今から約1年前の平成13年4月23日、我々祝島漁協組合員及び家族、祝島島民の多くは、各地の仲間たちと共に、山口県庁前広場で、二井山口県知事の上関原発の是非に関する意見の発表を待っていた。
「ひょっとすると」県知事が我々の苦しみを理解し、約20年間に及ぶ上関原発計画に終止符を打ってくれるのではなかろうか、という淡い望みをもって。
しかし、その希望はあっさりとくつがえされた。知事自身は判断に苦しみぬいたと言いつつも、その結論は「上関原発計画の電源開発基本計画への組み入れを理解する」というものであった。このことは、いかに知事が計画進行に条件をつけようとも、我々地元で長年上関原発に反対してきたものにとっては「今までどおり苦しみ続けてもらう」という冷酷な通告でしかなかった。
そして、人を人とも思わない国は中国電力のデタラメな報告を元に、いともたやすく6月には上関原発を電源開発基本計画に組み入れてしまった。
原発問題が起きる前は、豊かな自然の中で、裕福ではなくても、心安らかに生活し安心して海を相手に仕事を続けてきた我々は、我々の了解もなく勝手に自然を壊し海を汚してしまおうとする原発計画に、この20年間命と生活をかけて反対し続けてきた。
この闘いは、原発計画が撤回されるまで止まることはありえない。現に、基本計画組み入れ以降、国も県も土地、海、住民合意等多くの問題になんらの手も打てず、中国電力は詳細調査の糸口すら見出せていない。上関町内の原発推進派はすでに分裂の兆しを見せ、片山町長は「裸の王様」になってしまっている。逆に上関原発反対の声は、地域をこえ各階層を巻き込んで大きく広がりを獲得しつつある。
また、この間世界的に見ても、脱原発の流れは大きく進んでおり、頑迷な原発推進国・日本は他の様々な政治腐敗も抱えて世界の孤児になりつつある。
我々は、自らの進む道を確信し、今後とも上関原発が撤回され、何の心配もなく豊かな自然を満喫する生活ができ、不安なく仕事のできる日を取り戻すまで、闘い続ける。
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