富士山(ふじさん)    27座目

(3,776m、 山梨県・静岡県)


愛鷹山から見た富士山


2.富士宮口〜剣ケ峰〜宝永山〜富士宮口
2003年 8月23日

相模原530−R143(道志)−山中湖−スカイライン−富士宮新五合目920〜1130元祖七合目〜1405九合目〜浅間大社奥宮〜1615剣ケ峰〜1700山口屋(泊)

 朝5時30分にKさんが、我が家の近くまで車で迎えに来てくれた。
 早速、彼の車に乗り込みR143で山中湖へと向かった。

 途中、駅の道「道志」で休憩。紺碧の空を見上げながら、「絶好の登山日和だナァ!」と喜び合った。ここしばらく雨ばかり降っていたので、久しぶりに青空を見たような気がする。

 山中湖からは「御殿場・富士宮方面」を目指して行った。今回は一番楽なコースといわれる「富士宮」から登るためである。

 富士山を登る場合、吉田口から登ると、五合目から久須志神社までの標高差が1,470m、須走口が1,780mで、いずれもそこから剣ケ峰まで約30分ほど歩かねばならない。御殿場口は銀名水までが2,335mもある。
 それに対して富士宮なら剣ケ峰まで1,400mで済む。それに、今回は山頂の小屋へ1泊するので余裕である。

 緑に覆われたスカイラインを順調に走って行く。高山病にならないように窓を開けているので、朝のさわやかな風が入って来る。
 3合目を過ぎ、4合目近くなって我々は焦りだした。右側の路肩にぎっしりと車が駐車しているではないか。上はもう満杯なのだろうか。もし、こんな所に駐車したら五合目まで1時間も歩くことになってしまう。

 五合目の駐車場はやはり満杯だった。ここはロータリーになっていて、駐車できないとそのままトコロテンのように押し出され、下り車線に入ってしまう。かなり焦りが出たがどうしようもない。

 そのまま下って行く車もあったが、我々は強引に割り込んで二周目にチャレンジした。私が車から降り、駐車している車に人がいると登りか下りかを確認していった。10台目ぐらいでやっと下山する車をみつけて駐車することが出来た。すでに9時を過ぎていたが、やっと駐車することが出来てまずは一安心。

 登山準備を済ませ、五合目の売店で、はやる気持ちを抑えながら缶コーヒーを飲み、一服する。ここで急いで登ってはいけない。高山病にならないためには、のんびりして身体を気圧に慣らすことが必要なのだ。

(写真は五合目の売店から見た山頂)

 9時20分出発。
 とにかく人が多いのに驚く。登る人と下る人が交差しながら、アリの行列のように山頂まで繋がっている。さすがは日本一の山だと思った。

 紺碧の空を区切るように、3つのピークが見える。あの光っている小屋の左側が剣ケ峰だろうか。ここから見るとすぐ近くに見え、とても1400メートルもの標高差があるとは思えない。

 最初に感じたことは、若い人や家族連れが多いことだった。他の山では見られない光景だった。
 そして、その若者達の登るペースがやたらと速いことに驚いた。私はもともと足が遅い上に、七合目までは「ゆっくり・ゆっくり」を決め込んでいたのでどんどん追い越される。その度に「あんなに急いで登ったらバテちゃうだろうに‥‥」と心配した。

 六合目を過ぎ、七合目あたりまでは何とか自分のペースで歩けたが、そこからがおかしくなった。登っている人も下って来る人も素人、いや山慣れしない人が多く、ペースが乱される。若者が私のすぐ後ろにピタッと付けて来るので道を譲ってやると、10m先で休んでいる。「休むくらいなら追い越すな、つ〜の!」

 かと思うと、親子連れやアベックが手をつないで登っているため、道をふさいでしまう。また、道の真ん中で立ち止まってしまう人が何と多いことか。たとえ立ったまま休むにしろ、道の端に寄って休むことを知らない。

 七合目小屋を過ぎ、元祖七合目へ11時30分着。

 八合目の手前が急登でしんどかった。私より先に歩いていた相棒のKさんが小屋の70メートルほど手前で休んでいた。そして、体調が悪いという。良く見ると顔色が悪かった。一瞬、高山病かと思って心配したが、頭は痛くないという。いずれにしても酸欠だと思い、「2回吸って4回はく」深呼吸をするようにアドバイスすると、4、5分で顔色が戻ってきた。
 ここでしばらくのんびりしてから、小屋で昼食にしょう、と再び歩き出した。

 八合目の小屋で昼食を摂っていると、隣に20代前半の女性2人と男性1人のパーティーが来た。その中の女性1人が頭が痛いと言ってグッタリしている。完全に高山病だと思った。男性が持っていた携帯用の酸素で吸入していたが、とても山頂まではムリだろうと思った。それに、このパーティーは日帰りだという。何と無謀なことか。日帰りならもっと早く出発しなくてはいけない。仮にこれからコースタイムで歩いたとしても、五合目へ戻る前に日没になってしまうだろう。

 小屋の周りには病人が大勢いた(10人以上)。すでに歩く元気を失って道端に仰向けになったり、うつ伏せになったりしている。こんな光景は見たことがない。まるでピクニックのような感覚で登って来てしまった結果だろうと思った。そして、この人達が山嫌いにならなければいいんだが、と思わずにはいられなかった。

 八合目からは比較的なだらかになった。しかし、一列になったパーティーが立ったまま杖にしがみついて休んでしまう。
「道を空けて下さーい!」と、つい大きな声を出してしまった。

 九合目へ14時05分着。ここまで来ればもう登ったも同然だと思った。ここからなら這ってでも行けるだろう。

 我々が休んでいると、八合目で会った若い女性2人と男性1人のパーティーが登ってきた。一人の女性は完全にダウンしている。これ以上ムリさせると命にかかわるかも知れないと思い、連れの男性に絶対ムリさせないように言った。「山は逃げないから、また来週でも来年でも来ればいいんだから‥‥」と言って下山するよう説得した。

(写真は九合目付近、ここからが正念場)

 ここからは完全にペースが乱れてしまい、もうメロメロだった。いや、メロメロというよりメチャクチャだった。10分か15分歩いては休憩の繰り返し。

 フラフラしながら浅間(せんげん)大社奥宮へ着いたのは16時ごろだった。神社で安全登山を祈願してから剣ケ峰へ向かった。

 剣ケ峰の登りは砂塵の急登で足場が悪かった。下りの人は苦戦している。尻餅をついて滑り降りている女性もいた。この下りは杖がないと厄介だと思った。

 16時15分、やっと山頂に着いた。思わずガッツポーズ。
 観測ドームの跡地に立派な石の標識が立っていた。そこでKさんと一緒に写真を撮り、すぐ脇にあった三角点に立った。3,776メートルの頂に立って満足、満足。

(日本最高峰・剣ケ峰)


(剣ケ峰からお釜越しに見る山梨県側)

 さて、今度は急いで小屋へ行かねばならない。山頂から時計周りに白山岳へ向かって行った。吉田口登山道と合流すると、予約していた山口屋はすぐ近くにあった。小屋着5時ジャスト。

 小屋の中では宿泊者が夕食を食べていた。受付を済ませると、その場へカレーライスとお茶を持って来た。「ちょっと待ってくれ! ビールが先だろう、ビールが!」と、缶ビールを買って一気に飲んだ。

 それにしても、小屋泊まりで、靴も脱かずに夕食を食べたのは初めてだった。富士山は外国人が大勢いたが、こんな小屋の待遇が日本のすべてと思われては困ると思った。待遇が悪いのは富士山だけなのだから‥‥。

 夕食後に散歩のつもりで外へ出たが、寒くてたまらず引き返した。一度冷えた身体は厚手のシャツを着込んでも震えが止まらなかった。

 18時半を過ぎても登山者が次々と到着した。中には予約をしてない人まで来た。さらに、これから下山する人も大勢いた。他の山では絶対に考えられない、何か恐ろしいものを見たような気がした。そして、富士山は登山の常識やルールなど全く通用しない特別な山なのだと思った。

 寝る時になって、初めて酸素が薄いことを知った。息苦しくてなかなか寝付けなかった。近くでは酸素吸入している人もいた。
 夜中にトイレに起きた時、窓から満点の星が見えた。外へ出ようと思ったが、あまりにも寒いので諦めた。下山後、6万年ぶりに地球に大接近しているという火星を見るべきだった、と悔やんだ。


2003年 8月24日(日)

山口屋540〜銀名水600〜630八合目小屋〜宝永山〜富士宮新五合目

 朝3時起床。3時に電気が点く山小屋は初めてだった。ご来光が5時08分、それまで2時間以上もあった。
 まずは一服しようと玄関へ行って驚いた。何と外は溢れんばかりの人だった。何百人、いや何千人いるか分からない。とにかく歩く場所がないほどの群衆だった。今朝、七合目か八合目あたりの小屋から登って来た人達なのだ。

 4時から食堂が開いた。店の中へ堰を切ったように人が雪崩れ込んできた。私も店のラーメンで朝食。インスタント・ラーメンにお湯をそそいだだけで800円也。しかも、これほどまずいラーメンは初めてだった。

 4時30分になるのを待って小屋を出た。東の空が薄っすらと明るい。ご来光を見るにも場所がないほどの混雑で、やっと場所を確保した。

 東の空がオレンジ色に染まり出した。しかし、雲が多く、あまり期待はできない。
 待っている間にも続々と人が登って来た。団体ツアーが多いようだ。

 空はだんだん明るくなって来たが、東の空に厚く覆った雲がとれない。白い雲海と厚く天井を覆った雲の間が、帯状の空間となってオレンジ色に染まっていた。

 天井のように覆った雲が、一刻一刻変化する。そして、オレンジ色の塊からバラ色の光線が走り出した(写真)。

 小屋へ戻り、5時40分に出発。しかし、須走りの下山道までは大渋滞だった。隣にいたオジさんが、「私は今回で24回目だが、こんなに混んだのは初めてだ」と言っていた。
 やっと渋滞から抜け出して、大日岳を巻いて銀名水をめざして行った。

 銀名水からは宝永火山へ寄るため御殿場口を下山。6時ジャスト発。
 ここはウソのように人が少なかった。廃墟のような八合目の小屋へ6時30分着。小屋前で休憩。

(写真左は6合目の分岐から見た宝永山、左へ下ると御殿場、右側が宝永火口)

 宝永山から見る富士山(写真右)は迫力満点だった。火口の底から一気にそそり立った壁を見ていると、これが爆発した時は江戸まで火山灰が積もったというのが頷ける。

    (拡大すると迫力満点です)

 ここからの下りが凄かった。石と砂利の急斜面を「泳ぐように」というか「転げ落ちるように」して下った。足を出すたびに、くるぶしまで砂利に埋まり、ズルズルと3、40センチもずり落ちた。そして乾燥した砂塵が舞い上がる。

 私はこういう下りは得意だが、上から見た時より斜面が急で、距離も長かった。
 火口底から反対側の火口壁を5、6分も登ると、富士宮登山道の「宝永山荘」が目の前にあった。