巻機山(まきはたやま)    65座目

(1,967m、 群馬県・新潟県)


女性的な山容の巻機山頂。


桜坂〜ヌクビ沢〜割引岳〜巻機山〜井戸尾根〜桜坂


1998年 7月18日(土)
相模原−川越IC−六日町IC−清水(泊)

 私は日本百名山を登ろうと思うまで、この山を知らなかった。この山が上越国境にあり、しかも巻機と書いて「マキハタ」と読むと知った時は、何んといい名前だろうと思った。マキハタという響きに、女性的なやさしさと気品を感じさせるものがあると思った。

 ガイドブックにも、『女性的で優美な山』と繰り返し出てくる。この山は名前ばかりでなく、実際に女性的な美しい山容をしているようだ。
 さらに、高山植物の宝庫でもあるというので、どうせ行くなら花時の7月中旬から8月上旬に登りたいと思っていた。

 昨日までのぐずついた天気がうそのように、梅雨明けを思わせるような絶好の天気になった。今日は山麓の民宿へ泊まるだけなので、早めにお昼を食べて11時40分に家を出た。
 関越道の川越インターから、六日町を目指して走って行く。3連休なので道路が混むかと思ったが、順調に流れる。

 六日町インターからは、国道17号を少し戻って291号へ入る。登山口である清水は、この291号の終点にある小さな集落である。
「やまご」という民宿へ4時頃に着いた。東京から来たという40代半ばの男性と相部屋だった。

 ひと風呂浴びてから2人でビールを飲んでいると、ウグイスとヒグラシの声が同時に聞こえてきた。この辺は春と初夏が一緒に来ているようだ。


7月19日(日)

清水の宿435−桜坂の駐車場〜ヌクビ沢〜割引岳〜御機屋(ニセ巻機)〜巻機山〜御機屋〜桜坂の駐車場

 民宿を朝4時35分に出発した。外はすでに明るく、天気もいい。
 清水から桜坂の駐車場までは車で5、6分の距離だった。しかし、駐車場はすでにいっぱいだった。20台ほど止められそうな駐車場の一番奥に、やっとスペースを見つけて止めたが、すぐ脇が急斜面なので出る時が心配だった。

 それにしても、こんなに車が多いとは驚いた。まだ5時前だというのに、道ばたにも何台も止めてあった。そういえば、昨夜は車の音で何度も目がさめた。国道291号線の終点で行き止まりのはずなのに、何で夜通し車が走っているのだろうと思ったが、この車両を見て納得した。彼らは夜中にここへやって来て、夜明けまで車の中で仮眠しているのである。

 とにかく車を止めることが出来てホッとした。ザックを背負って歩き出し、林道を曲がると、もう一回り大きな駐車場があった。そこは5、60台も置けそうな大きな駐車場だったが、空いているのは数台分だった。「こんなに人が多いのでは、今日はアルプス銀座なみだな」と、久しぶりの混雑を覚悟した。

 駐車場から林道を1、2分も歩くと、井戸尾根との分岐があった。私はヌクビ沢へ行く左手の道を進んで行った。
 やがて灌木帯へ入っていくと、さらに分岐があり左の道を進んで行った。

 駐車場から2、30分も歩くと割引沢との出合いに出た。沢水を一口飲んでから、沢の左側に付けられた道を進んで行く。朝のさわやかな大気が心地よい。沢があるというだけで山全体が生き生きする。

(写真左は井戸尾根から見たヌクビ沢と割引岳。下りに撮ったもの)

 歩きながらしっとりと汗ばんだ額の汗を拭った。青く澄んだ空が朝日に輝いていたが、ここは沢筋のため直接お天道様は見えない。道端には、時々、淡青色をした野アジサイが咲いていた。

 最初に現れた「吹き上げの滝」(写真左)で休憩した。今日は実に20数年ぶりの沢歩きである。20代の頃は、よく丹沢の水無川へ行って沢登りをしたものである。丹沢は滝をよじ登る所が多いが、ここは沢沿いに付けられた道を歩くだけで危険な所はほとんどない。

 次に現れたのが、このヌクビ沢で一番落差があるという「アイガメの滝」(写真右)だった。落差40メートルというこの滝に、思わず歓声をあげた。滝は幅が広く、少し岩をなめるように二段になって落ちていた。こんなすばらしい滝があったのかと驚嘆しながら写真を撮った。しかし、1枚の写真には収められず2枚に分けて撮った。

 日本百名山と言われる山は、どこかに魅力があるものだが、巻機山がこんなにすばらしい山だとは思わなかった。

 それに、待望の高山植物も現れてきた。最初に咲いていたのは盛りを過ぎたニッコウキスゲだった。高山植物の宝庫という割にはもの足りないが、落差40メートルの滝の周りに咲いている黄色いニッコウキスゲの群落が絵になった。

 このアイガメの滝の左側を、両手両足を使って登って行く。やっと沢歩きから沢登りらしくなってきた。


 沢もだいぶ細く、浅くなってきた。中洲のようになっている所で5、6人が休んでいた。私もそこへザックを置いて座り込むと、さわやかな風が吹き渡ってきた。
「ああ、いい風だあ……」と思わず声を上げた。この爽やかさとすがすがしさ。都会のオフィスにいては絶対に味わえない最高の気分だった。昨夜同部屋だった人も近くに座り込んで、民宿で作ってもらったおにぎりをうまそうに食べていた。

 ここからさらに登って行くと、割引沢との分岐へ出た。私の前を歩いていた一人の男性が、左手の割引沢を登って行った。私もあやうく付いて行きそうになったが、岩に赤ペンキで「右ヌクビ沢」と書かれていたので右手の沢を登って行った。

 途中で、名古屋から来たという中年のオバさん4人組から、「大きな声では聞けませんが、ここは何沢でしょうか」、と聞かれて驚いた。自分が歩いている所が分からないとは、あきれたものだ。

 ここからしばらく登ると、正面に三角錐の山が見えてきた。近くにいた人が「あれはニセ巻機ですよ」と教えてくれた。しかし、ここからニセ巻機が本当に見えるのだろうか。ちょっと怪しい気もする。いずれにしても、その山頂は、初夏の日差しに照りつけられてまぶしく輝いていた。この辺まで来ると、沢幅はかなり狭まってきた。

 両側の尾根がまるで壁のようにそそり立ってきた。特に左手の壁は斜度が70度もありそうだ。こんな急斜面で、よくも崩れ落ちないものだと感心した。


朝日に輝くニセ巻機?割引岳では?

沢も細くなり割引岳も近くなって来た

いよいよ稜線へ

 最後は、右手の急斜面を登って尾根へ出る。垂直に近いような急登であるが、足場はしっかりしている。両手でしっかりとホールドして慎重に登って行った。
 岩場を過ぎてガレた尾根へ出ると、ピンク色のコザクラの群落があった。白いマイヅルソウも咲いていた。
 稜線着9時40分

 稜線へ出ると、正面(北)に越後三山が見えた。左のギザギザしたのが八海山、そして中岳、越後駒である。
 私が写真を撮っていると、後から登って来た40代前半の男性3人組が、
「おお、谷川がきれいだ」と言った。

 私は好意のつもりで、
「あれは越後三山じゃないですか」というと、
「あれは谷川ですよ!」と、きつい口調で言い返された。
 私は次の言葉が出なかった。ザックの陰で地図と磁石を取り出して確認したが、やはり越後三山に間違いないと思った。
(ここは北に越後三山、南に谷川岳がある)

 ここは左手の割引岳(1931m)と右手に見える巻機山(1967m)の鞍部である。荷物をそこへ置いて、カメラだけを持って割引岳へ向かった。
 割引岳まではわずか5、6分だった。10人ぐらいが休んでいたが、その真ん中にポツンと標識が立っていた。ここは一等三角点になっているらしい。

 ここから見る巻機山は、どれが山頂か分からなかった。ボッテリした山が三つ並び、ハイマツとクマザサに覆われていた。しかもガスが流れ、時々しか見えない。

 山頂にいた人達に「どれが巻機の山頂ですかね……」と聞くと、年輩の男性が「二つ目の山ですよ」と教えてくれた。ここから見る山頂は、何の変哲もないみどりの山だった(写真右)。

 再び分岐へ戻り、ザックを背負って巻機山の山頂を目ざして歩き出した。稜線には植物を踏みつけないように木道が敷いてあった。木道の脇には、4、5センチしかない白い花や、同じように小さいリンドウの花が咲いていた。タテヤマリンドウかも知れないと思った。いずれにしても薄い青のような、薄い紫のような、かわいい花だった。

 巻機山の山頂と教えられた所には、4、50人が休んでいた。だだっ広い中に『巻機山山頂』と書かれた標識が立っていた。ここで写真を撮ってから、これから下る井戸尾根が見下ろせる所で昼食にした。

 井戸尾根は登って来る人がいっぱいいた。まず地元の小学生と父兄40人位が登って来た。続いて胸にワッペンを付けたツアーらしいパーティーが20人ほど登って来た。


『巻機山山頂』と書かれた標識の所から井戸尾根を見下ろす。

 ツアーの先頭を歩いていた山岳ガイドのような人が、山頂の標識の所まで来ると、メンバーに「山頂はもっと奥です。あとひと踏ん張りです」と声をかけて牛ガ岳方面へ進んで行った。
 私はそれを聞いて不安になった。「ここは山頂ではないのだろうか……」。せっかく登った山頂が、実は山頂ではないとしたら後で悔いが残る。

 食事が済んだ後、カメラだけを持って牛ガ岳方面へ歩き出した。すると空身で牛ガ岳方面から戻って来た人がいたので山頂について聞いてみると、「この先にありますよ。それが本当の巻機です。元はそこに標識が立っていたんですが、最近標識をこっちへ移したんですよ」、と教えてくれた。

 1、2分も行くと、緑に覆われたボッテリとした山が見えて来た。その山頂には大勢の姿が見えた。
 山頂までは10分ほどの距離だった。その間に池塘があり木道があった(写真左)。
 ハイマツとコケモモに覆われた山頂には、さっき登って来た地元の小学生達がお弁当を広げていた。私は本当の山頂に立ってホッとした。

 ここには何の標識もない本当の山頂と、山頂という標識が立った「山頂でない山頂」(ここは御機屋という)がある。ちょっと変な話だ。山頂が縦走路から少し離れているので、標識だけを縦走路の近くへ持って来たという地元の人達の気が知れない。登山者の中には、本当の山頂を踏まずに下ってしまう人もいるかも知れない。

 下りは「山頂でない山頂」へ戻ってザックを背負い、一気に避難小屋まで下った。そして少し登り返すと九合目であるニセ(前)巻機山だった。ここまで30分の所を20分で来てしまった。

 ここから振り返って眺める巻機山は、ガイドブックにも載っていた通り『女性的で優美な山』だった。山頂の標識が立っていた御機屋から巻機の山頂までのなだらかな曲線が、青い空に浮かび上がっていた。写真を撮ろうにも、あまりにもデカ過ぎて、写真に収まらない。

〔写真左は前巻機から返り見た御機屋(右)と割引岳(左)〕

 ここからの下りは、炎天下のせいもあって体調を崩してしまい、やっとの思いで桜坂の駐車場へたどり着いた。14時着。
 駐車場の脇にあった水道の水をゴクゴク飲んだ。そして、頭から水をかぶると、少し生き返ったような気がした。

 帰りは昨夜泊まった民宿へ寄って、ひと風呂あびてから1時間ほど休憩させてもらった。
 そして、「さて帰ろうか」と思った時、昨夜相部屋だった人が入って来て、「バスがないので駅まで乗せてってほしい」と言うので、彼が風呂で汗を流すのを待ってから帰路についた。

 巻機山は、ガイドブックにもあるように、確かに『女性的で優美な山』だった。しかし、それ以上にすばらしい滝が幾つもあった。特にヌクビ沢は、関東からこんな近い所に「こんなすばらしい滝があったのか」と驚いた。深田久弥さんでなくても、ここは日本百名山としての価値が充分あると思った。たとえ私が百名山を選ぶとしても、やはりこの山を選んだに違いない。

 今度は秋の紅葉の頃に、ぜひ訪ねたいものである。  (平成10年)