(2,455m、長野、岐阜)
都庁地下バス停−(夜行バス)−沢渡 |
ついに日本百名山完登の時がやって来た。
「私も日本百名山を登ってみよう」と志してから早や10年。その間、深田百名山病という変な病に取り憑かれ、行きたい山もガマンして、ただひたすら百名山を登って来た。
そして、ついに100番目の山がやって来た。その100番目の山は、5、6年も前から「焼岳」と決めていた。それは、日本百名山を完登して凱旋するには、やはり上高地が一番ふさわしい。宿は帝国ホテル。そこに家族を待たせ、穂高が見えるレストランで祝杯を挙げる‥‥。
そんなロマンを抱いていたが、正月に家族に話をすると、家内と娘から「お父さん、一人で行ってらっしゃ〜い!」と言われてショボン。家族からみると例え100名山達成であろうと、所詮道楽でしかないようだ。
替わって9人の仲間が同行してくれることになった。宿も帝国ホテルならぬ小梨平のバンガロー。やはり山男には帝国ホテルは似合わぬようだ。
いよいよ今夜出発である。しかし、台風14号が気になった。台風は明朝9時に朝鮮半島の真上に来るという。昨日まで台風の進路にヤキモキしていたが、長野気象台の「晴れ後曇り」という予報に、予定通り明朝、沢渡(さわんど)集合と決めた。
私とNさん、Sさんの3人は夜行バスで、他の7人はマイカーである。
私は夜行バスに乗るため、都庁地下駐車場へ行って人の多いのに驚いた。上高地行きのバスだけで7台。大きなザックを背負った人達がウロウロしている。台風接近などモノともしない山男達の熱気に、私の不安も吹っ飛んだ。
上高地行きの「さわやか信州号」というバスは頂けなかった。夜行専用バスではなく、フツーの観光バスでトイレもない。約2時間おきにサービスエリアや駐車場へ着くと電灯を点け、マイクでトイレ休憩のアナウンスをする。とても寝るどころではなかった。
(夜行バス)−530沢渡−(タクシー)−630新中の湯登山口640〜1025南峰との分岐〜上高地との分岐(ここで遅れていた2人を待つ)〜1133焼岳〜焼岳小屋〜上高地〜キャンプ場 |
ほとんど眠れない状態で沢渡へ着いた。時間は予定通り5時30分。心配していた雨も風もなく、まずはホッとした。
ここでトイレと朝食を済ませ、道路の向かいにある待ち合わせ場所でKさん達5人と合流し、タクシーで新中の湯登山口へ向かった。
登山口へ6時30分着。ここで中の湯温泉へ泊まっていたMさんご夫妻が待っていてくれた。これで参加者10名が勢ぞろい。
ここでメンバーを紹介し、登山コースについて説明。さらに、一列になって登る必要はないので各自マイペースで登って山頂で待っているようにと伝え、6時40分に出発。
コメツガやシラビソの森林地帯であるが、森全体が明るく、先月登った南アルプスのような気味悪さはない。
歩き出してから3、40分もすると、薄日が差して来た。が、またすぐに雲に覆われてしまう。しかし明るい雲なので、雨の心配はなさそうだ。
今日は空気が湿ぽく感じる。やはり台風の影響だろうか。
斜面が急になるとメンバーの間隔が広くなり、前後の人がクマザサに隠れて見えない。
後ろの人を待ちながら、「各自マイペースで登っていい」と言ったことを後悔した。ここは危険な所も道に迷うような所もないが、やはり全員揃って歩くべきだったと思った。
右手には霞沢岳が見えた。山頂部にはガスがかかっていたが、時々ガスが切れてやや尖ったピークが見えた。あれが山頂で左のピークがK1、K2だろうか。
ちょうど1時間ほど歩いた時(7時46分)、正面に火山で出来た外輪山のような山が見えて来た。急いで写真を撮ったが、上部はガスって見えなかった。
しばらく行くと、クマザサとナナカマドが生えた見晴らしがいい高原のような所で先発隊が待っていてくれた。私もここで休憩しながら、焼岳の写真を撮った(写真左)。噴煙こそ見えないが山全体がクッキリと見えた。左手奥が南峰で、右手の奥の方に北峰があるに違いないと思った。
ここはナナカマドが多く、紅葉の季節は最高だろうと思った。
最後のメンバーがやっと到着した。彼らが荷物を置いて写真を撮っていると、雨がサーと落ちて来た。急いで雨具を取り出していると、アッと言う間に雷雨のような雨になった。急いで雨具を着込む。
その雨もすぐに小降りになった。雨具を着て歩き出すと、5分ほどで旧道との分岐があった。
荒々しい岩塊の南峰と北峰のコル(鞍部)をめざして登って行く。いつの間にか雨も止んだようだ。
さらに高度をかせいで行くと、コルの奥にボンヤリと岩塊が見えて来た。 |
|
その岩塊をめざして登って行くと、南峰と北峰の分岐へ着いた(10時25分着)。 (写真は上高地との分岐から見たコルと南峰) |
コルからは眼下に火口湖が見えた。左手が三角点のある南峰で、右手で噴煙を上げている方が北峰である。
南峰は現在は登山禁止になっているため、ここから右手の北峰へ向かって進んで行く。 | |
威勢よく噴煙を上げている下を通って急な岩場を一気に登ると、北峰と上高地との分岐へ着いた。そこに先発隊数人が待っていてくれた。 |
ここへ荷物を置いて写真を撮りながら、全員が揃うのを待った。しかし、30分以上待っても最後の2人が来ない。ガスが切れ、かなり下の方まで見下ろせるようになったが、みんな同じような雨具を着ているので見分けがつかない。”カモシカのSさん”が迎えに行ってくれた。
(写真は溶岩ドーム:ここが上高地との分岐。北峰へは右側から登る)
やっと3人が到着した。最後の人は脚が吊ってしまったという。とにかく無事に到着してくれて安堵した。
ここに荷物を置いて、山頂へ向かった。山頂までは4,5分で着いた(11時33分着)。
三角点に触りながら、「ついにヤッター!」とガッツポーズ。
そして、この時のために持ってきた「日本百名山完登」の幕と、Dさんが特別に作ってくれた似顔絵入りの旗(幟?)を広げると、周りにいた2,30人から一斉に歓声が湧き上がった。
我々が写真を撮っていると、周りの人達も一斉にシャッターを押していた。中には飛び入りで我々と一緒に写っている人もいた(右手前の人は飛び入り)。
山頂にいた人達から、お祝いの言葉や質問があった。その時の様子は次のようにものだった。
「百名山を達成した人はどの人ですか?……」
という声に、Dさんが作ってくれた旗を一人で持って、「私で〜す」とみんなに挨拶し、お礼を言った。
「すごいですねえ……、達成まで何年かかりましたか?」
という質問に、「20代に23ほど登っていたんです。でも、その後止めてしましたので……、延べ20年位ですかねぇ……」。
20代前半の女の娘から、
「私、こんなすごい場面に出会ったの初めてです。感動しています。本当に光栄です…。私まで嬉しくなっちゃいました……。本当におめでとうございます」
と言われた時は、我ながら「凄いことをしたんだなあ」、と思った。
今回わざわざ参加してくれた仲間達、そして山頂にいた人達にまで祝福してもらい、本当に嬉しかった。私は幸せ者だと思った。
食事が済んだ人から下ることにした。ベテラン4人はまだ食事中だったが、先発隊が心配だったので、私は先に下ることにした。
ここからは眼下に見える上高地(写真右)をめざして下って行く。右手にはコバルト色の大正池が見えるが、正面の穂高はガスって見えない。
スピードを上げ、仲間を追い越しながら先頭のKさんに追いついた。
中尾峠まで来た時、十字路になった道をつい右側(上高地側)へ下りたくなった(この道はすぐに行き止まりになる)。標識を良く見ると左が中尾、正面のボテ山を登る方が焼岳小屋と書いてあった。そしてこのボテ山が展望台だった。
Kさんと一緒に、仲間が道を間違えないように展望台で見張ることにした。すると、仲間より先に降りてきた4、5人のパーティーが、案の定、上高地側へ下って行くではないか。大声で「違うぞー」と怒鳴ると、やっと気づいて引き返して来た。そのパーティーは我々の所まで来ても何の挨拶もない。まったく礼儀を知らないオジさん達だ。
ここで全員が揃うのを待って出発。焼岳小屋の庭先で一服。小屋は昔風の小さな小屋だった。ここからバスターミナルまで2時間10分と書いてあったので、4時か4時半には着くだろうと思った。
小屋から少し歩くと、道ばたの石にペンキで「小屋まで121歩」と書いてあった。よく歩数まで測ったものだと感心した。この時間になっても登ってくる人がいた。軽装の若い女の娘に聞くと、小屋泊まりだと言う。最近は昔風の焼岳小屋と徳本(とくごう)峠にある小屋が人気があるそうだ。
途中にハシゴ場があった。最初のハシゴ(写真)は垂直に近かったのでかなりスリルがあった。慎重に下る。
このハシゴ場を過ぎると、みんな安堵して疲れが出てしまったのかペースダウン。水場で冷たい水を飲みながら、遅れている仲間を待った。
田代橋の登山口で遅れている仲間を待ちながら、今回のコース、つまり中の湯から登って上高地へ下るコースを選んで正解だったと思った。
まずは変化に富んだコースだったこと、上高地からの往復は登りがしんどいのでもっと遅れただろうと思った。河童橋へ着いたのは5時5分だった。
小梨平にあるキャンプ場の食堂で、全員で祝杯を挙げた。その後、バンガロー(正しくはケビン)での二次会。お開きになったのは午前1時を過ぎていた。
朝、5時30分に目が覚めた。同部屋の仲間を起こさないように、静かにカメラだけを持って河童橋へ向かった。
河童橋にはすでに4人の仲間が三脚をセットして待っていた。
朝日に輝く穂高と焼岳が見たかったが、あいにく穂高は中腹から上はガスって見えない。
しかし、焼岳は山頂に少し雲がかかっていたが、ほぼ全景を見せていた。我々はその雲が切れるのを待った。
6時近くなってやっとガスが切れ、バッチリと見えるようになった。写真を何枚も撮った。やはり昨日登った山であり、100番目の記念すべき山となった焼岳は、今までとは違った親しみを覚える。
上高地は穂高あっての上高地であり、焼岳は同じ百名山でありながら穂高の脇役か引き立て役でしかない不遇の山である。それゆえに、私はこの山を100番目の山に選んで良かったと思った。