穂積家とのお付き合い
穂積陳重氏は宇和島出身、錠二は金澤出身、共に大学南校・開成学校で学び、明治9年政府の第2回留学生として共にロンドンへ、錠二は化学、陳重氏(当時入江姓帰国後養子解消生家の穂積姓に戻る=穂積歌子日記)は後ドイツへ移り法学を修める。共に帰国後東京大学に奉職する。以後終生、家族ぐるみのお付き合いがあった。 陳重氏のご子息と錠二家の息子達は年齢も近く、高等師範附属小学校・高等学校と共通し、又女児もまた年齢が近く、高等女子師範附属幼稚園・高等女学校でご一緒であった。「晴子さんは父上とご一緒に曙町宅へもよく遊びに見えた」こと「穂積先生ご逝去の電話を受取った時、おじい様はしばらく食堂のテーブルにもたれて涙を流されていらした。おじい様が泣かれたのは初めてだったので心に残った」と孫の岩村緑は懐かしむ。残念ながら、明治生まれの伯父、伯母達は全員他界した今となっては、直接話を聞くことも出来ず、大勢存命する孫の代でも曙町邸の敷地内に暮らし、祖父と共に生活した唯一の生き証人が岩村緑である。当拙ホームページの写真や遺品資料の提供者でもある。 |
付 記 | |||||
桐陰同窓会名簿から | |||||
卒業年 | (西暦) | 回数 | 卒業生数 | 氏名 | 続き柄 |
明治27 | 1894 | 2 | 17 | 岡田 徳次 | 櫻井三子弟 |
34 | 1901 | 10 | 42 | 穂積 重遠 | 穂積陳重長男 |
35 | 1902 | 11 | 56 | 穂積律之助 | 同 次男 |
36 | 1903 | 12 | 48 | 櫻井 時雄 | 櫻井錠二次男 |
37 | 1904 | 13 | 65 | 穂積 貞三 | 穂積陳重三男 |
38 | 1905 | 14 | 51 | 櫻井 武雄 | 櫻井錠二三男 |
39 | 1906 | 15 | 60 | 穂積真六郎 | 穂積陳重四男 |
小木 貞一 | 櫻井三子甥・三宅千枝兄 | ||||
以降省略 | クラス数不明 合算 |
作楽会会員名簿から | ||||||
卒業年 | (西暦) | 回数 | 卒業生数 | 氏名 | 旧姓 | 続き柄 |
明治24 | 1891 | 1 | 1クラス 15 | 池田 貞 | 岡田 | 櫻井三子妹・池田菊苗妻 |
37 | 1904 | 15 | 2クラス 83 | 渋沢 孝子 | 穂積 | 穂積陳重 長女 |
38 | 1905 | 16 | 1クラス 37 | 石黒 光子 | 穂積 | 同 次女 |
39 | 1906 | 17 | 1クラス 43 | 鈴木 峰 | 櫻井 | 櫻井錠二 長女 |
40 | 1907 | 18 | 2クラス 66 | 鈴木 文 | 櫻井 | 同 次女 |
42 | 1909 | 20 | 1クラス 38 | 柿内 田鶴 | 小金井 | 小金井良精 息女 曙町お隣 |
44 | 1911 | 22 | 1クラス 50 | 三宅 千枝 | 小木 | 櫻井三子姉 友 長女 |
45 | 1912 | 23 | 1クラス 42 | 芳我 皆子 | 櫻井 | 櫻井錠二 四女 |
大正2 | 1913 | 24 | 1クラス 41 | 鮫島 ふき | 池田 | 池田菊苗 長女 |
星 精子 | 小金井 | 小金井良精 息女 曙町お隣 | ||||
3 | 1915 | 25 | 1クラス 40 | 市河 晴子 | 穂積 | 穂積陳重 三女 |
5 | 1917 | 27 | 2クラス 88 | 櫻井 房 | 野口 | 櫻井錠二・次男武雄の妻 |
9 | 1921 | 31 | 2クラス 86 | 服部 満子 | 櫻井 | 櫻井錠二 五女 |
以降省略 |