(1,723m、 埼玉県)
【登頂歴】
(2)志賀坂林道の上落合橋登山口〜(八丁尾根)〜往復・・2000.11.4
(1)白井差から往復・・1995.4
2000年11月4日(土)
自宅500〜910落合橋P〜上落合橋登山口915〜1008八丁峠1015〜1105行蔵峠〜1240東岳〜1322両神山1345〜1412東岳〜1608八丁峠〜落合橋P |
この山は、1995年(平成7年)の4月に、白井差から登ったことがあり、その時この山がイザナギとイザナミの両神様を祀っているので、「両カミさん」と云うことを知った。
白井差から登った時は、「何でこんな平凡な山が日本百名山なんだろう」と思ったが、その後、ノコギリの歯のように並び立った岩峰と、山腹が真っ赤に紅葉した写真を見て、「あれが本当に私が登った両神山だろうか」と驚きながら、紅葉の季節にもう一度登らねばならぬ、と思った。
その写真は金山志賀坂林道から撮ったもので、私も志賀坂林道の落合橋から登ろうと思った。
朝5時に家を出て、国道16号線で飯能市から299号線で秩父へ向かい、140号で甲府方面へ向かった。大滝村からは三国峠を目指して中津仙狭を登って行った。
私はこの辺が紅葉の名所であることを最近まで知らなかった。まるで紅葉のトンネルを走っているようで嬉しかった。
道端でカメラを構えている人も大勢いた。私も車を止めて何枚か写真を撮った。
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志賀坂林道の入り口には一部通行止めの表示がしてあったが、落合橋まで入れることを確認していたので迷わず進んで行った。
途中の鉱山付近から両神山の岩稜が見えた。(これは赤岩岳だった)
落合橋の駐車場へ9時10分着。思ったより時間がかかってしまった。駐車場にはすでに7、8台の車が止めてあり、やっと隙間を見つけて止めることができた。
9時15分、駐車場発。
この駐車場のすぐ上に立派な登山口の標識があった。インターネットで見覚えがあった。実は予定していたコースと違うコースを登ってしまったのだか、その時は全く気づかなかった。
ここには「落合橋登山口」と「上落合橋登山口」があり、駐車場の手前にある「落合橋登山口」から登るのが「直登コース」で往復4時間のコース。数十メートル上にある「上落合橋登山口」が八丁峠へ出て岩稜を行くコースである。
しかし、「落合橋」から直登コースを登った人のホームページに、ご丁寧に上落合橋登山口の写真が載っていたため、せっかちな私はその写真を見て、「立派な標識がある所から登るのが往復4時間のコース」と思い込んでしまい、何んの迷いもなく「上落合橋登山口」を登ってしまったのである。
最初は底をなめるような沢を右手に見ながら、紅葉した雑木林を登って行った。10分ほどで杉林になり、何度か杉林と雑木林を繰り返しながら高度を上げて行く。
途中に真っ黄色に黄葉したカラ松があり、その葉がまるで雨が降るように落ちていた。私はそこを急いで通り過ぎた。
車で来る途中に「熊出没、注意」の看板があった。一人歩きはクマが一番怖いので、周りに気遣いながら登って行った。
空は雲一つない青空である。まるでインクをこぼしたような紺碧の空は、まさに秋の空だった。
30分ほどで厚手のシャツを脱いだ。今日は風もなく、とても11月とは思えなかった。
「八丁峠〇・4キロ、上落合橋1キロ」と書いた標識を過ぎると、見通しのよい林へ出た。赤や黄色に色づいた紅葉が逆光で美しかった。登山道も紅葉した落ち葉で埋もれ、まるで錦絵のジュータンの上を歩いているようだった。
八丁峠へ10時8分着。
峠に立つと正面に雲海が広がり、上州の山々が海に浮かぶ小島のように見えた(写真右)。
ベンチがあったので一服していると、中年のオジさんがやって来た。オジさんは山小屋へ泊まって今朝山頂を越えて来たが、「山頂から2時間30分もかかってしまった」、と言った。
私は、あと1時間か1時間半で山頂だろうと思っていたので、「え、そんなに!」、と思わず大きな声を出してしまった。
オジさんは、「ここから往復すると5時間はかかりますよ」、と自信ありげに言った。
私はこの時、はじめて登山口を間違えたことに気がついた。インターネットを見て早合点してしまい、地図もろくに見ないで来てしまったのがいけなかった。今日持ってきた地図もガイドブックの一部をコピーしたものだった。せめてもの救いは、水と食料を充分持っていることだった。たとえここから5時間かかったとしても、まだ10時を回ったばかりである。ここへ3時過ぎに戻れるなら特に問題はない。
気合いを入れ直して、八丁峠10時15分に出発。 ここからは一旦下って、雑木林の中を行くとクサリ場の登りになった。垂直のように見えるクサリの先端に先客が一人ぶら下がっていた。先客が頭上にいるので彼が登り切るまで待ちながら、こんな岩場で混雑したらたまらんだろうと思った。今日は人が少ないので助かったと思った。 |
そこから下ってまた露岩とクサリ場を繰り返す。息つく暇がなかった。
(八丁峠方面を振り返る) |
(どれが山頂?) |
(こんな岩場が!) |
何度目かのクサリ場を登ると西岳があった。標識には「東岳0.8キロ、山頂1.8キロ」とあった。細長く平らになった山頂は絶好の休憩場所で、3人の先客が休んでいた。その中の1人のオジさんに、「どこが山頂ですかね……」と尋ねると、「たぶん、あれでしょう」と自信なさそうに言いながら指を差した。しかし、ここからはピークが幾つも見えるので、どれが山頂かよく分からなかった。
このオジさんは、私が登ろうとしていた「直登コース」を登って、もう下って来たと言い、途中のクサリ場で上部にいた女性が石を落とし、頭を直撃されたという。帽子をかぶっていたので助かったが、「一つ間違えば遭難するところでしたよ……」と真剣な顔で言った。
休憩していた他の2人も、直登コースを登って下りはこの尾根を下っているという。
ここからは背後に北アルプスが見えた。まず最初に目についたのが槍と穂高で、右手に鹿島槍と五竜が見えた。さっそく写真を撮った。
西岳からは垂直のような岩場を最低のコルまで下らされ、だいぶ損したような気分だった。そして再び登り返すとそこに小さな龍頭神社奥宮があった。私は両手を合わせて安全を祈願した。
再び急登とクサリ場が連続した。岩場も痩せた稜線も落ち葉で足元が滑りやすく、こんな所で雨にでも降られたらたまらんだろうと思った。そして、昔、北アルプスの不帰の嶮で雨に打たれ、滝のようになったクサリ場を上り下りした時のことが頭に浮かんできた。
左手から雲海が這い上がって来た。視界が遮られたらヤダなあ、と思って必死で登って行った。しかし、そのガスもいつの間にか消えた。
ピークの手前に巻き道があった。よく踏み固まった道だったので進んで行くと、突然絶壁になっていた。7、8mほど引き返すと、大きな岩に足跡があった。その岩場を登り切った所が東岳だった。12時40分着。
ここは展望も良く、ベンチがあったので、ここで昼食にすることにした。
(東岳から両神山頂方面) |
(八丁尾根を振り返る。手前の一番高いピークが西岳) |
ここまで来ればもう安心だろうと思った。しかし、ゆっくりと食事を楽しんでいる余裕はない。オニギリを一個頬張ってすぐに出発である。
ここからは岩場も少なくなり、樹木が多くなった。「あのピークが山頂だろう」と思って近づくと、さらにその奥に同じようなピークがあり何度も騙されながらやっと山頂へ着いた。山頂13時22分着。
山頂には5、6人の先客がおり、少し離れた所で休んでいる人も4、5人いた。日向大谷の方から来た人達だろうと思った。山頂からは正面に富士山が大きく見えた。反対側には浅間山が見え、北アルプスは見えなかった。山頂は前に来た時よりも一回り広くなったような気がした。
山頂13時45分発。
下りは登って来た道を引き返した。直登コースを下れば早いのだが、先ほど会ったオジさんから「下りはやめた方がいい」とアドバイスされたからである。
東岳14時12分着。西岳15時15分着。
西岳からはガスで視界が4 、50メートルになった。視界が遮られたため、絶壁のようなクサリ場でも恐怖感はなくなったが、日没のような薄暗さで気味悪かった。
そして、ここからは本当の日没との争いになった。5時前に駐車場へ着かなくては大変なことになる。今でも道が分かりにくいのに暗くなったら一歩も動けなくなってしまう。
休憩もせず、水も飲まずに必死で歩き、八丁峠へ16時8分に着いた。もうこれで安心である。5時前には間違いなく駐車場へ着くことができると思い、おもむろに道端に座り込んで水をガブガブ飲んだ。
しかし、ここからはクマに怯えることになった。クマは日没前後と黎明期が一番活動的になるという。とにかく山頂からここまで誰とも会わなかった。ということは、この広い山中に私一人しかいないと云うことである。歌を歌い、口笛を吹き、両手に石を持ってカチカチ音をたてながら下って行った。苔むした切り株や岩などがクマのように見え、時々立ち止まっては息をのんだ。私の顔は引きつったままだった。
やっと駐車場が見え、私の赤い車だけがポツンと1台取り残されたように見えた時は本当に助かったと思った。駐車場で思い切りポリタンの水を飲んだ。
(平成12年11月)