仙丈ケ岳(せんじょうがたけ)

@北沢峠〜小仙丈〜仙丈ケ岳〜馬ノ背ヒュッテ〜北沢峠

1994年7月2日(土)


相模原−相模湖IC−甲府昭和IC−芦安村−広河原−北沢峠・長衛荘(泊)

 北岳の山頂から初めてこの山を見た時、何と美しい山だろうと思った。すぐ隣にある甲斐駒の躍動感あふれる男性的な山容に比べ、何と女性的で優雅さと気品を持った山だろうと思った。そして、それは、きっとカールを持った山容と、しなやかな山裾のせいだろうと思った。

 その仙丈へ一度は登ってみたいと思いながら、30歳を過ぎて山登りを止めてしまい「もう登ることもあるまい」と諦めていた。しかし40歳半ばになって再び山へ登るようになり、リハビリのつもりで秩父の山などを幾つか登って「さて、次はアルプスへ行こう」と思った時、迷わず仙丈を選んだ。

 その仙丈を北沢峠から登るため、10時ごろ車で家を出た。途中で昼食を摂って、広河原から北沢峠行きの最終バスに乗った。
 このバスに乗るのは初めてだった。よくもこんな急峻な所に道をつくったものだと感心した。

 北沢峠は、甲斐駒と仙丈の鞍部にあり、そこに大きな長衛荘(写真左)が建っていた。(右の写真は北沢峠のバス停)

 私は一階の食堂でコーヒーを飲みながら本を読んでくつろいでいた。
 夕方になると騒がしくなってきた。今日は「長衛祭」とのことで、甲斐駒と仙丈へ登った地元の関係者が一斉に下って来たからだ。今夜はぎゅうぎゅう詰めかと心配したが、何とか布団一枚に寝ることが出来た。

 この小屋は朝食が弁当だった。「早立ちする人が多いから」ということで、夜のうちに朝食の弁当を渡された。


7月3日(日)

北沢峠・長衛荘〜小仙丈〜仙丈ケ岳〜藪沢〜北沢峠

 朝4時20分に起床。空には濃い雲が覆っていた。夜中に起きた時は、星がきれいに輝いていたのだが・・・。
 外でお湯を沸かし、パンとコーヒーで朝食。
 5時出発。まずは小仙丈ケ岳を目指して登って行った。

 普通は夜明けとともに天気が回復するものだが、今日は時間とともにますます怪しくなって来た。小仙丈からもカールは見えなかった。カールの底からガスが湧き出してしまったのだ。
 一番楽しみにしていた甲斐駒も見えず、だんだん濃くなるガスの中をただひたすら足元だけを見つめながら登って行った。

 山頂近くなって、それまでとは一転して岩場になり、その岩場を越えた奥に山頂があった。
 山頂にはすでに14、5人の先客がいた。山頂からは時々、大仙丈ケ岳(右の写真の手前のピーク)が見えたが、肝心な甲斐駒や北岳は見えない。

 山頂へ座り込んで大仙丈を見下ろしながら、いつの日かあの大仙丈を越えて塩見岳の方へ行ってみたいと思った。

 下りは藪(やぶ)沢を下った。岩礫の急斜面を一気に下ると、ややなだらかになった所に避難小屋があった。かなりボロ小屋で中にテントを張っている人がいた。(現在は改築され食事も出来るそうです)

 馬ノ背ヒュッテ近くまで来ると、今下ってきた仙丈岳が見えるようになった。ピークが二つあって、どちらが山頂か分からなかった。

 北沢峠でバスを待ちながら、朝食にもらった弁当を食べた。そして、仙丈はもう一度来なければならないと思った。今度は2泊して仙丈と甲斐駒の両方を登ってしまおうと思った。
        (平成6年)

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