(北茨城民報2002年8月18日号)
平和を守る声をさらに大きく
終戦57周年・日本共産党市議団が街頭宣伝
日本共産党市議団は八月十五日の終戦記念日に磯原町のAコープ前(写真)やサンユー前で街頭演説を行ないました。
福田明・鈴木やす子の両議員は「再び戦争は絶対に起こさせてはならない。そのためにもアメリカ軍の介入戦争に自衛隊が参戦するための有事法制は廃案しかない。国民の平和と暮らしを守るため全力をつくす」と、訴えました。
演説を聞いていた市民からは共感の拍手やジュースの差入れがあり、平和を守る願いの大きさを感じました。
磯原町Aコープ前で演説する日本共産党市議団
全国高校総体自転車(ロード)競技 北茨城市・高萩市にて開催
八月十一日の猛暑の中、高校総体の自転車・ロード部門の競技(スタート・ゴール地点は北茨城市民体育館)が北茨城市と高萩市の道路を使って行われました。午前七時半より個人タイム・トライアル・ロード・レース(二七・二q)が開始され、最初にスタートしたのは地元の高萩高校三年の鈴木淳之君。その後三十秒毎に各都道府県代表の四七人が走り出ました。優勝は北大和高(奈良)の池田丈志君。
八時には、個人ロード・レースのスタートに一三六名が参加。市内の華川の広域農道をぬけ、高萩のKDD中継所、花貫渓谷、南中郷を抜けてのコースは、標高差五〇〇メートル、一〇一・三qの長丁場。この過酷なレースを制したのは東白川農商(福島)の舟木誠君。
この日は市民体育館や沿道にも多くの市民が集まり、選手の力走に盛んな拍手や驚嘆の声があがっていました。 また、選手とともに大会を支えた地元の高校生やボランティアの皆さんにも拍を送りたいと感じた地元での開催でした。
北茨城市民体育館前をスタートする選手たち
この夏、信州を旅して
市会議員 福田明
ここ数年、夏には旅をしている。今年は信州の美ヶ原高原や上田市方面をまわってみた。美ヶ原では眼下に八ヶ岳、そして富士山、南アルプスの北岳と日本で標高の一位、二位を誇る名山を一緒に仰ぎ見る光栄に恵まれた。
上田市は真田藩の城下町で「真田太平記」の舞台となった地であり、その著者である池波正太郎の記念館がある。この記念館で真田一族の歴史や庶民的な池波さんの人柄に触れることができた。
実は私の母の父(私の祖父)は、信玄と謙信の合戦で有名な長野県川中島(現・長野市)の出身である。母は高等1年(中学1年)の時、この長野の父の実家に疎開して終戦をむかえたという。終戦後、向かえにきた父と二人で郷里の北茨城に帰るわけだが、その当時のことを母は「列車は復員者でごった返し、切符は長野から上田までしか買えず、上田の駅で新聞紙を敷いて夜を明かした」こと、また疎開地の長野に向かう時は、列車が横川〜軽井沢間の碓氷峠で米軍の機銃掃射を受けたが「碓氷峠はいくつもの長いトンネルがあり、そのトンネルに救われた」と、私が子どもの頃よく話していた。今回、初めて上田の町を旅して、幼い当時の母が父と二人で終戦の混乱期、この駅で何を考えながら夜を徹したのかと思うと、感慨迫るものがある。
また、上田市の郊外の山間には戦没者画学生の絵画を展示した「無言館」があり、文字通り絵を通して、無言で我々に平和の尊さを訴えている気がした。
私が信州を訪ねた三日後には、長野知事選が告示された。いっけん優しい口調だが、「脱ダム」宣言に見られるように筋を貫き通す、稀有な政治家である田中康夫知事の再選を期待してやまない。
(2002年8月16日記)
美ヶ原高原に向かう途中の車山高原から八ヶ岳を望む福田明市議