栗駒山(くりこまやま)

(1,627m、宮城・岩手)  117座

いわかがみ平のレストハウス前から見た栗駒山。
山全体が紅葉でピンク色に染まっていた。

いわかがみ平〜(中央コース)〜栗駒山〜(須川コース)〜浄土平〜須川高原温泉

2003年10月4日(土)

東京604−(新幹線)−834くりこま高原−(バス)−いわかがみ平1045〜(中央コース)〜1225栗駒山〜(須川コース)〜浄土平〜賽ノせき〜1540須川高原温泉(泊)

 ついに栗駒山へ行く時がやって来た。
 栗駒山は宮城、岩手、秋田の県境にあり、高山植物と紅葉で名高い。私は3,4年も前から、「栗駒の紅葉を見てみたい」と思いながらも、つい日本百名山を優先してしまい、 今まで行きそびれていた。

 しかし、今年の3月に栗駒山の見事な紅葉の写真を見て、今年こそ何が何でも 行こうと思った。そして、4月に須川高原温泉へ予約の電話を入れた。

 それから6ケ月。ついにその時がやって来た。今回の同行者は、先月100名山完登の時にも同行してくれたMさんご夫妻である。

 朝6時4分東京発の「やまびこ41号」に乗り込んだ。東京を発った時は黒い雲に覆われていたが、白河を過ぎると期待通り青空が広がって来た。

 くりこま高原駅へ8時34分着。駅は紅葉シーズンなのでザックを担いだ人達で溢れているかと思ったが、降りた人は少なく調子抜け。「いわかがみ平」行きのバスに乗ったのも30人ぐらいだろうか。
 途中、栗駒駅で大きなザックを背負った若い女性ばかりのグループ6、7人が乗って来た。見るからに女子高のワンゲル部のようだった。

 空は完璧に晴れ渡り、心も弾む。
 駒の湯温泉を廻り、「いこいの村」近くまで来ると、ピンク色に染まった栗駒山がクッキリと見えた。まるで桜かツツジの花が咲いているようだった。なぜ紅葉がピンク色に見えるのか不思議だったが、紅葉していることだけは間違いない。久しぶりに胸がときめいた。

 しかし、そこから5、6分の所にある「いわかがみ平」へ到着すると、雨がポツポツと落ちて来た。空には青空が広がっているのに信じられない。思わず「ウソー」と唸り声を上げてしまった。バスから降りると雨脚が強くなって来た。急いでレストハウスの軒下へ駆け込んで雨具を着込む。
 しばらく様子をみていると、雨は小降りなった。傘を差して正面に見える栗駒山の写真を撮った(上の写真)。

 10時45分、傘を差しながらレストハウスを出発。
 ハイカーと一緒に中央コースを登って行く。ここはコンクリートの道と聞いていたので歩きにくいかと思ったが、自然の石を10〜20センチ間隔に並べ、その間に薄くコンクリートを流し込んでいるので、自然の石の上を歩いているのと変わらない。

 5分も歩くと、道端に真っ赤に色付いたドウダンやナナカマドがあった。思わず歓声を上げた。左手で傘を持ち、右手でカメラを持って写真を撮った。
 10メートル歩いては歓声を上げ、また写真を撮る。それを何度も繰り返す。なかなか前へ進まない。

 紅葉狩りは、「見頃」に来るというのは難しいが、今回はまさに的中。紅葉真っ盛りだった。

 しばらく行くと、正面にピンク色に染まった稜線が見えて来た。山全体が燃え立つようだった。
 ここは登山者ばかりではなく、観光バスで来たオバさんや4、5才の子供まで登っていた。そのオバさん達の歓声が絶えない。

 いつの間にか雨は止んだ。そして雲の合間から陽が差し込むと、紅葉が一層鮮やかに映えた。

 途中の高台から振り返って見ると、まさに紅葉のジュウタンだった。一つ一つは真っ赤に色づいているのだが、遠くはピンク色に見えた。さっきバスの中で「どうしてピンク色に見えるのだろう」と思ったが、この光景を見て納得した。

 それにしても、これほど見事な紅葉は見たことがない。今まで八甲田山や十和田湖、蔵王、八幡平、朝日岳、飯豊山などの紅葉を見て来たが、これほどすばらしい紅葉は初めてだった。「日本一の紅葉」と言っても過言ではない。はるばるやって来た甲斐があった。ここからは、もう語る必要はあるまい。じっくりと写真を見て、その時の感動を一緒に味わってほしい。

 そこからさらに登り、振り返って見ると、我々が登って来たコースと違うコースを歩いている人達がいた。どうも東栗駒コースらしい。あのコースも是非歩いて見たいと思った。
 肝心な栗駒山の山頂は、ガスって見えない。
 振り向くたびに景観が変わり歓声を上げる。

 いよいよここからが栗駒本峰への最後の登りになった。ガスって眺望はない。急登の木の階段を登って行くと、食事をしている人達が大勢いた。そこから20メートルも登ると、立派な標識が立った山頂があった。

 栗駒山頂12時25分着。山頂には大勢いた。写真を撮るのも順番待ちだった。我々は標識のすぐ近くに座り込んで弁当を広げる。雨は降っていないが、じっとしていると寒い。つい弁当を食べるのも早くなった。

 食後の一服をしているとガスが切れ、視界が利くようになった。急いで写真を撮った。下の方はピンク色に染まっているが、上部はハエマツの緑が多い。

 しばらく眺望を楽しんでいると、また雨が落ちて来た。サア急いで下ろう。
 傘を差して、須川分岐へ向かった。この稜線は風雨が強く、傘が飛ばされそうで必死で支える。Mさんが「ミゾレだ!」と言った。まさかミゾレに降られるとは思わなかった。天狗岩の所でカメラをしまい、手袋を取り出した。手が凍て付くようだった。

 須川分岐まで来ると、風はおさまった。予定では、ここから真っ直ぐ行って、竜泉ケ原を見下ろせる展望台まで往復して来るつもりだったが、視界が利かなくては行っても意味がない。迷わず右手の須川コースを下ることにした。

 分岐から2、30分も下ると雨は止んだ。そして右手に栗駒山の西斜面の紅葉が綺麗に見えた。登って来た南斜面は、真っ赤なドウダンやナナカマドが多かったが、ここは黄色の楓が目立つようになった。赤と黄色と緑のコントラストが見事だった。

 ここは紅葉はすばらしいが、足元はメチャ悪い。元々ぬかるみらしいが、雨の後なので一層ひどい。火山灰のドロンコ道だった。

 昭和湖の湖畔で一服した。湖水はコバルト色とモスグリーを合わせたような独特の色をしている。しかし、ガスの匂いが強く、長くは休んでいられない。

 名残ケ原への手前から左に入って浄土平へ向かって行った。この辺は黄色が俄然多くなった。見事な黄葉だった。

 写真は「賽のせき」からの剣岳。

 名残ケ原の分岐からは、全く人陰はなく、我々だけだった。この辺は山全体がどうも薄気味悪い。こんな所を一人では歩きたくないと思った。今日は3人で良かった。

 今日の宿、須川高原温泉へ3時40分に着いた。ここには旅館部と湯治部があり、湯治場は徳川時代からあるという由緒ある温泉である。我々はその湯治部泊まりである。

 温泉は露天風呂から大きな濁り湯や透明の湯まであり、最高だった。旅館部も湯治部も温泉利用は同じ。湯治部の部屋にはガス、冷蔵庫、テレビ、暖房、自炊道具一式が揃っている。こんな所なら2、3泊してもいいと思った。


2003年10月5日(日)

須川高原温泉−(バス)−一関−(新幹線)−東京

 夜中に雨の音で目が覚めた。こんな大雨では朝の散歩は無理かも知れないと思いながら、また眠りについた。

 5時10分に目覚ましの音で目が覚めた。雨こそ降っていないが、どうもガスっているようだった。そのまま玄関へ行って外へ出てみると、山どころか50メートル先が見えなかった。「これじゃあダメだ・・」と一人つぶやく。

 晴れていれば、名残ケ原まで散歩に行く約束をしていたのだが、これでは行っても仕方がない。
 一旦部屋へ戻りタオルを持って朝風呂に入る。そして売店の自販機で缶ビール買って飲んでいると、山仕度をしてこれから登る人がいた。こんな天気に登るなんて気の毒だと思った。

 9時ジャスト発の一関行きのバスに乗り込んだ。このバスも空いていた。この辺はほとんどマイカーで来ているようだ。
 バスが一関へ着いた時は完晴れだった。どうしてこうなるんだろう。私はとっくに雨男を返上したはずなのだが・・・。

 翌日、つまり10月6日(月)の朝日新聞に、栗駒山の紅葉が載っていた。いわかがみ平のピンク色に染まった紅葉だった。一日のズレはあったものの、我々は新聞に載るほどすばらしい紅葉の時に登った訳だ。今度は2、3泊して色々なコースを歩いてみたいと思った。