(2,057m、 山梨県)
【登頂歴】
A 2000.11月11日 上日川峠〜石丸峠〜大菩薩峠〜大菩薩嶺〜唐松尾根〜上日川峠−景徳院
@ 1994. 3月21日 裂石登山口〜上日川峠〜大菩薩峠〜大菩薩嶺〜唐松尾根〜裂石登山口
2000年11月11日(土)
上日川峠655〜840石丸峠855〜918大菩薩峠〜1020大菩薩嶺1045〜唐松尾根〜1140上日川峠−景徳院 |
先週、両神山の八丁尾根を登って紅葉を満喫して来たので、今週は出掛けるつもりはなかったが、昨日になって「明日は絶好の行楽日和になる」という天気予報を聞いて、急遽大菩薩嶺へ行くことにした。
大菩薩嶺は6年前(1994年)の3月に、山麓の裂石登山口から上日川峠、大菩薩峠、大菩薩嶺と廻って唐松尾根を下ったことがあるので、今回は上日川峠まで車で行って、石丸峠から大菩薩嶺へ廻ってみようと思った。
家を5時に出た。中央高速の勝沼インターで降り、塩山市内から大菩薩ラインを飛ばして行った。
今回の最大の目的は、今年最後の紅葉を見ることだった。しかし見渡す限り枯れ葉のように茶褐色に染まっていた。ここは紅葉する木が少なく、どうも選ぶ山を間違えたようだ。
6時55分、上日川峠へ着いた。峠には立派なロッジ長兵衛荘があり、その前の駐車場へ車を止めた。この辺は紅葉どころか葉をすっかり落としてしまい、少し気抜けしてしまったが、せっかく来たのだからと気持ち入れ替えた。
外は肌寒かったが、セーターをザックに入れたまま、7時ジャストに出発。
ここからは、左手の福ちゃん荘へ行く道を見送って、石丸峠を目指して行った。ナラやクヌギなどすっかり裸になった林の中を下って行く。足元は霜でうっすらと白かった。
細い流れを3回ほど渡り、山腹を巻くように登って行くと、幅2メートルほどの沢へ出た。その時、右手の樹木に熊棚があって驚いた。熊棚はクマが木の枝を折ってドングリなどを食べた跡をいうが、良くみると枯れ枝は一カ所に集中しており、熊棚ではなくサルの寝床か鳥の巣かも知れないと思った。しかし、念のためクマに用心しながら登って行った。
しばらくすると舗装された林道へ出た。こんな林道があるならクマも近づかないだろうと思い、やっと安心することができた。
その林道を横切って急登を登って行く。途中で振り向くと眼下にダムが見えたのでそこで休憩。しかし、風が冷たくて長くは休んでいられなかった。
ここは葉を落としたカラマツ林なので見通しが利いた。前方左手に峠のようなものが見えた。あれは大菩薩峠だろうか。それとも石丸峠だろうか。
しばらく登るとまた林道を横断し、さらに急登の階段になった。気合いを入れて一段一段登って行った。
8時2分、見晴らしのよい尾根へ出た。そして、はじめて朝日を浴びた。ここで小休止。人影は全くない。
ここから左の尾根を登って行く。見通しのよい尾根歩きかと思ったが、南斜面のカラマツ林の中を進んで行った。
途中にあった見晴らしのよい所から、朝日に輝く富士山が大きく見えた。上部に白い雪を抱き、山裾を優雅に延ばす山容は、さすがに日本一の山だと思った。
クマザサばかりになると、すぐに石丸峠(写真右)へ着いた。8時40分着。
ここはすでに1957メートルだった。今日は時間がたっぷりあるのでのんびりとくつろいだ。お昼まえに駐車場へ下ってしまってはもったいない。富士山を正面に、秋の日差しを浴びながら朝食の残ったパンを食べた。
8時55分発。ここからは左手の道を登って行った。標識がなければ真っ直ぐ行ってしまうところだった。
クマザサばかりの急斜面を登り、10分ほどで樹木が生えたボッテリした山(熊沢山)の南斜面を横切るように進み、下りになると下の方から女性の声が聞こえて来た。
実はこの熊沢山から大菩薩嶺が見えるかも知れない、とひそかに期待していたのだが、樹木が多すぎて視界が利かなかった。
発電用のモーターの音が聞こえて来ると、すぐ介山荘の前へ飛び出した。9時18分着。小屋の周りには7、8人がくつろいでいた。駐車場を出てから始めて会った人達だった。
小屋を素通りして「大菩薩峠」まで行こうと思ったが、「大菩薩峠」の標識は小屋のすぐ脇に立っていた。前に来た時はもう少し進んだ所にあったような気したのだが……。標識は三角点と違うので位置が変っても問題はないのだが……。
庭のベンチでビールをうまそうに飲んでいる人がいた。私も山頂で飲もうと思い、缶ビールを買った。普段は下山するまでは飲まないのだが、今日はピクニックのようなものだからいいだろう。
ここからは甲斐駒や仙丈を始め、北岳、間の岳、農鳥岳、荒川、赤石など南アルプスのほとんどの山が見えた。
峠を越えて賽の河原へ出ると、ログハウスの新しい避難小屋があった。中を覗いてみると10人はゆうに泊まれそうだった。こんな所なら泊まってみたいと思った。
(小屋を振り返る) |
(のどかな風景が広がる) |
(避難小屋) |
ここは大菩薩峠と山頂を結ぶ目抜き通りなので、すれ違う人が多くなった。
最後の急登かと思って登って行くと、そこには「2000メートル地点」と書かれた立派な標識が立っていた。そして、その奥にもう一つボッテリしたピークがあった。前に来た時もここが山頂かと思って騙されたが、今回も同じように騙された。
そのボッテリした山の奥に、さらに岩塊のピークがあった。それが雷岩で10人以上が休んでいた。雷岩の下にある分岐点の所にも30人近くが休んでいた。
ここから、うっそうとした林の中を10分も進むと大菩薩嶺の標識と三角点があった(写真右)。前に来た時は三角点は残雪に埋もれていたが、今日はしっかりと確認することが出来た。山頂10時20分着。
近くで3人のパーテイーがコーヒーを飲んでいたが、後から若者が続々と登って来た。そして標識の周りではしゃぎながら写真を撮っていた。山頂が遊園地のようだった。
10時45分、下山。
もう一度雷岩まで戻り、そこから唐松尾根を下った。正面に富士山や南アルプスを眺め、眼下にダムを見下ろしながら下るコースは最高の眺望だった。ここを下りにとって正解だった。家族連れやツアーの団体さんが続々と登って来た。
(富士山展望) |
(南アルプス) |
福ちゃん荘へ着くと、小屋の周りにツアーの団体さんが4、50人もいた。またタクシーで来ている人もいた。やはりここは日本100名山なので人気があるようだ。
11時40分にロッジ長兵衛荘へ着いた。ここでキノコ汁を注文し、庭先のテーブルでゆっくりとオニギリを食べた。
帰りは笹子トンネルへ出る嵯峨塩深沢林道を下った。
嵯峨塩温泉近くなって、やっと紅葉らしくなってきた。紅く紅葉した木があると、「あ、赤だ!」と叫んでしまうほど、紅葉に飢えていた。今年最後の紅葉、ミレニュアム紅葉だった。
紅葉の写真を撮って満足すると、コーヒーが飲みたくなった。偶然止めた自販機の所が景徳院の入り口だった。勉強不足の私はこの寺がどんな寺かも知らなかった。案内板を見ると、「武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れて敗走し、自害して果てた地」と書いてあり、さらに「徳川家康が入国した際に勝頼を弔うためにここに景徳院を建てた」と書いてあった。
さっそく、カメラだけを持って急な石段を登って行くと立派な景徳院があった。景徳院とは勝頼の戒名で、近くの杉林の中に小さな神社のようなものがあり、その裏に隠れるように勝頼や夫人、長男、家臣などのお墓があった。私は思わず手を合わせ、「安らかにお眠り下さい」と祈らずにはいられなかった。
(写真、手前から家臣、勝頼の長男、勝頼、夫人、家臣の墓)
(平成12年)