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鈴木正美様・同峯子様宛寄書 | 大正7年5月11日 | 宛名は信雄のくせのある左筆跡だが 9歳にしては整い過ぎ? 晩年の筆跡とほとんど変わっていない |
宛先が長崎市 三井銀行支店で着いてしまうのはすごい!! 父上様 御渡英 近藤様提供船 波斯丸船長として御渡米の途・近親が少々 庸生様は久しぶりに御上京故(ゆえ)之を機として一席の会合を催す 大正七年五月十一日 帝国ホテルにて 庸生様 お忘れになったと見え 遂に見れず 残念 かしこ 大正7年7月〜大正8年3月 第四次渡航 帝国学士院代表として国際化学学士院会議出席のためハワイ・アメリカ経由でロンドン・パリへ。 第一次世界大戦中に米国護衛船付きで英国に渡られた様子や、 その11月11日の終戦日に沸くロンドン市街の様子が興奮気味にお手紙に書かれている。 本文の筆跡は何方? 父上様で始まるので兄弟のうち出席していない季雄伯父様と明らかに異なる信雄を除き 著名から判断すると時雄伯父様であろうか |
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署名者 錠二・さん子・房記・省三・貞子・鉚子・登美子・寿美子(房記二女・岩崎) (岡田家)田鶴(丈太郎未亡人)小木貞正(三子の姉・故友の夫) 千賀(小木の後妻・旧姓中村・加賀乙彦氏祖母)・交員? ・近藤梅二郎(船長・丈太郎の娘・故阿さ子の夫) 時雄・武雄・石雄・皆子・孝一・春雄・みつ子(服部)・信雄 芳我・池田菊苗・江波知輝(医師)・中村克正?(千賀の実家) 石雄伯父様の署名がある。北里研究所でご研究中、この年の12月に 【スペイン風邪】で亡くなられた。38歳の若さでいらした。 皆伯母様は25歳・孝一先生(2歳)・初子さん(6か月) 錠二おじい様は内子の芳我御本家と御相談され遺族の将来の為に奔走されたと聞く。 |
何てモダンな絵ハガキでしょう!