笠ケ岳(かさがたけ)    74座目

(2,897m、 岐阜県)


三俣蓮華から見た笠ケ岳。


新穂高温泉〜弓折岳〜抜戸岳〜笠ケ岳〜(笠新道)〜新穂高温泉

1999年 8月28日(土)

相模原355−相模湖IC−640松本IC−820新穂高温泉〜1010ワサビ平小屋1030〜1430鏡平山荘(泊)

 朝、3時55分に家を出た。朝が早いこともあって中央高速はガラガラだった。
 甲府を過ぎると右手に八ケ岳が見えて来た。「よし、今日は絶好調だ!」と気分良く追い越し車線を思い切り飛ばしていくと、後ろからパトカーに追いかけられてしまった。「まさか・・」と思ったが、その「まさか・・」だった。スピード違反で反則金3万5千円は痛かった。

 松本インターへ6時40分着。ここから上高地方面へ走って行く。
 安房トンネルをくぐり、今度は富山方面へ向かって行った。
 新穂高温泉へ8時20分に着いた。しかし、新穂高温泉のイメージが違い過ぎて不安になった。もう20年以上も前になるが、弟と裏銀座を縦走した時、台風のためここへ下ったことがある。その時のイメージと違い過ぎたからだ。

 観光案内板を確認したが、やはり新穂高温泉だった。半信半疑のまま、バス停から少し戻った所に無料駐車場があると聞いて、そこへ車を止めた。100台も置けそうな広い駐車場は、半分ほどが空いていた。
 林道を歩いて行くと、工事関係者がいたので聞いて見ると、「ここは昔とちっとも変わっちゃいねぇ……」
 と言われる。

 前に来た時はここからタクシーで旅館まで行ったのだろうか。人の記憶とはアテにならないものだと思った。
 林道は少しずつ登り坂になっていた。すぐに汗が流れてきた。
 それにしても登山者の姿が見えないのが気になった。季節はずれのせいなのか時間のせいなのか分からないが、人っ子一人いないというのは不安だった。

 しかし、10分か15分もすると、上から登山者がゾクゾクと下って来た。鏡平山荘から下って来ると、ちょうどこの時間になるのかも知れない。振り向くと登って来る登山者の姿も見えた。
 天気が少しずつ怪しくなってきた。せめて鏡平小屋へ着くまでは降らないでほしいと願った。

 1時間も歩いた頃、水場があった。冷たい沢水で喉を潤した。ここで、ついに雨が落ちて着た。傘をさしてワサビ平小屋へ着いたのが10時10分だった。
 小屋の軒先で弁当を食べ、小屋の前にある沢水をポリタンに詰め込んだ。雨はいよいよ本降りになってきた。雨具のズボンだけをはき、傘をさして10時30分に出発。

 しばらく林道を進み、途中で河原に下りると、そこから登山道になった。
 ガイドブックには、「少し登れば右手に穂高連峰が見えてくる」と書いてあったが、雨が降っていては見えるはずもない。

 樹林の中を登って行くと、やがて草原に出た。そこには「イタドリが原」と石にペンキで書いてあった。さらに登って行くと「シシウドが原」に着いた。どちらも黄色くなった葉だけが目を引いた。

 急登の途中で傘をさしながら休憩していると、すぐ下で「ここで休憩!」と仲間に声を掛けている人がいた。そこは狭い登山道だったので、少し広い所で休んでいた私は、「ここにいい所がありますよ」と声をかけると、次々と登ってき来た。このパーティーは総勢18人の新潟楽山会という団体だった。私はこの後、このパーティーと付かず離れず行動することになった。

 急登を登りながら、今月初めに行った北海道の羊蹄山に比べれば、はるかに楽だと思った。羊蹄山の時はスコールのような雨だったが、今日はそれほどでもない。それに風がないだけ楽だった。

 見るものもなくひたすら登って行くと、鏡平の池に着いた。この池は槍穂連峰を投影するので有名だが、肝心な槍穂が見えなくては、ただの池でしかない。
 真新しい木道を行くとすぐに鏡平山荘があった。14時30分着。


晴れた日の鏡池からの槍穂連峰

鏡平山荘(翌朝撮ったもの)

 この小屋は、今年の7月に新築オープンしたばかりでピカピカだった。しかも、飛騨の有名な棟梁が建てた小屋だという。
 食堂で生ビールを飲んでいると、途中で会った18人の団体さんがやって来た。ほとんどが60代から70代の中高年だった。夕食までの間、18人プラスワンで宴会になった。

 4時頃になって雨が止んだ。しかし、穂高の頂きは見えなかった。


8月29日(日)

鏡平山荘600〜700分岐720〜750大ノマ乗越〜1145笠新道分岐〜1300笠山荘〜笠ケ岳往復〜笠山荘(泊)

 朝4時に目がさめた。窓を開けて外を眺めると、昨日は見えなかった穂高連峰がシルエットになって見えた。しかし、空には星が見えるのに、霧のような雨が降っていた。何とも不可解な天気だった。
 いずれにしても、こんな天気ではご来光など期待できないと思い、また布団の中に潜り込んだ。

 5時からの朝食を済ませてから、鏡平の池まで行って見た。依然として霧のような雨が降っていたが、穂高は一部分が見えるようになって来た。しかし、テッペンは見えない。

 槍も穂高も見えず、笠へ行っても写真の一枚も撮れないのではつまらない。登るのを止めて帰ろうかとも思ったが、気を取り直して行くことにした。
 雨具を着て、傘をさして6時ジャストに出発。

 ここからは一気の登りだった。ひたすら登っていくと、道端に青紫色のミヤマトリカブトが咲いていた(写真左)。花はもうないだろうと諦めていただけに、久しぶりに見るトリカブトが嬉しかった。

 振り向くと鏡平の小屋と池が小さく見え、その後方に焼岳が雲の上から顔を出していた。それにノコギリ歯のような西穂高の岩稜が、少しずつ見えるようになって来た。

 笠と双六との分岐の手前で雨は止んだ。
 私が分岐へ到着した時(7時ジャスト)、ここで18人のパーティーが休んでいた。パーティーは私と入れ替わるように、挨拶を交わす間もなく出発して行った。

 パーティーを見送って一服していると、ガスの切れ間から待望の槍ケ岳が見えた。思わず「バンザーイ!」と大声を張り上げた。周りからもバンザーイ、バンザーイという歓声が何回も上がった。槍は思っていたよりも近くにあった。


やっと槍が見えた。バンザ〜イ!

笠と双六の分岐。ここから笠をめざして行く

 ここで、スティックのアイスコーヒーを飲みながら、槍穂連峰が少しずつ姿を現すのを眺めていた。やっと槍を見ることが出来て嬉しかった。今朝は帰ろうかと思ったが、やはり来て良かったと思った。
 分岐点、7時20分発。

 弓折岳は、いつの間にか着いてしまったという感じだった。その弓折岳から大ノマ乗越へ下って行く。途中から左手に、目指す笠ケ岳らしい山が見えたが、肝心な山頂部分に白い雲がかかっているため、笠かどうかは分からなかった。

 大ノマ乗越7時50分着。
 大ノマ岳は、この乗越から高度にして100メートルから150メートルも登らされるが、ここを登れば目指す笠ケ岳が見えるだろうと気合いを入れて登って行った。背後に双六岳が、どっしりと横たわっていた。
 そして、やっとピークに立ったが、期待していた笠ケ岳は見えなかった。雲がかかっているせいなのか、もともとここからは見えないのか分からない。

 稜線から左側にモッコリと盛り上がった展望台のようなピークに大勢の人が休んでいるのが見えた。あのピークなら絶対に笠が見えるだろうと思ったが、そこでも見ることが出来なかった。
 しかし、槍と穂高にかかっていた雲は、時間とともに薄らいでいき、垂直に切り立った地獄の山のような岩稜が並び立って見えた。


(槍穂連峰)

 槍穂はもう充分堪能したが、肝心な笠ケ岳はまだ見えない。
 ここから、抜戸岳へ向かって一旦下って行く。小さなミヤマリンドウや、背丈の大きいオオヤマリンドウが咲いていた。それに、右手後方に鷲羽岳も姿を見せた。

 いよいよ抜戸岳の登りになった。ここから見る抜戸岳は、実に迫力があった。山頂から一気に崩れ落ちた絶壁は、穂高や北岳のバットレスを思わせる。その絶壁の右側の尾根を巻き込むように登って行く。
 秩父平という平らな所へ来ると、正面にガレた岩場が正面に立ちはだかってきた。涸沢から見る穂高のミニ版という感じである。

 正面の岩場を登り切れば、今度こそ笠ケ岳が見えるだろうと、一歩一歩登って行った。しかし、やっと辿り着いた稜線からは、笠ケ岳は見えなかった。ガックリと力が抜けた。が、そこから2、3分ほど登ってハイマツの稜線へ出た瞬間、笠ケ岳が目に飛び込んできた。

「ヤッター!」と歓声を上げ、荷物を放り出す。そして、10メートルほど先のハイマツの切れ目の所で、18人のパーティーが座り込んで食事をしているのが見えた。「ヨシ!私もここでお昼にしょう!」と、そのパーティーのすぐ近くに座り込んだ。

(写真を拡大してご覧下さい)

 笠ケ岳のモッコリと盛り上がった山容は、たしかに編笠に似ていると思った。針の山のように切り立った槍や穂高に比べると、何とおだやかな山容だろうか。
 笠を眺めながら、ゆっくりと湯を沸かし、ラーメンを食べてから暖かいコーヒーを飲んだ。

 もう時間など全く気にならなかった。ここへ何時に着いたのかも知らなかったが、何時に出ようがかまわない。今日中に笠山荘へ着けばいいのである。
 正面に笠を眺め、左後方にある槍穂連峰を眺めながらのコーヒータイムは最高だった。こんな場所でのんびり出来るなんて山登りの醍醐味だと思った。

 18人のパーティーが、「小屋へ着いたら一緒に生ビールで乾杯しましょう」と言って出かけて行った。私もボチボチ出かける準備をしよう。

 笠新道との分岐へ11時45分着。ここで一人で休憩していると、笠新道を若い男性2人が登って来た。
 彼らに「ここは、槍沢の登りぐらいシンドイですか?」と聞くと、「槍沢よりきついです!」と言われる。やはり私はここを登らなくて正解だと思った。

 ここからは笠への最後の登りである。しかし少しガスが流れ出した。

  しばらくすると、ガスの切れ間から小屋が見えた。「お〜!小屋が見えたぞ〜!」

(やっと小屋が見えて来た。小屋の手前が小笠、奥が大笠 ←拡大できます)

 笠山荘へ13時ジャストに到着。18人のパーティーは山頂へ向かったようで誰もいなかった。私も宿泊の手続きを済ませてから、缶ビールを買って、ツマミとカメラだけを持って山頂へ向かった。

 岩礫の道を15、6分ほど登って山頂へ立つと、近くにいた人が、「山頂はあっちですよ」と左側のピークを指さした。左側の山頂へ行くと、新潟楽山会の人達が握手で迎えてくれた。

 若い頃は、槍や穂高から何度もこの笠ケ岳を眺めていたが、登りたいとは思わなかった。しかし、こうして登ってみると、やっぱり来て良かったと思った。
 楽山会の人達は、山頂で宴会が続いていたが、私は一足先に小屋へ戻った。

 この小屋は、「寝ながらにして槍穂が見えます」というのがキャチフレーズだが、そのキャチフレーズに偽りはなかった。小屋の窓から槍穂連峰が目の前に見えた。夕暮れに染まる槍穂を写真に撮ろうと、シャッターを何回も押した。

【夕暮れに染まる槍・穂高・・・拡大できます】

槍ヶ岳

穂高岳


8月30日(月)
笠山荘600〜640笠新道分岐650〜948笠登山口〜1045新穂高温泉

 朝4時に起きた。ご来光を見るため笠へ登っている人もいたが、ここは正面に槍穂連峰が屏風のように立ちはだかっているため、ご来光は期待できない。

 私は小屋の前で、黒い怪獣のように見える槍穂連峰の上空が明るくなるのを待った。日の出の時間が分からず1時間も待ってしまったが、やはり夜明けは神秘的でいい。槍穂連峰の上空が茜色に染まり、やがて山々がピンク色に染まっていく光景は、神々しいほど美しかった。


朝焼けに染まる槍ケ岳上空

 朝食を済ませてから、お湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。今日はもう下るだけなので余裕だった。
 6時ジャストに小屋を出発。

 笠新道の分岐へ6時40分着。ここからは黒部五郎岳と小屋が見えた(双六岳と双六小屋かも知れない)。

 6時50分発。いよいよここから笠新道の下りである。ここを下った人の紀行文を読むと、「下っても下っても着かない」と書いてあった。時間は3時間と4、50分ぐらいである。

 岩場の急坂を下りながら、前の人を次から次と追い越して行った。少しなだらかになった杓子平という所で、楽山会の18人が休んでいた。彼らは6時前に小屋を出発したという。

 ここから見る笠は迫力があった。最後の写真を撮って、カメラをザックへしまい込んだ。そして、私より早く出発して行った18人のパーティーを追いかけた。

(笠よさらば←拡大できます)

 18人のパーティーとは、結局、最後まで追いつ追われつで、一緒に笠新道の登山口へ着いた。9時48分着。分岐から3時間だった。

 登山口にあった冷たい水をガブガブ飲んでから、18人のパーティーとお互いに健闘をたたえあった。そして、「次は、新穂高温泉で生ビールで乾杯しよう」と気勢を上げた。
 新穂高温泉10時45分着。

 まずは温泉に入って汗を流したかったが、帰りに酔っぱらい運転で捕まるわけにはいかないので、ビールを飲み食事をしてから、ゆっくりと温泉に入り、酔いをさましてから帰路に着いた。
        (平成11年)