越後駒ケ岳(えちごこまがたけ)    44座目

(2,003m、 新潟県)



小倉山付近から見た越後駒ケ岳


駒ノ湯〜越後駒ケ岳往復(避難小屋1泊)

1996年6月16日(日)

相模原−川越IC−小出IC−駒ノ湯〜駒ケ岳避難小屋(泊)

 越後三山といえば、駒ケ岳、中ノ岳、八海山であるが、その主峰である駒ケ岳(魚沼駒ケ岳ともいう)はどうしても登りたい山の一つだった。
 その駒ケ岳へ登るには、枝折峠から登るのが一番早いが、まだ林道が通行止めなので、駒ノ湯から大倉尾根を登ることにした。

 4時前に家を出て、国道16号で八王子から川越ICへ出て関越道へ乗った。小出ICからは国道352号で大湯を目指して行く。

 灰ノ又からは林道になった。右手に渓谷を見ながら進んで行くと、左手に駐車場があったが、私は右手の橋を渡って駒ノ湯へ車を止めた。
 しかし、登山口が見つからない。駒ノ湯の周りをウロウロしたが、どうしても見つからず、いささか弱り果てている時、1台の車が入って来たので道を尋ねると、登山道は橋を渡った反対側にあるという。どうりで見つからない訳だ。

 車はそのままそこへ置いて橋を渡り、林道を右に曲がって進んで行った。実はここで大失態をしでかす。少し登り坂の林道を下を向いて歩いていたため、登山口の標識を見落としてしまったのだ。
 林道の終点まで行くと、そこから沢歩きになった。靴底が濡れる程度だったが、目印がしっかりと付いていたので、何のためらいもなかった。

 やがて山道となり、登るにしたがって道は細くなって来た。さらに登って行くと倒れかかった木をまたいだり、くぐるようになって来た。それでやっと「おかしい」と思った。日本百名山ともある山で、こんなに道が悪い訳が無い。これは渓流釣りの人達が歩いた道かも知れない、と思って引き返した。

 林道まで戻って駒ノ湯へ向かって下って来ると、左手に登山口と書かれた立派な標識があった。それを見た途端、全身の力が抜けてしまい、その場へ座り込んでしまった。標識は、背丈ほどもある雑草で3分の2ほどが隠れていた。それにしても標識を見落として、2時間近くもウロウロしてしまった自分が情けなかった。

 今朝駒ノ湯へ着いたのが7時半頃だった。今9時半になろうとしている。2時間というムダな消費は、今日一日の予定を狂わせた。
 林道に座り込んだまま、これから登るべきか、このまま家へ帰るべきか、それとも今日は駒ノ湯へ泊まって明日登るべきかを思案した。

 今から登ると小屋へ着くのは4時を過ぎてしまう。気持ちの上ではもう山へ登りたくなかった。このまま帰りたいぐらいだった。しかし、改めて出直して来るのも大変である。駒ノ湯へ泊まるには、まだ9時半を回ったばかりで時間がもったいないこともあるが、それよりも休暇を1日しかもらってこなかった。

「よし、行こう!」と心を決めた。今日中に小屋へ着けばいいと開き直った。
 さっそく標識の前へ立った。そして標識の後ろにあった細い道を下ると吊り橋があった。その吊り橋を渡りながら、やっとスタート地点に立った感じがした。
 吊り橋を渡ると、いきなり尾根に取り付いた。ここからは森林地帯の急登の連続だった。とにかくひたすら登って行った。

 しかし、道を間違えて2時間も歩き廻ったツケは大きく、正規の道を2時間登ったよりもはるかにエネルギーの消耗が大きかった。すでに一つの山を登って来たような疲労感である。それに、今日は自炊の小屋泊まりなので荷物も重く、足取りは極端に遅かった。

 途中で森林の間から駒ケ岳が見えた(写真右)。郡界尾根の荒々しい全容が見えた。沢筋には残雪がぎっしりと詰まっていた。思わず「ヤッター」と声を上げ、写真を何枚も撮った。

 出発が遅かったので、登山者には全く会わなかった。やっと2人組みの下山者に会ってホッとした。その人から、「これから登るんですか……」と怪訝そうに言われ、
「日没までには小屋へ着けるでしょう」と言うと、彼らはしばらく無言のまま、指を折って数えていたが、「急がないと厳しいですよ……」と言った。
 今度は私の方が一瞬無言になった。

 彼らに励まされ、再び急斜面を登り始める。一歩一歩登って行くが足取りは重かった。今日は日差しがなく、あまり暑くないのが救いだ。

 ここにはカタクリの花がいっぱい咲いていた。小さくてかわいい花が、重い足取りをなぐさめてくれた。山靴でカタクリを踏みつけないように気遣いながら、一株でいいから家へ持って帰りたいと思った。

 後ろから猛スピードで青年が登って来た。地元だという20代の青年は、水と弁当だけが入ったような小さなザックを背負い、ピッケルを片手に登って来た。彼は今から山頂を往復してくるという。恐れ入った。

 枝折峠との分岐まで来ると、残雪になった。ここには小さな標識があったので、枝折峠への分岐であることが分かったが、枝折峠へ下る道は、一面残雪に覆われ足跡一つ付いていなかった。

 小倉山の山頂からは駒ケ岳が立派に見えた。背後には荒沢岳(写真右)も見えた。荒沢岳は一度は登ってみたい山だと思った。あんな良い山が、なぜ百名山に入っていないのか不思議だった。

 途中で2人連れの中高年に会った。彼らも不思議なものでも見たように、「これから登るんですか……?」と言った。そして、「雪でコースが分かりにくいから、右、右と行くんですよ」と親切に教えてくれた。

 しばらく緩やかな登り下りを繰り返し、百草ノ池の近くまで来たとき、地元の青年が戻って来た。彼は、自分はもう山頂を往復して来たのに、まだこんな所にいたのかというような、あきれた顔つきだった。私は小屋までの時間や宿泊者数などを彼から聞いた。彼は「池まであと5分ぐらいです。すごくきれいな池ですから、頑張って下さい」と言い残して下って行った。

 5、6分も歩くと池の標識があった。しかし、池へ行く道は通行止めになっていた。ガイドブックにも「池が復元しつつあるので絶対に入ってはいけない」と書いてあったのを思い出した。あの青年は、私を励ますつもりで「きれいな池がある」と言ったのだろう。青年の顔を思い浮かべながら、一人でニヤニヤしてしまった。

 途中で、背後に見えた荒沢岳の写真を撮ろうと思い、雪の斜面にザックを置いてカメラを覗いている時、ザックが滑り出し、そのザックに両足をすくわれてザックと一緒に4、5メートルも滑り落ちてしまった。一瞬何事がおきたか分からなかったが、ピッケルで止めて事なきを得た。この時カメラのレンズやファインダーに雪が詰まってしまい、この後カメラの調子が悪くなってしまった。

 道はさらに急登になった。そして、先程から心配していた雨がついに落ちてきた。雨具を着ての急登は実にしんどい。雨よりも汗でシャツが濡れてしまう。
 雨の中をひたすら登って行くと、やせた岩稜に変わってきた。雨は一層強くなり、顔の部分から雨水が入り込んできた。

 岩稜をひたすら登って行くと、突然小屋があった。台地のようになった奧にこじんまりとした小屋が建っていた。ついに小屋へ到着。
 雨具を脱いで小屋へ入っていくと、先客は1人しかいなかった。脇の方から管理人が現れた。

 私は濡れた肌着を脱いで、予備に持ってきた厚手のシャツを直接着た。肌着の着替えは車の中へ置いてきてしまったのだ。最近は車での日帰りが多かったので、つい下ってから着替えればいいと思ってしまったのだ。

 雨に打たれて冷えてしまった身体に、直接厚手のシャツを着ても寒くてガタガタ震えていた。管理人が見かねて、「これ、あげるから着なさい」と言って、奧の部屋から長袖の肌着を持ってきてくれた。管理人に感謝するとともに、着替えを持ってこなかった自分が、登山者として恥ずかしかった。

 さらに、管理人が私のビニール製の雨具を見て、「今時、ハイカーでもこんなの(安物)着ていないよ」と言われ、下山後にゴアテックスの雨具を買おうと思った(実際に買った)。

 管理人に、登ってくる時に登山口を間違えて沢を登ってしまったことを話すと、管理人は「あそこは、毎年間違う人がいるんですよ……」と言った。そして、「標識をもっと手前に立てるように環境庁には言っているんだけどねえ……」と言った。標識を立てるにも環境庁の許可が必要だとは、この時初めて知った。

 さらに、「枝折峠との分岐で毎年間違う人がいる。駒ノ湯へ下るつもりが枝折峠へ下ったり、枝折峠から登って駒ノ湯へ行ったりしてしまう。特に今の季節は標識が雪に埋もれて見えないので、自分で標識を作って、先日立ててきた」と言った。登ってくる時に見たあの標識は、この管理人が手作りで立てたものだった。

 夕方になって、管理人が「山が見えるから外へ出よう」と声をかけてくれた。3人で外へ出てみると、雨は上がり、目の前にドーンと富士山のような雪山があった。まさに雪だらけの山で、これが越後駒ケ岳の山頂部だった(写真左)。上部の方は夏になると解けるが、谷の方は万年雪で、夏でも7、8メートル残っているという。

 中ノ岳から兎岳へ続く稜線が見えた。60代の先客はその稜線を指差しながら、「一人で丹後山からあの兎岳、中ノ岳を歩いて来たんですよ」と言った。

 管理人が山の名前を教えてくれた。「あれが平ケ岳ですよ」と言われたが、みんな同じ様な雪山なのでどれが平ケ岳か分からなかった。

 そして、私が「次は平ケ岳へ登りたい」と言うと、「平ケ岳を登るなら10月がいいね。2週だと雪が降るかも知れないから1週の方がいいかな……」と言った。私はぜひ10月の1週に登ってみようと思った。


6月17日(月)
駒ケ岳避難小屋〜駒ケ岳往復〜駒ノ湯

 朝食を済ませてから山頂へ向かった。昨夜一緒だった先客は、「駒ノ湯へ下るだけなのでのんびりですよ」と言っていた。

 小屋からは左手の斜面を登って行く。完全な雪山である。所々に竹竿が立っていた。その竹竿を目印に急な斜面を登って行くと、すぐに高台へ着いた。そこから右(北側)へ曲がって、比較的なだらかな斜面を進んでいくと、左手に雪が解けて黒い土が出ている部分があった。そこが山頂だった。

 駒ケ岳の山頂は、2,003メートルで一等三角点があった。

 ここの下りから小屋が小さく見えた。そして、小屋の向こうに昨日登って来た尾根が見えた。その尾根は、左へ大きくカーブを切っていた。「今日は左へ左へと下ればいい」と思った。先客が池の近くを下って行くのが小さく見えた。

 小屋へ戻って荷造りを済ませ、管理人にお礼を言って下り始める。ここはクマが出るというのが気になった。昨夜、管理人から「クマは夜行性なので日の出、日の入りの頃は行動しない方がいい」と教えられた。

 日の出時間はもうとっくに過ぎているが、一人で山道を歩いていると、やはりクマが気になった。

 クマに会うこともなく無事駒ノ湯へ着くと、先客が外のベンチに座って缶ビールを飲んでいた。湯上がりのビールがうまそうだった。私もゆっくりと温泉へ入った。ここの温泉はかなりぬるい温泉だった。

(写真は駒ノ湯から見た越後駒)

 越後駒ケ岳は、駒ノ湯から一気に1,000メートルも登る、実に登りがいのある山だった。麓にはカタクリの花が咲き、山には残雪が多く、一方では雪さえも寄せ付けない郡界尾根の岩稜があり、山の風格といい、けしてアルプスに引けをとらない魅力ある山だった。

 今回は大チョンボをしてしまったが、充分反省し、これからは慎重に行動しよう。         (平成8年)


越後駒ケ岳・展望

(荒沢岳から見た越後駒)

(中ノ岳五合目付近から見た越後駒)