宮之浦岳(みやのうらだけ)    63座目

(1,935m、 鹿児島県/屋久島)


屋久島の縄文杉。宮之浦岳は3日間とも雨だった。


淀川小屋入口〜宮之浦岳〜縄文杉〜ウイルソン株〜白谷雲水峡

1998年 4月28日(火)

羽田−鹿児島空港−屋久島空港−淀川小屋入口〜淀川小屋(泊)

 今年最初の山行は、屋久島にある宮之浦岳である。日本百名山の中で最も南にあり、九州で一番高い山である。標高こそ2,000メートルにとどかないが、世界遺産に登録されている原生林などがあり、ぜひ一度は行ってみたい所である。

 屋久島は、鹿児島の南に浮かぶ細長い種子島の西側にある、小さくてまん丸い島である。
 家を4時40分に出発し、羽田へ6時50分に到着。空港で今夜の夕食に弁当を買った。

 飛行機が離陸してしばらくすると、白い雲の上へ出た。そこはまるで青い絵の具をこぼしたような真っ青の空だった。関東地方は、ここ4、5日天気がぐずついていたので、久しぶりに青空を見たような気がした。
 そして、つい屋久島もこのような天気であってほしい、と願わずにはいられなかった。屋久島は、「1ケ月に35日雨が降る」と言われるほど雨が多いので、雨に降られることは覚悟しているが、やはり山登りは雨ではつまらない。

 鹿児島空港で約1時間の待ち合わせ。空港からは正面に霧島の山並みが見えた。最高峰の韓国岳の山頂は、もやがかかって見えなかったが、これらの山容を脳裏に焼き付けておいた。

 約40分ほどで屋久島へ着いた。ここは驚くほど小さい空港だった。ターミナルには、小さなお土産屋さんと食堂が一軒あるだけだった。周りは海と道路一本を隔てて山になっており、民家さえもない。やはり羽田で弁当を買ってきて正解だった。

 タクシーを13時に予約しておいたので、それまで食堂で腹ごしらえ。一人で生ビールを飲んでいると、同じ飛行機で来た中年の男性3人が隣のテーブルへ座った。彼らは八王子市から来たという。
 私が予約しているタクシーで一緒に行こうと話し合っていると、そこへ川崎から来たという50才半ばの男性が一人で入って来た。この人も同じ淀川小屋へ行くというので、3人組は別のタクシーで行くことになり、私は川崎から来た人と2人でタクシーに乗り込んだ。

 空港から淀川小屋の入り口までタクシーで約1時間。タクシーに乗った時は、高曇りで雨の心配はなさそうだったが、20分も走った頃、ポツポツと雨が降って来た。「クソー……」とぼやいたが、雨は強くなるばかりだった。

 目的地の「淀川小屋入り口」までタクシー代7,900円也。タクシーから降りると、目の前に小さい小屋があったので、ザックを持って飛び込んだ。しかし、そこはトイレだった。そのトイレで雨具を着込んで出発した。

 ここからは、淀川小屋まで約50分。所々に大人2人でも抱えきれないようなヤクスギが立っている。樹齢1,000年以上のスギらしい。屋久島では1,000年未満のスギは、ヤクスギとは呼ばずにコスギというそうだ。

 木の根っこの間を歩くような登山道。根っこにつかまり、道をふさいでいる小枝を払いながら登って行った。雨は依然として止まない。

 ひと汗かいた頃、ログハウスの淀川小屋(写真左)へ着いた。この小屋は町役場が管理している無人小屋で、ガイドブックには定員40人と書いてあったが、6、70人は楽に泊まれそうだ。今日の宿泊者は思ったより少なく、25、6人位だろうか。

 ここは水場が近くにあるので助かった。小屋から20メートルほど先に荒川の源流がある。川幅は7、8メートルもあるが、歩いて向こう岸へ渡れそうな清流で、上高地の梓川を思わせた。


  4月29日(水)
淀川小屋600〜宮之浦岳〜1320新高塚小屋(泊)

 昨夜は雨の音がうるさくて何度も目が覚めた。4時20分に起きたが外は真っ暗だった。暗闇の中で一人タバコをふかしていた。4時半頃になって、やっと懐中電灯で時計を覗く人が現れ、それを合図のように一斉に起き出した。

 食事は朝がパンとコーヒーで、昼食にラーメンを食べようと思っていたが、雨の中でラーメンを作るのはしんどいので、パンを昼食に回し、ラーメンを食べてから6時に小屋を出発する。昨日から一緒だった川崎から来た河地さんは、私より5分ほど早く出かけて行った。

 雨はサラサラと静かに降っていたが、時々強く降ることもあった。視界も悪く、見るものもない。ただ足もとだけを見ながら歩いて行った。
 実は今日一日、ただ山頂に立ったというだけで、どこをどう歩いたのか分からなかった。

 しばらくは、森林地帯の中を歩いて行った。原生林というほどではないが、所々に直径が2メートル以上もあるヤクスギが現れる。
 そして、その森林地帯を抜け出すと、ポッンと視界が開けた小花之江河に出た。ここは湿原になっていて日本庭園のような所である。近くに小さな沢があったので水を飲んでみたが、雨水がそのまま流れ込んできたような感じだった。

 ここから10分も歩くと花之江河(写真左)へ出た。ここは本来なら気持のいい山上庭園なのだろうが、ガスっている今は怪獣でも出てきそうな感じだった。

 この辺から雨が本降りになってきた。顔を上げるとフードから雨が吹き込むので、下ばかり見て歩いていた。しかし、もくもくと歩いているわりにはペースはいっこうに上がらなかった。ここは思ったよりも登り下りが多かった。

 投石平を過ぎ、森林地帯を抜け出すと、今度は「ヤブこぎ」ならぬ「笹こぎ」になった。背丈ほどもあるヤクザサが一面を覆っていた。窪んだ登山道は川のようになっており、その川をまたいだまま前進したが、途中から股裂き状態になってしまい、水の中をジャブジャブと歩いて行くしかなかった。

 時間がたつ割にはいっこうに山頂へ着かない。途中に8畳もありそうな大きな石が二つ寄り添うように立っていたので、その下へ潜り込んで休憩した。立ったままパンや菓子などを食べていると、雨水が口の中へ入ってきた。

「最後のひと踏ん張りだ、頑張ろう」と再び気合いを入れて歩き出すと、上から降りてきた単独の若者に、「あと10分で頂上ですよ」と言われる。

 山頂へ立った時、反対側から中年のご夫婦が登って来た。ほとんど同時に山頂へ立った(写真左)。視界は全く利かないが、お互いに記念写真を撮り合った。

 下りもヤクザサで悩まされた。山頂から少し下ると再びヤクザサの笹こぎになった。「たとえ世界遺産といえども、登山道の笹ぐらいは刈ってくれればいいのに……」と、ついグチが出た。

 途中から、ボンヤリと恐竜の背中のような荒々しい永田岳の稜線が見えた。あわててザックを置いてカメラを取り出したが、カメラが動かず写真を撮ることが出来なかった。さっき雨の山頂で何枚も写真を撮ったため、水が入って故障してしまったらしい。

 笹こぎが終わると、本格的な原生林になった。直径が3メートルもあるようなスギやシャラの木が鬱蒼と茂っていた。しかし、背丈は20メートルもない。途中で枯れたり折れたりしている。シャラの木があんなに太くなるなんて信じられなかった。シャクナゲが、私の胴回りよりも太かった。
 ここは木という木は全て太く、その周りは苔むして、とてもこの世のものとは思えなかった。奥の方から恐竜でも出てきそうな感じだった。こんな所を一人で歩くのは本当に薄気味悪かった。

 途中で、後ろから来た河地さんと一緒になった。彼は永田岳を往復するつもりだったが、途中で引き返して来たと言った。新高塚小屋まで一緒に下った。

 新高塚小屋へ着いたのは、13時20分ごろだった。今日は雨がひどかったので、地図を広げたり記録を付けたりなどしていられなかった。今日中に小屋へ着けばいいと思っていた。
 それに、今日は思っていたより時間がかかった。高度差500メートルほどなので楽勝かと思っていたが、起伏が激しく、小屋で調べたら、今日の累積標高差は1,240メートルもあった。

 新高塚小屋は、昨日泊まった淀川小屋よりは幾分小さく、4、50人がいいところ。昨日と同じように二階の奥に河地さんと一緒に場所をとった。
 さっそく荷物をといて着替えをする。ゴアの雨具を着ていても、シャツも下着グシャグシャだった。こんなに濡れるぐらいなら、いっそのこと短パン一つで歩いた方がサッパリすると思った。

 ここは水場が遠いのではないかと心配していたが、すぐ近くにあった。水場もトイレも20メートルほどの所にあった。
 今日は、近くに縄文杉があるので宿泊者が多いだろうと思っていたが、二階の方は10人以上も寝られるスペースに、河内さんと二人だけで寂しいくらいだった。


4月30日(木)
新高塚小屋〜縄文杉〜ウイルソン株〜白谷山荘〜白谷雲水峡−民宿(泊)

 今日も雨は止まなかった。雨具を着て高塚小屋を目指して行った。まさに原生林の中を、登り下りを繰り返す。全体的には下っているので、昨日よりは楽だった。

 1時間と少々歩いた頃、高塚小屋へ着いた。ブロック造りの小さい小屋だった。周りにテントが2、3張りあった。

 この小屋から10分たらずで縄文杉(写真右)へ着いた。木を遠くから眺められるように歩道橋のようなヤグラが組んであった。高さが10メートル以上もあり、階段になって延びていた。最上部が展望台で幅も広く、テントを張っている人もいた。

 縄文杉はヤグラの展望台から20メートルも離れているので、たしかな太さは分からないが、6畳間の部屋がすっぽりと入ってしまうほどの大きさだった。

 この杉は、樹齢7,200年で文字通り縄文時代から生き抜いて来たという。実にすごいものだ。この杉を写真に納めたいと思い、動かなかったカメラを取り出してみると、なんと動くではないか。ラッキーと思いながら、近くにいた20代の若夫婦にシャッターを押してもらった。この夫婦は群馬から来たという。

 ここからはウイルソン株まで1時間30分。途中で河地さんと一緒になった。二人でウイルソン株の中に入って荷物を置く。このウイルソン株には驚いた。先程見てきた縄文杉よりもはるかに大きい。

 (写真は絵葉書です。拡大してご覧下さい)

 切り株は、中が空洞になっていて、根元のところから出入りすることが出来る。根元の膨らんだ分も含めると12畳間が入ってしまうほどだった。地面からは清水が涌き、そこに祠が奉ってあった。よくもこんなに大きくなったもんだと感心した。

 ガイドブックには、切り株の根回りが32メートルと書いてある。この杉は豊臣秀吉の時代に伐採され、ヤグラを組んで切り出されたらしい。この切り株をウイルソンという人が見つけたので、「ウイルソン株」と呼ばれているそうだ。
 この株を見て「さすがに世界遺産に登録された屋久島だ」、と思った。3日間とも雨に降られ、普通ならヤケクソになるところだが、この株を見て、はるばるやって来た甲斐があったと思った。 

 ここからの下りも鬱蒼とした原生林だった。昨日、小屋の中で誰かが「ここはマムシがいるから注意しろ。普通のヘビは人間が近づくと逃げるが、マムシは逃げずに攻撃態勢に入るから、パーティーの2番目、3番目の人がやられる」、という話をしているのを聞いた。マムシがいると思うと、足もとの木の根っ子がみんなマムシに見えてきた。

 しばらく歩くと、トロッコの線路へ出た。かつてはヤクスギなどを伐採し、このトロッコで運び出したのだろう。その頃の情景が浮かんで来た。線路と線路の間に分厚い杉の板が敷いてあり、その板の上を歩いて行く。この辺まで来ると、縄文杉を見に来るハイカーが多くなった。30人位のツアー客が登って来た。昨日は一日歩いても5、6人しか会わなかったのに今日はもう100人ぐらいとすれ違った。日帰りの人もいるだろうが、上の小屋は満杯になってしまうだろうと思った。

 白谷山荘への分岐で、軌道と別れて左側の登山道を登って行く。ここは辻峠へ続く原生林の急登。ハイカーもいなく静かだが、登りがしんどい。
 途中で河地さんが待っていてくれた。二人で休んでいると、後から群馬の若夫婦もやって来た。奥さんはかなりへばっているようだった。

 ここで、白谷山荘からタクシーを呼んで一緒に帰ろうということで一致した。しかし、白谷山荘に電話はなかった。「白谷雲水峡の広場まで行ってタクシーを拾うか、タクシーに無線で呼んでもらうしかない」と言われ、そのまま白谷雲水峡を目指すことになった。

 小屋から数分も下ると分岐があり、左側が原生林、右側が歩道と書いてあった。河地さんが左側を行こうというので、原生林を行くことにした。いずれにしても、広場へ早く着いた者がタクシーを捕まえておく、ということで勝手に歩いて行った。

 ここは文字通りの原生林だった。起伏が激しく「歩道の方が楽だったのでは」と思った。ここはバカでかい木はないが、木や切り株、石などがコケで覆われ、登山道さえも見失いそうだった。

 しかし、白谷雲水峡に近づくと登山道は一変し、観光地のようになった。木の階段になり、石の階段になった。観光客には喜ばれるかも知れないが、少しやり過ぎではないかと思った。

 ここは景観がすばらしかった。ゆるい斜面をなめるように流れる滝を見て、今回の山旅で初めてやすらぎのようなものを覚える。やっと雨が止んだことや、もう歩かなくて済むという安堵感があったせいかも知れない。

 広場へ着くと、河地さんがタクシーをつかまえて待っていてくれた。しかし、若い夫婦が来ない。15分ほどたってやっと着いた。


5月1日(金)
民宿−屋久島空港−鹿児島空港−羽田

 私が泊まった民宿は、周りに民家はなく、道路を隔てて海が見えるだけで自販機さえもなかった。しかも、昨日は到着早々、「夕食は近くのレストランで食べて下さい。車で送りますから」と、500メートルも先のレストランで食べるハメになった。レストランには他の民宿の客もいた。この辺はどうも民宿と食堂が分業になっているようだった。

 朝食後、宮之浦港まで行ってみた。港なら商店街ぐらいあるだろうと思ったが、全くの期待はずれだった。船の発着所に小さなお土産屋と食堂、メインストリートにお土産屋が一軒あっただけだった。

 この島は雨が多く日照時間が少ないので、農作物もあまり育たないという。それに漁業も盛んだとは思えない。昔ながらの質素な生活をしているのだろうか。
 いずれにしても、私は屋久島へ来て良かったと思った。日本百名山を目指しているのでこの屋久島へやって来たが、もし百名山を目指していなかったら、ここへ来ることは絶対になかっただろう。百名山を目指していてよかった。

 屋久島は、本土で見る樹木の尺度を10倍も100倍もしなければならない。もし、現状の生活に退屈している人や、まんねりを打破したいという人がいたら、ぜひ屋久島の原生林へ行くことをお勧めしたい。「これが同じ日本だろうか」と驚かされ、今までの常識や尺度が通用しない「縄文の世界」に、きっと人生観も変わるに違いない。
          (平成10年)