平ケ岳(ひらがたけ)    90座目

(2,141m、 群馬県・新潟県)


姫ノ池から見た平ケ岳


鷹ノ巣登山口から平ケ岳往復

2001年9月7日(金)

相模原1030−川越IC−小出IC−銀山平−1750鷹の巣・清四郎小屋(泊)

 この山は、奥利根源流にあり、日本百名山の中でも最もロングコースの一つである。
「山と高原地図」によると、登りが5時間40分、下り3時間50分、合せて9時間30分となっており、山と渓谷社の「日本百名山登山ガイド」では、登り6時間50分、下り4時間45分、合わせて11時間35分となっている。

 私の場合は体力がないので、休憩と昼食時間を含めると、ざっと12、3時間は覚悟しなくてはならない。
 普通は5、6時間も歩けば避難小屋ぐらいはあるものだが、ここにはそれがないからツライ。

 そこで、この山へ登るには、強引に日帰りするか、それとも重いテントと食料を担いで九合目近くまで登って一泊するかの選択になるが、実は隠された選択肢がもう一つある。

 それは「皇太子様ルート」とも呼ばれる中ノ岐林道から登るコースである。一般車の通行はもとより登山そのものが禁止になっているが、地主である銀山平の民宿へ泊まると中ノ岐林道の終点まで車で送迎してくれる。このルートなら3時間ぐらいで山頂へ立てるらしいが、私は「日本百名山を目指す者は、このルートで登るのはアン・フェアだ」と思っていたので、始めから選択肢には入れていなかった。

 そこで、テントを持っていない私は、テントを買って1泊で行くか、日帰りするかで迷ったが、結局、日帰りで行くことにした。そして、少しでも負担を軽くするため、登山口である鷹の巣(たかのす)へ2泊することにした。
     *
 朝から小雨が降っていたが、「新潟県は晴れる」という天気予報を信じて10時半に家を出た。
 関越道を走っていると雨脚が強くなり、もし明日もこんな天気だったら登るのを止めようと思った。

 小出からはシルバーラインを通って銀山平へ出て、鷹の巣の「清四郎小屋」へ5時半ごろ着いた。宿泊者は14、5人で、平ケ岳へ登る人と渓流釣りの人が半々ぐらいだった。

 夕食の時、私は女将さんに「明日は夕食までに帰ってこなくても心配しないで下さい。必ず戻って来ますから」と言うと、女将さんから、「日没までには下って来て下さいよ」と言われる。何んとしても日没までには下らねばならないと思った。

 渓流釣りでここを常宿にしているという人から、「今年の夏は平ケ岳を登って途中でダウンして日没を過ぎても帰って来ない人や、水を1リットルしか持っていかなかったので、途中で引き返して来たという人もいましたよ」、と聞かされた。やはり平ケ岳はかなり手強いようだ。

 私はこの山を登るのは、日照時間が長い7月か8月がいいと思いながらも、暑くてメロメロになるよりも少しでも涼しい方がいいだろうと思って9月にしたのだが、それが正解のような気がした。

 外は相変わらず小雨が降っていたが、「明日は晴れる」という天気予報を信じて8時就寝。


9月8日(土)

登山口420〜700下台倉山712〜820台倉山〜920白沢清水〜1115姫の池〜1145山頂1230〜水場〜1605下台倉山〜1805登山口】

 3時起床。まだ真っ暗だったが雨は上がっていた。さっそく玄関先で湯を沸かしてパンとコーヒーで朝食。4時に小屋を出た。
 平ケ岳の登山口には車が20台ほど置けそうな駐車場があり、すでに7、8台が止まっていた。その中には熊本ナンバーまであった。

 ヘッドランプを点け、クマ除け鈴をぶら下げて4時20分に出発。
 真っ暗らい林道を登って行く。20分ほどで林道から分かれて右の登山道へ入って行く。ここも真っ暗で薄気味悪かったが、背中でガラン、ガランと音をたてるクマ除け鈴が心強かった。

 しばらく行くと伐採跡地になり、まだ明けきらない乳白色の空が見えるようになった。
 やがてヘッドランプを消しても歩けようになると、ヤセた岩尾根へ出た。砂礫混じりのヤセ尾根で、所々にナイフリッジのような所もあった。雨の日や風の強い日は嫌らしいだろうと思った。
 そのガレたヤセ尾根を一歩一歩登って行った。

 今日は腹の調子が悪く、1時間ほど歩いた所でセイロガンを飲んだ。そこから5分ほど登った時、太い松の木の陰から突然人が現れたのでビックリした。私が「アッ」と大きな声を発したので、木の陰で休んでいた青年が笑っていた。私も一緒になって笑ってしまった。そこに「前坂」の表示があった。

 ここからも同じようにガレた岩尾根の急登が続く。足場は悪いが、深田久弥さんが登った頃は道さえも無かったというから、道が有るだけでも有り難いと思わなくてはいけない。この辺は東京の水瓶なので登山道が出来たのも、やっと昭和30年代になってからだという。

 前方の上空には青空が広がって来た。嬉しい。これで平ケ岳もすっきりと見えるに違いない。

 斜面は一層きつくなった。足の遅い私は次々と追い越され、我ながら情けなかった。

 下台倉山の最後の登りを登って行くと、さらに奥にピークがあった。10分以上も登ってやっと下台倉山に辿り着いた。7時ジャスト。

 ここには「鷹の巣3.2キロ、平ケ岳8.3キロ」の標識が立っていた。先程私を追い越して行った3人も休んでいた。その標識の前に座り込んで汗を拭いながら、今日は暑さとの戦いになりそうだ、と思った。そして、ここを真夏の炎天下に登らなくて良かったと思った。

 ここからは、さっそうとした燧ヶ岳が見えた。写真を撮ろうとしたが、逆光なので帰りに撮ることにした。

 7時12分発。
 ここからは、今まで左右に見えた稜線を左に曲がって進んで行く。1、2分歩いた所から前方右手に池ノ岳と平ケ岳が見えた。嬉しい。両方ともぼってりした山だが、あれが目指す平ケ岳だと思うとうれしかった。写真を何枚も撮った。


右奥が池ノ岳、左奥が平ケ岳

池ノ岳と平ケ岳をズーム

 ここからは稜線歩きになるので楽かと思ったが、甘かった。ギラギラした太陽の下で、アップダウンを何回も繰り返す。ペースがグーンと落ちた。

 しばらく行くと右手に池ノ岳と平ケ岳が大分近づいて来た。あそこまでなら何とか行けそうだと思うと、少し元気が湧いてきた。

 この辺は見晴らしが良い尾根で、左正面に逆光の燧ヶ岳が聳え、その奥に日光白根山が見えた。
 三角点のある台倉山へ8時20分着。

 ここからは視界が利かない樹林帯になった。その中を5分ほど下った所に水場の表示があった。台倉清水であるが、30メートルも下ると聞いていたので、そのまま通過した。
 水は途中で補給できるだろうと思って1リットルしか持ってこなかったが、まだ充分残っていた。しかし、やはり冷たい水がほしい。次の白沢清水へ着いたら、冷たい水を頭からかぶって、ゴクゴク飲みたいと思った。

 その白沢清水まで、あと10分か15分ぐらいだろうと思っていた時、突然視界が開け、水場らしいものがあった。(9時20分ごろ)。
 しかし、それは湧き水というより雨水が溜まったような感じで、とても飲む気にはなれなかった。これが本当に白沢清水だろうか。それともこの先に本物の水場があるのだろうか。(これが白沢清水だった。帰りには飲んだ)。

 とにかく標識がないので分からず、この先に本物の水場があることを期待しながら歩き始める。しかし、行けども行けども水場らしいものはなかった。

 道が池ノ岳への登りになった時、やっと先程の水場が白沢清水だったことを知った。そして、次は池ノ岳と平ケ岳の鞍部に流れているという水に期待しながら、ぬるくなったポリタンの水を飲んだ。

 池ノ岳への登りにさしかかった頃は、もうメロメロだった。冷たい水のある鞍部まであと20分か30分だろうと思って、歯を食いしばって一歩一歩登って行った。


(池ノ岳の最後の登り。左が平ケ岳)

(だいぶ平ケ岳らしくなって来た)

 池ノ岳を登り切って、少し下って登り返すと木道になった。そこに、「〇〇湿原1分」と書いた板が地面に置いてあった。そして、突然視界が開け、目の前に池が広がり、その奥に平ケ岳が見えた。思わず「ヤッター」と両手を上げてバンザイした。11時15分。
 何度も写真で見たことがある大きな池と湿原、その奥にボッテリした平ケ岳が横たわっていた。急いで写真を撮った。

 ここからは、木道が平べったい平ケ岳の山頂まで続き、登山者の姿もはっきりと見ることができた。ここまで来ればもう平ケ岳は登ったも同然だと思った。

 早く水場へ行きたかったので、すぐに平ケ岳へ向かったが水場はなかった。私は「池ノ岳と平ケ岳の鞍部に水がある」と聞いていたので、てっきり縦走路にあると思い込んでいた。

 冷たい水にありつけぬまま、11時45分にやっと山頂へ立った。平坦な湿原が広がった山頂なので「立った」と言うより「着いた」と言った方がふさわしい。木道の一角に立派な標識(看板)があり、そこに6、7人が休んでいた。その中に、昨日、夕食の時に私の前に座った水戸から来たという夫婦もいた。
 その看板の所で私は思わずガッツポースをしてしまった。日本百名山の中で最もシンドイだろうと思っていた山頂へ、やっと着いたという嬉しさでいっぱいだった。

 私は荷物を背負ったまま、看板のすぐ裏にある三角点へ行って写真を撮り、すぐ戻って来て倒れるように座り込んだ。そして、そこで昼食にしたが、疲れ過ぎてしまい、食事も半分しか喉を通らなかった。


山頂の案内板がある休憩所

平ケ岳山頂

 食事をして熱いコーヒーを飲むと少し元気が出て来た。ザックを置いて木道を進み、越後駒ケ岳や荒沢岳などが見える所まで行った。

 山頂一帯はすでに草紅葉が始まり、ピンク色に染まった草もあった。やはり2,000メートルの山頂は紅葉するのも早いようだ。池塘と草紅葉を見ながら、昨年の秋に登った八甲田山を思い出した。


燧ヶ岳

右が越後駒ケ岳、左が中ノ岳

荒沢岳

 12時30分下山。
 平ケ岳を下り、たまご石との分岐に「水場0.2キロ」の標識があった。迷わず水場へ行った。細い流れだったが、やっと冷たい水にありつけた。水をゴクゴク飲んで顔を洗い、ポリタンの水を全部入れ替えた。
 水を補給した後は、そのまま進み、次の分岐で縦走路へ戻った。

(写真は水場から返り見た平ケ岳。木道の左側の窪みが沢。木道の周りがテント場になっているが、ササが多く3〜5張程度?→拡大できます)

 ここからの下りもしんどかった。ここは下りといっても登り返しが何度もあるのでたまらない。

 白沢清水まで来ると、雨水が溜まったような水を大勢の人が飲んでいた。私が「その水は飲めるんですかね……」と聞くと、その中の一人から、「こんなうまい湧き水を飲まないてはないでしょう」と言われ、私も落ち葉やゴミが入らないようにコップですくって飲んだ。すると、これが冷たくておいしかった。さっきわざわざ酌んできたポリタンの水を全部入れ替えた。

 下台倉山へ16時5分着。ここから山麓の建物が見えてホッとした。水場で一緒になった宇都宮から来たという40代半ばの御仁と一緒に休憩した。彼は登りでへばってしまい、何度も道端で寝そべっていたという。

 ここからは日没との争いになった。薄暗くなったヤセ尾根を必死で下り、やっとの思いで登山口へ着いたのが18時5分だった。朝、出発してから13時間40分だった。
 宿へ戻ってすぐに風呂へ入り、ビールをカブカブ飲んだ。しかし、食事をする元気もなかった。
       *
 翌日は檜枝岐へ出て、東北道を廻って帰って来た。(平成13年)

【燧ケ岳の熊沢田代から見た平ケ岳】

(左:平ケ岳、右:池ノ岳)