服していると、先ほどの子供とその父兄が走るようにして進んで行った。


(鎌沼で遊ぶ子供達)

(分岐から見た東吾妻山)

(姥神石像)

 そこから少し歩いた所に姥ケ原と谷地平方面の分岐があった。「この辺に姥神石像があるはずだがなあ‥‥」と辺りを見渡すと、何と標識のすぐ下に小さい地蔵さんのような石像があった。急いでいると見落としてしまうかも知れない。

 ここからは、谷地平への下りになった。原生林の中の登山道で、まさに「谷地」という谷沿いのぬかるんだ道だった。これが本当に吾妻山の登山道だろうか、と思うほどの悪路だった。人影は全くなく、先ほどまでの賑わいがウソのようだった。

 一帯はぬかるんでいて腰を下ろして休む所もない。それに、薄暗くて気味悪いので休憩もせずにただひたすら下って行った。

 こんなに下ると何か損をしたような気になった。こんなに下るということは、明日はその分登り返さねばならない。一切経からそのまま尾根づたいに弥兵衛平小屋まで行く方法もあったが、足の遅い私では到着が夕方になってしまうので、このコースを選んだのだが、やはり弥兵衛平小屋へ行くべきだったかも知れないと思った。
 やっと沢へ出て、そこから三角形の避難小屋が見えた時はホッとした。小屋着14時02分。

 小屋は立派だった。建てたばかりでピカピカだった。床は白くてピカピカのフローリングだった。とても避難小屋とは思えない。こんな小屋を見たのは初めてだ。奥に先客のシュラフが二人分敷いてあったが人影はない。散歩でもしているのだろうと思った。私は入り口近くに場所をとって、持ってきた缶ビールを飲んでいた。
 雨が音を立てて降ってきたが、先客は戻ってこない。少し心配になった。

 夕方になって到着する人が多くなった。たった一人でいた小屋の中が、次第に活気づいて来た。それに先客の二人も戻って来た。この二人は渓流釣りをしていたらしい。この二人とすぐにお友達になり一緒に酒を飲んだ。まだ40代で背が高く、がっちりした人は、安達太良山岳会の会長さんだという。

 その会長さんから、私が「明日は西吾妻から若女(わかめ)平を下る」と言うと、
「若女平は下らない方がいい。すごい急勾配で道が悪いから。絶対にロープウェイで下った方がいい」、と言われ、すぐその気になって明日はロープウェイで下ることに決定する。
 しかし、西吾妻の山頂からロープウェイに乗るまでに4時間はかかる。明日は6時前には出発しなくてはならない。

 夕食を済ませ、そろそろシュラフに潜り込もうという頃、ヘッドランプを点けて到着した若夫婦がいた。その夫婦が私の隣で遅くまでお喋りをしながらガサガサしているので寝付かれなかった。本当に常識を知らないヤッだ。


9月15日(日)

谷地平避難小屋550〜東大嶺〜1040藤十郎〜1155人形石1240〜1400西吾妻山1405〜かもしか展望台−1528北望台−リフトーロープウェイー白布温泉

 朝起きた時は本降りの雨だったが、出かける頃になって小降りになった。雨具を着て傘をさして5時50分に出発。
 朝の谷地平草原の木道を進んで行く。わずかに始まった草紅葉の中に、紫色のリンドウの花が目を引く。またハクサンイチゲのような白い花も咲いていた。
(写真は谷地平付近。バックは家形から東大嶺へ続く山々)

 昨夜は16人の宿泊者で若干の余裕があった。定員は25人ぐらいだろうか。その宿泊者全員が今日は浄土平へ向かうとのことで、西吾妻へ向かうのは私だけだった。

「谷地平・東大嶺」の標識の所で、傘とストックを持ち替える。いよいよここから森林地帯の登りとなる。一帯は原生林に覆われ、クマが出て来そうな感じだが、昨夜、安達太良山岳会の会長さんから、「この時期はクマは里近くへ降りているから大丈夫」と聞かされていたので安心だった。

 しかし、ここは道が悪かった。昨日の下りも悪かったが、それ以上の悪路だった。水溜りを避けて進もうにも苦労する。わずか30分ほどの間に3回も足を滑らせて転んでしまった。

 吾妻山といえば、観光化された浄土平や吾妻小富士を思い浮かべるが、同じ吾妻山でもこんなに大自然が残っていたとは思わなかった。
 小屋を出てから40分ほど歩いた時、小さな沢があった。そこで喉を潤しながら一服。まだ霧のような小雨が降っていた。

 しばらく歩いた時、下山者に初めてあった。弥兵衛平小屋へ泊まったという若者二人に、北望台のリフトが動いているかどうかを聞いてみると、「スキーで来た時は下りは乗せてくれなかった」と言った。
 リフトに乗れないとなると、ロープウェイの天元台まで下らねばならない。最終便に乗れるかどうか心配だった。

 さらに森林地帯を登って行くと小さな草原があり、リンドウの群落があった。雨の中で写真を撮った。

 そこからなだらかな斜面を登って行くと、小さな湿原があり、奥の方に標識が見えた。縦走路との分岐へ9時10分着。
 やっと縦走路へ着いた。予定よりはるかに時間がかかってしまったが、仕方がない。


(リンドウ)

(やっと縦走路へ出た)

(左奥は烏帽子岳か?)

 分岐から東大嶺に向かって立派な木道を登って行くと、背後に烏帽子岳らしい山が見えた。その奥にひときわ高い一切経山らしい山が、ガスの中から一瞬見えた。

 東大嶺は、ぼってりした山でどこが山頂か分からないうちに下りになった。この辺は酸ケ平や谷地平よりも紅葉が進んでいた。やはり米沢に近づいたせいだろうか。

 藤十郎への道は尾瀬のような湿地帯が広がり、長々と木道が続いていた。所々に池塘もあった。
 10時40分、藤十郎着。やっと雨も上がった。荷物を下ろして一服。

 ここから2、3分ほど歩いた時、ロープウェイとリフトで来たという老夫婦に会った。その夫婦からリフトの最終時間が16時であることを聞いてホッとした。もしリフトに乗れずロープウェイのある天元台まで歩くとなると、もう最終に間に合わないと諦めていたからだ。
 ここからはホッとしたせいか、急に足取りが重くなった。

 人形石、11時55分着。雨は上がっているが、ガスが流れ出し視界が悪くなった。大きな石や岩がゴロゴロしているが、人形らしい石は見当たらなかった。ここで昼食。湯を沸かし始める。
 私が到着した時は誰もいなかったが、ハイカーが次から次とやって来た。

 12時40分発。
 ハイカーは右手の北望台の方へ戻って行くが、私は左手の道を下って行った。ここからが、いよいよ西吾妻への道となる。正面にはボッテリとした中大嶺が横たわっている。目指す西吾妻はその陰にあるため見えない。

 かもしか展望台との分岐まで来ると、ハイカーが大勢いた。木道になった大凹(おおくぼ)には弁当を広げているハイカーがザッと100人ほどいた。

 水場を過ぎると梵天岩への登りとなる。梵天岩は吾妻にはめずらしい岩塊の山で、東大嶺の縦走路まで見えた。目指す西吾妻山は、森林に覆われたボッテリした山で、これが100名山だとは絶対に思えない。


(いよいよ西吾妻をめざして行く。西吾妻山は見えない)

(これが西吾妻らしい)

 梵天岩から15分ほど登ると分岐があり、左を行くと直登コース、真っ直ぐ行くと天狗岩、西吾妻小屋経由となる。時間に余裕のない私は迷わず左の直登コースを行く。下って来る人は大勢いるが、登っている人はほとんどいない。

 直登コースは、石と木の根が入り混じった泥ンコの道。これ以上の悪路はないという感じだった。そこを一気に登った。

 そして、森林に覆われたなだらかな所に、墓標のようにポツンと標識が立った西吾妻の山頂へ14時ジャストに到着。
 山頂にいた60代の単独のオジさんに写真を撮ってもらい、立ったまま一服してすぐ下山。14時05分発。

 ここから来た道を引き返し、かもしか展望台からリフトの乗り場である北望台へ15時28分に着いた。

 今日は時間に追われ、本当にせわしい一日だった。それは谷地平避難小屋から縦走路まで予想以上に時間がかかってしまったこともあるが、吾妻山ということで少しナメていたこともあった。

 さらに、人形石から西吾妻までのコースタイムが不明確だったのに詳しく調べなかったり、若女平を下ると決め込んでリフトやロープウェイの時刻も調べて来なかった。やはり、エスケープルートとして最終便の時刻ぐらいは調べておくべきだった、と反省している。