(北茨城民報2002年8月4日号)

戦後五十七年目の夏

語り継ごう、ふるさとの平和を!

 戦後五十七年目の熱い夏をむかえました。
 北茨城市史によると先の大戦(太平洋戦
争)の際、大津町や磯原町で戦災にあったことが記されています。特に昭和二十年四月十二日の大津町の空襲は、「たった三発の投弾であったが、大津町の中心部を被弾しただけに、罹災世帯一〇二世帯、罹災者四九二人に達した。爆死者三三人、その後の死亡者一六人、重軽傷者を合わせると九八人が死傷した。」と書かれ、当時の目撃者の生々しい惨状が述べられています。また、大津の長浜地区には「風船爆弾」の基地が置かれていました。
 この大戦によって北茨城地方の戦没者数(表参照)は、「一〇〇〇人を超え、働き手を失った遺族は終戦後の混迷を深めたなかで、多大な困難を強いられた」と、記されています。

先の国会では、有事法制の策動や政府首脳による「非核三原則の見直し」発言など、平和への露骨な挑戦が相次ぎました。こうした時こそ、過去の悲惨な侵略戦争とは何だったのかを考え、二度と戦争のない平和の誓いを新たにしたいものです。

北茨城地方の戦没者数

(当時の町村名です)

町村名 戦没者数
南中郷村 187人
磯原町 196人
華川村 148人
関南村 69人
大津町 202人
平潟町 102人
関本村 132人
1036人

高校総体が開幕

 全国高校総合体育大会が茨城県で八月一日に開幕されました。

北茨城市では自転車のロードレースが本市と高萩市の道路を利用して八月十一日(日)に行なわれます。沿道の声援をお願いします。