鍋割山 (なべわりやま)

(1,273m、神奈川県)

鍋割山頂

2009年3月2日(月)
大倉〜後沢乗越〜鍋割山〜小丸〜二俣〜大倉

渋沢駅716−728大倉740〜804西山林道〜915二俣〜940本沢出合945〜1021後沢乗越1030〜1148鍋割山1240〜1320小丸分岐1326〜1447西山林道〜1451二俣〜1455コーヒータイム1510〜1558大倉分岐1405〜1620大倉

 今年初めての山行は丹沢の鍋割山である。冬眠ボケの身にはちょうど手ごろだろう。
 そもそも山へ行く気になったのは、先日、山仲間から「鍋割山へ登って山荘で鍋焼きうどんを食べて来ました」というメールを頂き、「何々、鍋焼きウドンとはうまそうだなあ・・・」と山よりもウドンに惹かれ、その“名物ウドン”を食ってみたいものだと思っていた。

 そんな折、私のHPを見ているという方から、「最近HPが更新されませんがどうかなされましたか?」というメールを頂き、「冬眠なんかしている場合ではない」と思い、迷わず鍋割山へ行くことにした。

 丹沢は我が家からも見える山であるが、決して詳しいとは言えない。塔ノ岳は何回も登っているが、その西側にある大丸や小丸、鍋割山などは一度も登ったことがない。

 渋沢駅へ6時43分着。バス停がある階段を下りて行くと、大倉行きのバスが出る所だった。急いで階段を駆け降りたが間に合わず、30分も待たされた。

 駅前から見える丹沢は、うっすらと白くなっている所があった。


(渋沢駅前から見た丹沢山塊)

 大倉でスパッツを付けて準備完了。大勢の人が大倉尾根へ向かうが、私はバス停前の食堂「大倉屋」さんの脇の道を入って行く。この道を行くのは私だけのようだ。

 舗装された車道を10分ほど歩き、真っ直ぐ行こうとしたが「この道は行き止まり」の表示で立ち止まった。振り返ると20mほど手前に標識が見えたので引き返す。車1台がやっと通れる程の道を進んで行く。

(電信柱に行き止まりの表示がある。手前左側に標識があった)

 舗装がなくなり、やっと登山道らしくなった時、ネットが道を塞いでいた。そして、そこに「農作物を荒らすシカが入らないよう必ず閉めて下さい」と書かれていたのでネットの入口を開けて通り、きちんと閉めて行く。

 しばらくすると標識が現れた。標識通り左へ進むと、1、2分で舗装された林道へ出た。8時04分着。

 その舗装された道を登って行くと、すぐ左手に「丹沢大山国定公園」の掲示板があった。

 林道はすぐにダートになった。
 道端に『この辺の木は疲れています。車の乗入れはご遠慮下さい』との表示があった。確かにこの辺の樹木は、京浜地区の排気ガスで痛めつけられて、シカに皮を食いちぎられて大変だろうと思った。

 杉が生い茂った林道をたった一人で歩いていても、ここには熊がいない。仮にいたとしてもこの時期は冬眠中なので安心感があった。
 モタモタ歩いていると、スニーカーを履いた軽装のお兄さんにアッという間に追い越された。

 時々、左手から雷のようなごう音が聞こえて来る。自衛隊の空砲だろうか。
 一の沢が左手に見える所で休憩。
 一の沢へ8時55分着。標識に西山林道と書いてあった。

 左手の沢音が大きくなって来ると、すぐにゲートがあり、道が二手に分かれていた。左手の道は沢へ下っているようだ。迷わず右手の坂道を登って行くと、2、3分で銅像が建った小さな公園のようなものがあった。正面には登山訓練所があった。そのまま下って行くと、2、3分で二俣へ着いた。

 (写真は二俣。右へ登る道は大倉尾根の堀山ノ家へ出る)

 写真の左手に沢が見える。

 その沢を石伝いに飛び移ろうかと思った時、すぐ上に小さな丸太の橋があった。

 実はこの沢が「勘七沢」と知って驚いた。勘七沢はもう40年近くも前になるが、何回か沢登りに来たことがあったからだ。

 正面に見える山のてっぺんに小屋らしいものが見えた。ここから鍋割山荘が見えるのだろうか。それとも花立山荘だろうか。

 途中で単独行が下って来た。軽アイゼンを腰にぶらさげていたので雪について訊いてみると、「鍋割は雪はないが塔ノ岳の下りで使った」という。彼の靴はほとんど汚れていなかった。大倉尾根はドロンコ道なので私もこの道を下ろうかと思った。

 二俣からはすぐに小丸への分岐があった。もう林道歩きに疲れたので、つい登って行きたい衝動に駆られる。

 本沢出合へ9時40分着。ここで一服。
 ミズヒ沢へは5分で着いた。

 ミズヒ沢からは長い長い林道歩きが終わって、やっと登山道になった。まずは左手の支流沿いに登ると、すぐになだらかな尾根へ出た。間伐された杉林で、木漏れ日が射す。道も整備され歩きやすい。大倉尾根のあのドロンコ道とは大いに違う。

 自衛隊の空砲が時々静寂を破る。登るにしたがって音も大きくなって来た。

 
 尾根の途中から左へトラバースして涸れ沢を渡って向かいの尾根に取りつき、そのままトラバースしてから一気の登りになった。
 だが急登はすぐに終わり、登り上げたところが後沢(うしろざわ)乗越だった。

 ここでしばし休憩。一服している間にも空砲が鳴り響く。やはり自衛隊の富士演習場から聞こえて来るようだ。

 いよいよここからが鍋割山の登りである。

 右正面に二つのピークが見えるが、あれは小丸と大丸だろうか。

 急登を登り詰めた所が山頂かと思いきや、同じような道が続く。

 下って来たご夫婦が、「左手に檜洞(ひのきぼら)丸が真白に見えますよ」と教えてくれた。右手に見える二つの山も小丸と大丸で間違いないという。

 しばらくすると、左正面にわずかに雪が付いた山が見えて来た。「あれが檜洞か・・」と頷く。檜洞丸はシロヤシオを見に登ったが、山は見る角度によって山容を変えてしまうので分かりにくい。
 さらに左手には富士山の山頂部分が大きく見えた。富士が見えると何か得したような気分になるが、山裾が見えないのが残念。
 さらに登って行き、今度こそ山頂だろうと思っていると、また騙された。同じような登りが続く。

 途中に「鍋割まで0.8km」と書かれた標識があった。そう簡単には山頂へ立たせてはくれないようだ。

 さらに登って行くと、20代前半の3人組が走るような勢いで登って来た。

 あのピークを登れば小屋があるに違いないと思うも騙される。何とこの山は“思わせぶり”をする山なのだろうか。

 でも、そのピークからボッテリした山が見えた。お〜、鍋割だ〜。 やっと見えた鍋割山頂である。あと一息だ。ガンバロウ!
 やっと正面にソーラーが見えた。小屋は見えないがホッとした。今度こそ山頂に間違いない。
 最後の斜面を登り切ると、広い草原のような所へ飛び出した。自然に小屋の前へと導かれていく。小屋の前が山頂で方位盤があり、何人かが弁当を広げていた。

 山頂からは富士山が大きく見えた。雲が少しかかっていたが、山裾も大きく見えた。ここで弁当を食べようかと思ったが、せっかくなので山荘の名物である“鍋焼きウドン”を食べることにした。弁当は予備食に残して置こう。


(鍋割山頂からの富士山)

 小屋の中へ入って名物のウドンを頂いたが、テーブルがないので食べにくかった。他の客はどうやって食べているのだろうか。ここは宿泊者用の炬燵は沢山あったが、ウドンを食べるテーブルが一つもない。食べ終わって外へ出てから、外にテーブルとイスがあるのに気が付いた。どうせならそこで食べればよかったと思った。

 でも鍋割ウドンは本当にうまかった。“名物に旨いものなし”というが、鍋割山荘の名物だけ例外のようだ。この旨いウドンが喰えただけでも来た甲斐があった。

 小屋の周りでのんびりした後、下山コースを思案した。結局は小丸経由で下ることにした。小屋発12時40分。

 小屋の裏側へ回ると雪が現れた。だが登山道は解けていたのでアイゼンは必要ない。日当たりが良いところは雪解けでぬかるんでいた。

 1341ピークという平凡な山を越え小丸へ向かって行く。ここからは丹沢の主脈が見えた。特に雪を抱いた塔ノ岳がすばらしい。もちろん最高峰の蛭ケ岳も一段とたくましく見えた。


左が蛭ケ岳

塔ノ岳

 小丸まで行くと、「二俣はこの先右折」との標識があった。鞍部まで下り、登り返した所に分岐があった。ここで一服。

 下り出してすぐ親子4頭のシカに会った。登山道で草を食んでいた。私が3m位まで接近しても逃げようとしない。ずうずうしいシカだ。ストックをシカの鼻先に突き出すと、さすがに逃げ出した。

 ここは落葉樹林帯で、気持ち良い所だ。新緑のころはすばらしいだろうと思いながら、ガレた急斜面を下って行った。ただ、斜面が急なので雪が着いて凍った時は注意を要する。

 やがて杉林の下りになった。木の根が剥き出しになった、いわば自然道である。ここはほとんど手入れがされていないようだ。丹沢にこんな自然道があったとは知らなかった。

 林道へ14時47分着。そのまま下って二俣へ14時51分着。銅像が建った小さな公園のベンチでコーヒータイムとした。テルモスの湯を注いで、ハイ、出来上がり。
 熱いコーヒーを飲みながら、ふと見上げると一番奥の山のテッペンに小屋らしきものが見えた。今登って来たばかりの鍋割山だろうと思ったが、確信はない。いずれにしても鍋割山は、特別目立った山でも格好いい山でもない。

 林道は誰もいなかった。ちょっと寂しい位で、これが登山者で賑わう大倉尾根のすぐ隣の尾根だとは思えなかった。傾きかけた陽を浴びながら、テクテクと歩いて行った。

 久し振りの山旅でバテバテになって大倉へ着いた。パスがちょうど出るところだったので、急いで飛び乗った。