(2,034m、 長野県)
【登頂歴】
2001.7月 三城荘〜桜清水小屋〜王ケ鼻〜王ケ頭〜茶臼山〜三城
1990.8月 ビーナスライン
2001年7月8日(日)
自宅455〜三城登山口826〜916桜清水小屋925〜1105王ケ鼻〜1130王ケ頭〜王ケ頭ホテル1207〜1315茶臼山1330〜三城 |
美ヶ原は、1990年の夏に家族で行ったことがあるが、車でビーナスラインを登ってしまったので後ろめたいものを感じていた。日本百名山を登ろうという者は、やはり一度は山麓から登らねばなるまい。そんな思いから日帰りで行って来ることにした。
家を4時55分に出発。
外はすでに明るくなっていたが、どんよりとした雲が覆っていた。雨さえ降らなければ涼しくていいだろうと思った。
中央高速を走っている時、雨がポツポツ落ちて来た。今日も雨か……、一瞬、唸ってしまった。今度こそ雨男を返上したかったのだが……。
しかし、雨はすぐに止んだ。塩尻近くまで来ると青空が広がり陽が差してきた。山へ行くにはやはり晴れた方がいい。
松本インターで降りて、扉温泉を目指して行った。
三城(さんじろ)荘まで行って、登山口が分からずウロウロしてしまった。幸い地元の人がいたので尋ねると、親切に登山口と車を止める場所まで教えてくれた。教えられた通りT字路の路肩へ車を止めた。しかし、そこには「交通指導所」と書かれたボックスがあった。まだ人はいなかったが、きっと工事関係者が交通整理をしているのだろうと思った。
そこから桜清水小屋の方へ20メートルほど登った角に登山口があった。何でこんな分かりにくい所に標識を立てるのだろうと思った。
登山口付近に車は1台もなく、登山者の姿も見えなかった。今日も一人ぼっちかもしれないと思った。
8時26分登山口発。
いきなり太いシラカバやミズナラなどの森林地帯を登って行く。所々に木漏れ日があって気持ちがいい。道は小型トラックが通った跡があるほど広い道だった。右手から沢の音が聞こえ、昨日までの猛暑にくらべ何と爽やかなことだろうか。こんな気持ちのいい森林欲は久しぶりのような気がする。
カッコウの声が聞こえて来た。15分ほど歩くとカラマツ林になり、道も登山道らしくなって来た。カッコウの声に誘われるように今度はウグイスも一緒に鳴き出した。
今日は暑くなりそうなので熱射病や脱水症にならないように、登る前に水分をいっぱい摂ってきた。
20分も歩くと、もう額から汗が流れ落ちた。しかし、今日はダクロン素材のTシャツなので身体は爽やかだった。
ちょうど30分で林道へ出た。そこに「王ケ頭2.4Km」とあった。近くにあった沢の水をゴクゴク飲んだ。
林道をしばらく行くと工事現場があり、その手前に真新しい登山道があった。すぐに旧道と合流した。
しばらく登っていくと、頭上から女性の騒がしい声が聞こえてきた。登山者の声だろうか、それとも車で登った観光客が騒いでいるのだろうか。聞こえてくるのはご婦人の声ばかりだった。どうしてご婦人はおしゃべりが好きなんだろうなどと考えていると、ひょっこりと小屋の前へ出た。小屋着9時16分。
小屋の前には男女合わせて30人ぐらいがいた。ちょうど出掛けるところだった。
ここで一服して団体さんが出掛けるのを待った。
9時25分発。
小屋の前から少し登ると道は左手へ曲がってなだらかになった。所々にハクサンフウロやシナノキンバイ、ウツボグサなどが咲いていた。カメラを出して写真を撮りながら登って行った。
左手に切り立った岩塊が見えてきた(写真左)。王ケ鼻だろうか。美ヶ原にこんな岩塊があるなんて信じられなかった。
王ケ鼻との分岐で一休み。山頂である王ケ頭(とう)まではあと10分か20分だろうが、王ケ頭へは行かず王ケ鼻をめざして左手へトラバースして行った。分岐点10時10分発。
今回はどうしても王ケ鼻と王ケ頭、茶臼山を廻りたかったので、あえて頂上直下から左へ回り込んで石切り場からの道と合流することにしたのである。
しかも、私が持っている山渓の「日本百名山登山案内」というガイドブックには、この道に「二人の小道」と書いてあった。何とロマンチックな名前だろうか。ぜひ歩いてみたくなるような名前である。
少し下りぎみにその「二人の小道」を進んで行った。しかし、「二人の小道」などというロマンチックな名前とは裏腹に、夏草が覆ってどこが道なのか分からないほどだった。立ち止まって道を探すことも何度もあった。とても「二人の小道」などと呼べるものではなく、廃道同然だった。
夏草をかき分け、ルートハンティングをしながら進んで行った。ガレ場では道が分からず苦戦した。足をとられて転ぶこともあった。
足元ばかりを見て進んで行くと、いつの間にか頭上に見えた王ケ鼻らしい岩塊を過ぎてしまい不安になった。「本当にこのまま進んでいいのだろうか」と思った時、近くで人の声が聞こえて来た。
ほっとしながら20メートルほど進むと、石切り場からの道と合流した。そこには地元の子供達5,6人と女性の先生が休んでいた。10時40分着。
やっと落ち着いて一服することができた。何ともひどい「二人の小道」だった。
ここからは歩きやすい道になり、道端にはハクサンフウロやウツボグサなどの群落があった。写真を撮りながら登って行った。
キバナノヤマオダマキ | ウツボグサ | ハクサンフウロ | テガタチドリ |
地元の子供達3,40人が休んでいた王ケ鼻の岩塊へ11時5分に到着。私も座って休みたかったが子供達に占領されてしまい座る場所もなかったので、写真を2,3枚撮ってそのまま王ケ頭へ向かって行った。
途中の草原にレンゲツツジが咲いていた。もう散ってしまっただろう、と諦めていたので嬉しかった。さらに遊歩道を進んでいくと、ニッコウキスゲの群落があった。ニッコウキスゲの花もまだ早すぎるだろうと思っていたので嬉しかった。私はレンゲツツジとニッコウキスゲの両方を見ることができて大満足だった。
山頂の王ケ頭はあの建物の裏にある。 | 誰もいない、忘れられたような山頂 |
山頂の王ケ頭へ11時30分ごろ着いた。誰もいない山頂。信じられないようだった。山頂の写真を撮って、ここで昼食にしようかと思ったが、先程の子供達が来ると騒がしいので、王ケ頭ホテルで食べることにした。
ホテルの食堂へ入るなり、早速生ビールを注文し、ゴクゴク飲んだ。最高にうまかった。こういう暑い時は水分補給が大切なのだ!
食事を済ませ12時7分、塩クレに向かった。
ここからはまさに観光地だった。広々とした草原では牛がのんびりと草を食み、その牛を見ながら観光客がゾロゾロ歩いている。黄色いワンピースを着たお姉さんの脇を、薄汚い登山姿で歩いているのが気がひけた。
塩クレとは牛に塩をくれる場所からそう呼ばれるようになったという。その塩クレから右に曲がって進んで行くと、ほどなく茶臼山への標識があった。登山道が牧場の中にあったので驚いたが、それよりも牛のうんちばかりで驚いた。
うんちを踏みつけないように足元だけを見て歩いて行った。そもそも昔からあった登山道に牧場をつくったのか、牧場の中に登山道をつくったのかは分からないが、いずれにしても理解に苦しむ。
山頂部の牧場 | 牧場の中を歩いて茶臼山へ向かう。 |
牧場を抜け出して茶臼山への登りになった。わずかな登りでも、酔っぱらいにはしんどい。茶臼山13時15分着。
山頂にいた若いカップルに写真を撮って貰った。このカップルは塩クレに引き返して行ったが、私はここから三城を目指して下った。13時30分発。
この道も草に覆われていた。今年になって人が通ったのだろうかと思いたくなるような道だった。
途中にキャンプ場へ下る道があった。その道は少し整備されているように見えたが、そこを下ってしまうと林道を歩かされるので、私はその道を見送って真っ直ぐ進んで行くと、20.30メートルでロッジがあった。休業中だったそのロッジの裏を進んで行った。
次の分岐点で右の「三城牧場」へ下った。この道も遊歩道などとは呼べない道だった。私が知っている限りこんなひどい道は初めてだった。道幅は靴幅ほどしかなく、その上夏草が覆っている。今やこんな道を歩く人はいないのだろう。いっそのことロープでも張って通行止めにした方がいいのではないかと思った。それにしても同じ美ヶ原高原にある立派な観光道路と、この落ちぶれた廃道同然の道。こうも違うものかと驚いた。
たった一人で草を分け、コケむした中を下るのは薄気味悪かった。大蛇でも出やしないかと不安だった。
やっとの思いで林道へ出た。14時10分。ホッとして一服。
林道から10メートルほど下った所に牧場へ下る道があった。そこもひどい道だった。廃道同然の道を下って行くと、「県民の森」と書かれた立派な標識が建った分岐点へ出た。「広小場0.6Km」と書いてあった。
10分程で再び林道へ出た。そこには「百曲がり登山口」と書いた立派な標識があった。そこには広い駐車場があり4,5台が止まっていた。山麓から歩いて登る人のほとんどが「百曲がり」から登っているようだった。私もここから登れば良かった、と思った。
林道を下ってバス道路へ出た。そして車へ戻ると、私の車の後ろに長野県警のパトカーが止めてあるではないか!
「ヤバイ! 駐車違反か?」と思ったが、何事もなくホッとした。私は「交通指導所」と書かれたボックスの隣へ止めたのだが、そのボックスの中にお巡りさんが2人いた。
お昼に飲んだビールは、とっくに汗になって出てしまったので特に問題はないが、逃げるようにエンジンをかけて走り去った。
帰りは扉温泉からビーナスラインで霧ケ峰へ出た。ニッコウキスゲが見事だった。路肩へ車を止めて写真を撮った。そして、車山を登った時のように、あのニッコウキスゲの群落の中で昼寝でもしてみたいと思った。
美ヶ原といえばあの高原大地の牧歌的でのどかな光景を思い浮かべるが、同じ美ヶ原にも男性的な側面があることを今回の山行で知った。
また、人で賑わう高原の遊歩道と、登る人もほとんどいなくなった廃道同然の登山道。たとえそれが時代の流れだとしても、何かやるせない思いがした。そして、美ヶ原はやっぱり山麓から歩いてこそ価値があると思った。
(平成13年)