羊蹄山(ようていざん)    73座目

(1,898m、北海道/道央)


喜茂別方面から見た羊蹄山


倶知安コースから羊蹄山往復

1999年8月1日(日)

羽田−千歳−小樽−倶知安(泊)

 北海道は、ここ4、5日大雨が降り続き、日高地方ではすでに500ミリを超えたという。
 しかし、我々は予定通り羊蹄山と日高の最高峰である幌尻岳をめざして出かけて行った。

 羽田発7時30分の飛行機は約30分遅れて千歳空港へ着いた。千歳は雲が多かったが、所々に青空が覗いていた。
 早速レンタカーを借りて、一路小樽へと向かった。

 恵庭インター付近で雨がポツポツと落ちてきたが、すぐに止んだ。

 小樽で運河(写真左)を見て、昼食を摂ってから、5号線で倶知安へ向った。
 途中で雨が降り出した。今度は本降りの雨だった。倶知安近くまで行けば羊蹄山が見えるだろうと期待していたが、山裾さえも雨に煙って見えない。

 ニセコの最高峰であるアンヌプリへ登る予定で五色温泉へ向かったが、雨はいっこうに止まず、視界も利かないので諦めた。


8月2日(月)
倶知安の宿−倶知安コース登山口538〜羊蹄山往復−倶知安の宿(泊)

 夜中に雨の音で何度も目が覚めた。3時半になってから静かに起き出して外を眺めると、雷雨のような雨が駐車場のコンクリートを叩きつけていた。
「これじゃあ登っても仕方がないなあ……」と、一人つぶやきながらしばし思案にくれた。この雨を突いて登るべきか、それとも停滞して明日にすべきか。しかし、予備日をここで使ってしまうと一番やっかいな幌尻岳の予備日がなくなってしまう……。

 4時になってSさんも起き出した。彼と相談した結果、雨も少し小降りになったようなので雨天決行と決めた。早速雨具を着込んで出発する。

(倶知安登山口へ向かう途中から見えた羊蹄山)

 キャンプ場の駐車場へ着くと、車が1台とテントが1張あった。こんな日でも登る人がいるようだ。
 駐車場を5時38分に出発する。

 ダケカンバとエゾマツが繁る林間コースを登って行く。道端に薄青いヤマアジサイが咲いていた。緩やかな登りを小一時間ほど歩き、斜面が急になると二合目へ着いた。ここには合目の後に「羊蹄山登山リレーマラソン実行委員会」と書いてあった。羊蹄山マラソンはテレビのニュースで見たことがあるが、こんな所を駆け登るなんてとんでもないと思った。

 登りが一層きつくなり私のペースはグーンと落ちた。時々立ち止まって大きく肩で息をつく。
 雨は止まないが、三合目からアンヌプリや倶知安の町並みが見えた。

 突然、雷雨のような雨が降ってきた。私のペースが遅いので、Sさんに先に行ってもらうことにした。登山道は雨水が沢のようになって流れ出した。雨の中でもウグイスとヨシキリが鳴いていた。
 広葉樹林帯からハイマツに変わると六合目へ着いた。

 八合目まで来た時、あまりにも時間がかかり過ぎているので「Sさんに済まない」と思い、気合いを入れて歩き出した。すると今までよりピッチが少し早くなったような気がした。

 九合目の手前で初めて人に会った。上から下って来た6人のパーティーは、先頭が男性であとの5人は中年のご婦人だった。どうも登山ツアーらしい。そのガイドのような男性から、「上は風が強いから気を付けて下さい」と声を掛けられた。

 このパーティーと別れ、九合目の所でSさんに会った。彼はもう山頂を登って来たのである。彼は、山頂からここまで30分かかったと言う。下り30分ということは、登りは1時間はかかるだろう。

 Sさんは、「山頂はガスと強風で視界が利かず、どこが山頂か分からなかった」と言い、「山頂の石を拾ってきた」と言って、赤い石を見せてくれた。
 私は、Sさんに遅れたことを詫びて、山頂を目指して行った。

 九合目のガレた岩場を登ると、道の両脇にお花畑が現れた。下りに写真を撮ろうと、ひたすら山頂を目指して行くと、ガスの切れ間から左正面にひときわ高い山が見えた。北山である。思わず「ヤッター」と歓声を上げながら急いでカメラを出して写真を撮った。ついでに道端に沢山咲いていたハクサンフウロ(エゾフウロかも知れない)の写真も撮った。


(一面に広がったお花畑)

(ガスの切れ間から突然北山が見えた。バンザ〜イ!)

 オレンジ色のクルマユリも咲いていたが、帰りに写真を撮るのを楽しみに登って行くと、山頂と小屋跡との分岐点へ出た。たしか小屋跡の方が近いはずだが、雨の中で地図を出すのが面倒なので、標識に「山頂」と書いてある方を登って行った。
 北山を登りきる手前で、それまで降っていた雨が上がり、ガスが完全に切れた。

 小屋跡との合流点へ出た時は抜群の展望だった。目の前にクレーターのようになって植物が生えている母釜と、その左奥に小釜があり、その奥に大きな父釜の火口壁の一部が見えた。火口壁の左手にある二つ目のピークが山頂かと思って写真を撮ったが、良く見ると正面奥のピークの方が高いようだった。そこに登山者の姿が見えた。


(小屋跡との合流点からの展望)
三角点ピークと最高点ピークをズーム

 父釜は火口がパックリと開いていた。その火口壁を時計回りに進んで行く。風があまりにも強く、吹き飛ばされそうなので、耐風姿勢をとりながら一歩ずつ進んで行った。

 左手の遠くに見える富士山のような山が目を惹いた。山頂から下ってきた中年のご夫婦に訪ねてみたが分からなかった。
 さらに、さっき山頂にいた女性ばかり5、6人のパーティーにも聞いてみたが分からなかった。下山後、宿の主人に確認した所、この山は尻別岳(1107m、喜茂別町にある)だった。

 三角点ピークかと思ったピークは、赤い石に覆われたピークだった。「Sさんはここを山頂だと思ったに違いない」と思った。そして、確かにガスられるとここを山頂と思ってしまうかも知れない、と思った。

 実際は、そこからわずかに進んだ所に「羊蹄山」と書かれた小さい標識が立ったピークがあり、さらに、そこから10分ほど行った所に大きな標識が立ったピークがある。いかにも山頂らしく堂々とした標識と三角点がある。ここが三角点ピーク。

 ここで写真を撮ってから、最高点を目指して進んで行った。ガイドブックに、「三角点の奥に最高点がある」と書いてあったからだ。確かに奥にあるピークの方が少し高いようだ。

 そして、ついに1898メートルの最高点へ立った。天気は完全に回復し、視界もいい。ここは火口の底まで垂直に切れ落ちていた。


(三角点ピークから望む最高点ピーク)

(三角点ピークからのお釜)

(最高点ピーク、ここが山頂)

 この山は富士山に似ていることから「蝦夷富士」と呼ばれているが、火口は富士山ほど大きくはないものの、噴火の凄みを感じる。
 ここは、山頂の標識が立ったピークが3ケ所もあり、本当に紛らわしいが、一番手前の標識は「羊蹄山登山リレーマラソン」のゴールらしい。登山者の皆さん!惑わされないように。

 山頂の岩陰で、急いで弁当を食べた。
 ちょうど食事が終わった時、ガスが流れ出したので急いで下ることにした。

 北山と小屋跡の合流点を過ぎ、お花畑まで来てから写真を撮った。さすがに天然記念物に指定されているだけあって、お花の群落だった。先月、早池峰で見た黄色い花が多く、その中にイワギキョウや白いチングルマ、薄紫色のフウロなどが混じっていた。

 クルマユリは、背丈が10センチから20センチしかなく、花も半分ぐらいしかなかった。これはクルマユリではなく、きっとエゾクルマユリとか何々クルマユリとかの名前があるのかも知れないと思った。

 Sさんを待たせては悪いと思いながら、これらの花々に向かって急いでシャッターを押した。今回初めて持ってきたクローズアップのレンズも使ってみた。
 九合目からはカメラをザックにしまい一気に駆け下りた。下りは息切れがしないので楽だ。

 八合目、七合目を素通りし六合目で初めて休憩した。登って来る時、沢のようになって流れていた登山道の水も、すっかり引いてしまい水溜まりもなかった。足を滑らせないように注意しながら、飛び跳ねるようにして下った。

 二合目を過ぎた時、女性ばかりのパーティーを追い越した。しかし、そこからが長かった。だらだらした道は下っても下っても駐車場へ着かない。
 駐車場までのコースタイムが3時間30分であるが、私は写真を撮りながら3時間5分で下った。登りのロスを少し挽回できた。

 我々が帰ろうとした時、女性ばかりのパーティーが到着した。そのパーティーは、「本当は幌尻岳へ行く予定だったんですが、登山禁止なのでここへ来たんです」と言った。
「なに! 幌尻岳が登山禁止だって!」、思わず大きな声を出してしまった。我々は明日、その幌尻へ行く予定なのである。

 早速、宿へ戻って振内の営林署へ電話で確認すると、「幌尻山荘へ行く林道が土砂崩れで通れません」とのことだった。数日前から沢が増水して登山禁止になっていた上に、今度は林道が土砂崩れで車が通れなくなってしまったという。
 増水は雨が止めばすぐに引くだろうが、土砂崩れの復旧は早くても週末になるだろうというので、幌尻岳は諦めるしかなかった。

 そこで急遽予定を変更して、明日は支笏湖へ出て二百名山である樽前山へ登り、その後、洞爺湖をドライブして登別温泉に泊ることにした。
 翌日、支笏湖へ向かう途中、目の前に羊蹄山の秀麗な姿が聳えていた。樽前山も快晴だった。(平成11年)

樽前山へ続く