大 山(だいせん)    62座目

(1,729m、 鳥取県)


豪円山から見た北壁、右が弥山、中央が剣ケ峰(最高峰)、
一番左のピークは三鈷(さんこ)峰。


大山寺〜(夏山コース)〜大山(弥山)〜(元谷コース)〜大山寺

1997年10月25日(土)

 20数年ぶりに夜行寝台「出雲」に乗れるのが嬉しくて、横浜駅で弁当や缶ビール、つまみなどをいっぱい買い込んだ。
 ホームにはザックを背負った3人連れのご婦人もいた。やはり大山へ行くのだろうか。鳥取県にある大山は伯耆富士とも呼ばれ、中国地方の最高峰であり、また紅葉の名所でもあるため全国から人が押し寄せることだろう。

 寝台列車は快適だった。夜行バスよりも寝心地がいい。21時にはもういびきをかいていた。


10月26日(日)

10/25横浜駅−(夜行)−10/26米子駅−大山寺〜(夏山コース)〜大山〜(元谷コース)〜大山寺(泊)

 6時に目がさめた。車窓から青い空が見えてホッとした。しかし、米子駅近くで大山らしい山が見えてきたが、山の上部に黒い雲がかかっているのが気になった。

 米子駅で降りてバスを待っていると、40歳前後の2人連れのご婦人から「タクシーで行きませんか」と声をかけられた。私の前に並んでいた60歳ぐらいの男性にも声をかけ、4人でタクシーで行くことになった。

 しばらく走ると、正面に大山が見えて来た。しかし、上部は黒い雲に覆われている。タクシーの運転手が「昨日までは天気が良かったんですがね……。あの雲はイヤな雲ですね……」と、まるで雨か雪でも降ってくるような言い方をした。私は「今日は雨に降られなければ良しとしよう」と独りつぶやいた。
 大山寺のバス停までタクシー代5000千円也。バスで来るよりも1時間も早く着いた。

 ここから商店街の坂道を登って右に曲がると、大山寺橋へ出た。その橋から三鈷峰が見えた。すぐ脇に駐車場やトイレがあり、そこをさらに20メートルも行くと夏山コースの登山口があった。

(写真左は当日撮った三鈷峰、右は翌日撮ったもの)

 最初から急な石段である。200メートルも登ると、こんどは丸太で作った階段になった。土止め用の階段なので歩幅が合わず歩きにくい。

 一合目、二合目と標識があり、傾斜はかなりきつい。視界も悪く、期待していた紅葉は赤や黄色の紅葉ではなく、ただ茶色に枯れているだけだった。

 途中で雨になった。大粒の雨がパラパラと落ちて来た。雨具を着て急斜面をただひたすら足元だけを見つめながら登って行く。標識は一、二合目の後は、三、四合目を見落としたらしく気が付いた時は五合目になっていた。

 この辺は金網のネットで補強した階段で、ガイドブックには「道は良く整備されているので歩きやすい」と書いてあったが、歩幅が合わず決して歩きやすいとは言えない。

 黙々と歩きながら、ここは丹沢や大山(おおやま)と似ていると思った。山全体のイメージが似ていることもあるが、家族連れや軽装の人が多く、雨が降っていても雨具も着ずに歩いている人が多いことも似ていると思った。

 六合目の避難小屋がある広々とした所で、20人ほどが休んでいた。私もここで一本たてた。

 ここからも急な斜面が続く。見るものもなく、ただ黙々と歩く。雨はいつの間にか止んだ。少しなだらかな所へ出ると、今度は木道になった。2人がやっとすれ違えるほどである。「木道から降りないで下さい」と書いた看板が立っていた。ここは天然記念物のダイセンキャラボクを保護しているしい。

 この辺までくると風が強く寒かった。稜線へ出たらしく、左手の日本海側からの強風にあおられた。その風をさけるように、右手の窪んだ所に山頂小屋がボンヤリと見えた。その小屋を回り込むように木道を進んで行くと山頂があった。

 山頂は20人位の人がたえず入れ替わっていた。強風の冷たい風にあおられるため、長くは休んではいられない。ほとんどの人が写真を一枚撮って下って行った。

 私は「大山頂上」と刻まれた石に向かってシャッターを押したが、視界が悪く1メートルも近づかないとシャッターが落ちなかった(写真右)。

 ここは弥山(みせん)の山頂(1,711m)で、最高峰はここから3、40分ほど行った所にある剣ケ峰(1,729m)である。何としてもそこまで行きたいと思っていたが、この視界とこの強風……。しばし思案にくれた。

 剣ケ峰へ向かう縦走路には、ロープが張られ「登山禁止」の標識が立っていた。ここからは、左側が北壁、右側が南壁でナイフリッジのようになっていた。道は肩幅ぐらいしかなく、毎年遭難者が出ているという。つい10日ほど前にも遭難があり、いまだに行方不明だという。
 しかし、このコースは本当は登山禁止にはなっていない。事前に地元に確認したところ、「登山禁止ではない」とのことだった。

 山頂に「三角点まで70メートル」と書いた標識があったので「そこまで行ってみよう」と、ロープをまたいで弥山の三角点まで行ってみた。しかし、視界が利かず、冷たい強風にあおられた。気温3度、頬が凍るような寒さである。縦走どころかじっとしているだけでも苦痛だった。
 すぐに引き返えし、30メートルほど戻った所の窪地へ荷物を降ろし、天気の回復を待つことにした。

 ラーメンを作って食べ、コーヒーを飲んで1時間ほど待ったが、いっこうに回復の兆しはない。日本百名山を目指している人でも、この弥山までしか登っていない人も多い。今は弥山まで登れば登頂したことになるらしいので、潔く下ることにした。(後日、聞いた話によると、剣ケ峰まで行くバカはいない、とのことだった)

 小屋の周りには、100人以上が風を除けながら昼食を摂っていた。下からは登山者が行列をなして登って来る。「登り優先」などと遠慮していると下れなくなってしまう。

 6合目避難小屋の先にある分岐まで一気に下り、そこから右側の行者谷を下って行った。

 ここも期待した紅葉は見られなかった。山全体が茶褐色になっている。この山は、赤く色付くナナカマドやドウダンツツジなどが見当たらない。黄色くなるダケカンバ類も見当たらず、「これでは紅葉などするわけがない」とヤケクソになりながら下って行った。

(写真は元谷小屋と大堰堤)

 元谷へ出て大堰堤があるガレ場を横切ってしばらく行くと、神社があった。最初はこれが大山寺かと思ったが大神山(おおかみやま)神社で、大山寺はさらに下った所にあった。

 (写真左が大神山神社、右が大山寺)

 大山寺の参道で、わずかではあるが紅葉を見ることが出来た(上の写真)。

 大山寺へ早く着き過ぎてしまったので、途中の旅館でお風呂に入り、ビールを飲んでから予約しておいた民宿へ向かった。

 今回の山行は、景色も見えず紅葉も期待はずれで、下山してから民宿でふて腐れていたが、夕方になって晴れて来た。すると女将が、「豪円山の近くまで行けば北壁が見える」というので、カメラだけを持って急いで豪円山へ向った。

 15分も歩くとスキー場へ出た。そこから振り向くと北壁が見えた。まるで谷川岳のような絶壁に、思わず「ヤッター」と歓声をあげた。反対側の足下には日本海が広がっていた。
 さらに5分ほど登り、北壁全体が見える所へ座り込んで写真を撮った(TOPの写真)。そして、やっと見えた大山の北壁を陽が傾くまで眺めていた。
        *
 最後に、地元の名誉のために民宿の女将さんの言葉を記しておこう。
「今年の紅葉は、温度差が少なかったので赤くなる前に、枯れて茶色になってしまったのよ……。それに、紅葉が綺麗なのは北壁ではなく南壁の方で、鍵掛峠という所から一の谷や二の谷の方を見ると、すばらしいんですけどね……」
 と、申し訳なさそうに言った。
 その鍵掛峠までは、バスかタクシーで1時間ほどかかるという。

 翌日は米子から岡山へ出て、新幹線で帰って来た。(平成9年)