七面山 (しちめんざん)
(1,982m、山梨) 140座
敬慎院
羽衣から七面山往復
2006年 4月22日(土)
〔車、日帰り〕
相模原450−相模湖IC−甲府南IC−R140-R52-R37-早川町−720羽衣730〜820肝心坊〜853中道坊900〜1002晴雲坊1012〜1100敬慎院1110〜1225七面山1300〜1335敬慎院〜1525羽衣 |
七面山という山は全国にあるようだが、この山は甲州・身延にある七面山で日本200名山である。
この山は日蓮宗の守護神として信仰され、七面大明神が祀られているというが、信仰に関心のない私にとっては、単なる登山対象の山でしかない。
その登山対象の山へ昨年の暮れに一度登ろうとしたが、コースタイムを見て「もっと日照時間が長い時にしよう」と見送った経緯がある。標高差約1,500mを日帰りするには、やはり日照時間が長い時の方がいい。
その日照時間も4月半ばを過ぎてかなり伸びて来た。そして心配していた残雪も羽衣の駐車場まではないと聞いて、早速出かけることにした。
朝起きると満天の星空だった。久しぶりに満天の星を見たような気がする。これで今日の天気は約束されたようなものだ。
朝4時50分に家を出た。
相模湖ICから中央高速に乗り、笹子トンネルを抜けると目の前に大パノラマが広がった。右手正面に残雪を斑模様に抱いた甲斐駒の躍動感溢れる山容がそそり立ち、その左手に仙丈、さらに真っ白く雪を被った北岳、間ノ岳が並び立って見えた。思わず歓声を上げた。
今日は赤石岳の左手に見える双耳峰が気になった。池口岳だろうか、それとも笊(ざる)ケ岳だろうか。両座とも双耳峰であり、近いうちに登りたいと思っているからだ。
早川町近くまで行った時、右手奥に七面らしい山が見えて来た。なだらかになった肩の部分から、ピョコンと盛り上がった山頂は、七面山に間違いないと思った。車を止めて写真を撮ろうと思ったが、トンネルに入ってしまい、出た時はもう見えなくなっていた。仕方がない。帰りに撮ろう。
羽衣登山口の駐車場
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登山口である羽衣の駐車場へ7時20分着。すでに満車状態だったが、やっと1台だけ止められるスペースを見つける。しかし杉の大木があるので駐車に苦労した。隣の車と杉の大木の間へやっと止めた。 |
白糸の滝
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手早く準備を済ませ、すぐ近くにある白糸の滝を写真に収める。この滝は徳川家康の側室「お万の方」が身を清めて七面山の女人禁制を解いたと云われている。 |
登山口の山門、ここから登り始める。
薄気味悪い登山道
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7時30分出発。予定より1時間早く出発できた。
山門を潜って行くと、赤っぽい幹をした杉の大木が異様に見えた。それに道の両脇に立てられたお札が不気味で、いかにも信仰の山らしい。
登山道は天然の丸太や材木で土止めをした階段になっている。よく整備されて歩きやすいが、ただモクモクと階段を登るのはつまらない。
大木の間から時々、木漏れ日が差し、しっとりと汗がにじんで来た。風は全くない。
ご夫婦や親子連れが軽装で登っている。どう見ても山ヤではなく信者のようだ。もう下ってくる人もいた。上の敬慎院へ泊まった信者だろう。
ここには1丁目、2丁目と刻まれた塔が建っている。敬慎院が50丁目だという。
途中で会った中年のご夫婦と話をすると、このご夫婦は何度も来ているようで、
「ここは初めてですか・・・。それはご苦労様です。ここを登って富士山がパーと見えると、それはそれは、心が洗われるようです!」
と目を輝かせながら言った。
私は今回、山頂へ立つことはもちろんだが、笊ケ岳を見ることも目的の一つだった。上から降りて来る人に、「山頂から笊ケ岳が見えましたか」と聞きたかったが、とてもそんな雰囲気ではなかった。
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○○坊といわれる休憩所 |
肝心坊へ8時20分着。10分程前に休憩したばかりなので素通りしたが、トコロ天を旨そうに食べている人がいた。
それにしても、ただモクモクと森林地帯の階段を登り、山頂も山容も見えないというのはつまらない。道端に咲く花もない。
23丁目の中道坊へ8時53分着。ここで一服。この参道にある△△坊というのは無料休憩所のようだ。犬が2匹いた。
27丁目を過ぎ、ふと立ち止まって左手後方を見るとドーンと富士山が見えた。思わず「おー!」と歓声を上げたが、信者のように「心が洗われる」ほど神聖なものとは思わなかった。富士山は晴れた日には会社のビルから毎日のように見ているせいかも知れない。
28丁目を過ぎると、真っ白い北岳が姿を現した。私は富士山よりこの北岳の方が感激だった。35丁目からの北岳は抜群だった。
晴雲坊へ10時02分着。ここの長イスに座ってオニギリを1ケおやつ代わりに食べた。
一服していると、息を切らして登って来た単独行が、私と向き合う位置に座り、「しんどい、しんどい」と繰り返す。私はつい、そんなにシンドイかなあ・・とつぶやいてしまった。
確かにここは高度差が約1500mもあるので、しんどくない訳はないが、こういう時は急がずにゆっくり登ればいいのである。彼(50代半ば?)は山をはじめて2年目だという。ペースが早過ぎたのだろうと思った。
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和光門(わこうもん) |
山門へ11時ジャスト着。和光門(わこうもん)という立派な門に、「下乗」と書いた表札があった。ということは、昔はここまで馬や籠に乗って来た人もいたということだろうか。 |
敬慎院の境内 |
境内へ入ると立派な建物が何軒も建っていた。よくもこんな山の上に、しかもこんな立派な神社を建てたものだと感心した。お賽銭を多めに入れて七面大明神に参拝した。 |
重要文化財になっている随身門。 この出入口から富士山が見える |
反対側の階段を登って行くと随身門(ずいしんもん)という立派な門があった。これは重要文化財になっているという。その門の出入口から富士山がバッチリと見えた。まるで出入口が掛け軸になり、そこに絵を描いたようだった。
(写真は露出ミスで富士山の白い山頂部分がよく見えない。ごめんなさい!)
その山門を出ると、富士山展望台になっており、富士山や愛鷹山、毛無山、身延山、遠くは秩父連山まで見えた。私もやっと信者のように心が洗われるような、心が清められるような思いがした。ここで晴雲坊で会った彼と一緒になった。彼は口で言うほど疲れてはいないようだった。
さて、ここからが山ヤの出番である。ほとんどの人は敬慎院から下ってしまい、山頂へ行く人は少ないようだ。
荷物運搬用の小屋からオジさんが顔を出して、「山頂へ行くなら、こっちの道を行ってくれ」と右手の細い道を指差した。左がどうも尾根道で右が巻き道のようだった。その巻き道を進んで行った。
カラマツ林の中を進み、やがてシラビソの中へ入って行く。
山頂直下から残雪が現れ、表面がカチカチに凍っていた。しばらくそのまま歩いていたが、途中でアイゼンを着けた。
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七面山の山頂 |
山頂へ12時25分着。先客が3人いた。早速、山座同定をはじめる。しかし、良く分からない。北岳と間ノ岳は分かるが、そこから南の山が手前の山に隠れてしまい部分的にしか見えないからだ。 |
山頂から見た笊(ざる)ケ岳(だと思う) |
一番手前にある双耳峰が笊ケ岳だとすると、その後方に見える山が荒川岳ということになるが、山容は上河内岳にも似ている。今日は笊ケ岳を確認することも目的の一つだったが、「たぶん、あれが笊ケ岳だろう」という、かなりいい加減な山座同定だった。
(その笊だろう、という山←拡大できます)
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ナナイタレといわれる大崩 |
先客が下った後、一人でオニギリを食べ、13時ジャストに下ることにした。
下りながら、「ナナイタレ」という大崩れが見えなかったことに気がついた。登って来る時、巻き道を教えられたためナナイタレが見えなかったのだろうと思い、途中で尾根コースへ入り込んで写真を撮った。 |
山門を13時35分に通過。この時間でも登って来る人が多い。
晴雲坊(14:00通過)を過ぎると、登山者は一層多くなった。月山や湯殿山、石鎚山などで白装束や山伏姿の信者を見て来たが、ここは白いジャージなどラフな格好をしている人が多い。
荷物は下から無料で上げてくれる(敬慎院へ宿泊する人だけかも知れないが)ので、水とおやつ程度しか背負っていないようだ。雨具は持っているのだろうかと心配してしまうが、雨に打たれるのも修行の一つなのかも知れない。
下から太鼓を叩きながら、「南無妙法蓮華経」と唱えながら登って来る信者には驚いた。その太鼓に合わせて下から登って来る人たちが合唱している。私もすれ違う時に「こんにちは」とか、「お疲れさん」とか声をかけているが、今日はその後に「南無妙法蓮華経」と唱えないといけないような気分になってきた。まさか邪念が払われた訳でもあるまいが、単細胞はどうも感化されやすくて困る。
中道坊へ14時28分着。ここで一本。
山頂からここまでワンピッチで来たので、あとワンピッチで駐車場へ着くだろうと思っていたが、途中にあった肝心坊でトコロ天の文字に目がくらみ、卑しい心の持ち主はここでトコロ天を胃袋に流し込んだ。
15時を過ぎると、さすがに登って来る人はいなくなった。駐車場へ15時25分着。
荷物を置いて、白糸の滝壷まで行ってみた。お万の方が身を清めたと言われる滝壺の近くに、お万の方様の銅像が建っていた。
帰りにやっと七面山の全景を写真に収めることが出来た。しかし、その一番大切な写真を失敗してしまい、ここに載せられないのが残念でならない。
この山は何と花が少ない山だろうと思った。これほど花のない山も珍しい。登山口からすぐの所にミツバツツシが2、3本あったが、それ以外は全く見かけなかった。もっとも花を期待して行ったわけではないが、スミレの一輪も咲いていなかったのは寂しい。この山は、花の香りではなく線香の匂いが漂う、まさに信仰の山だった。
そして、この山は、月山や湯殿山などと同じように、宗教の山としていつまでも心に残るだろうと思った。