上関原発をめぐる歴史



このページでは、上関原発問題の当初からの経緯を年表形式で掲載しています

なお、1度に全て掲載することは難しいので徐々に掲載していきます
また、この年表は「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の木原省治さんが作られた年表を
転載・加筆したものです

(敬称略で、役職名等は当時のものです)
 



1982年
(昭和57年)
・計画が明るみになったのは、1981年末。
 会社はすでに現地に入り「原発視察」を中心に渉外活動を開始。

2月頃から、上関漁協・商工会の役員や婦人団体を中心に
 相次いで「視察旅行」を実施。

・3月議会で「企業誘致特別委員会」を設置。
 6月議会で加納町長は「町民の同意が得られれば、原発を誘致してもいい」と表明。
 (現在町会議員の加納簾香の夫)

・推進組織「上関町の発展を考える会」が設立。
 12月に正式発足。

・10月「上関が有力候補」と中電幹部発言。

11月祝島の反原発運動組織「愛郷一心会」が結成される。
 (現在の「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の前身)

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1983年
(昭和58年)
・中電、年頭記者会見で松谷社長が
 「上関の四代地区を最重点地区として、積極的に働きかける」と表明。

2月27日、全町的反原発組織
 「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」が結成される。
 会長を向井丈一さんとする。

4月に上関町長選挙が行われる。
 選挙結果  向井丈一・・・2121票
         片山秀行・・・2871票


・6月議会で、片山町長は
 「原子力問題を地域振興の一環として勉強していきたい」と表明。
 12月町議会では「上関町基本構想」を議会で可決。
 「原発も企業誘致の一つ」と片山町長が表明。
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1984年
(昭和59年)
・3月議会に原発推進派が、中電に現地調査を求める
 「原発立地環境調査促進請願」を提出。
 反対派は、事前調査の反対請願を提出。
 両請願とも「企業誘致特別委員会」に付託。

・6月議会で「推進請願」を強行採決。

・10月15日、片山町長は中電に「事前調査実施」を要請。

・中電は11月20日「上関立地調査事務所」設置。

・12月5日よりボーリング調査を開始。
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1985年
(昭和60年)
・3月、中電の事前調査が終了。

・5月、中電が「適地である」との調査結果を報告。
 「130万kw級2基を建設したい」との構想を発表。

6月議会に原発推進派は「原発誘致請願」を提出。
 反原発派も「反対請願」を提出。
 この請願は「特別委員会」に付託されたものの「秘密会」で審議される。


・9月議会で「誘致請願」を強行採決。
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1986年
(昭和61年)
2月に町議選が行われる。
 反対派議員は1名→7名となる。(定数16名)

・3月から中電が、建設予定地の四代地区を皮切りに「説明会」を開始。
 4月末までに17ヶ所で実施するも、祝島では実施できず。
 また町も「一日町懇談会」を開始。

4月26日、ソ連でチェルノブイリ原発事故発生。

・5月から6月にかけて、中電と町当局による「ソ連原発事故説明会」を実施。

・6月に「中電上関寮」が完成。

・8月に、町が原発誘致に伴う「地域振興ビジョン懇談会」を開始。
 祝島では未実施。
 片山町長が「災害復旧査定の案内」という名目で祝島上陸を試みるが
 祝島の人たちに実力阻止される。

11月の終わり頃から上関町の人口が急に増え始める
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1987年
(昭和62年)
1月にかけて、155人が大量転入。
 (1月20日までに転入していれば、4月に予定されている町長選挙に投票できる)


「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」が、町選管に調査を求める。

・4月22日、「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」が
 「異議の申し立て」を行う。

・4月26日、町長選挙が行われる。
 選挙結果  河本広正・・・2116票
         片山秀行・・・2835票

6月議会で片山町長は「早く誘致を申し入れたい」と表明。

6月25日、「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」は、
 「不正転入」で124人を山口地検に告発。

10月25日、片山町長が「災害視察」の名目により機動隊に守られて祝島に強行上陸。

12月10日、片山町長は再度「祝島上陸」を果たそうとしたが、失敗。
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1988年
(昭和63年)
1月20日、片山町長はまたもや「祝島上陸」を果たそうとしたが失敗。

2月2日、平生署が公職選挙法違反(虚偽登録)と公正証書原本不実記載、
 同行使の疑いで152人を山口地検に「書類送検」。

 架空転入・・・102人
 架空転入を働きかけたもの・・・50人


3月26日、不正転入で山口地検が7人を正式起訴、111人を略式起訴。

5月18日、上関町議会は反対派が提出していた
 「不正転入問題調査特別委員会の設置」議案を、討論打ち切り強行的に否決する。


9月5日、片山町長が抜き打ち的に中国電力に対して原発誘致の申し入れを行う。

10月28日、中国電力は上関町に対し郵送で「上関原発誘致を受諾」との回答をする。
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1989年
(平成1年)
1月、反対派が原発建設予定地に新たに9千平方メートルの土地を取得する。

2月25日、祝島漁協が総会を開き
 「原発反対、環境調査や説明会も一切拒否する」ことを改めて決議する。


・8月18日、中国電力が予定地の沖合いに漁業権を持つ8漁協で構成される、
 「共同漁業権管理委員会」(共109号)に対し立地環境調査の同意を正式に申し入れる。
 (8漁協とは、上関町の上関・室津・四代・祝島の4漁協と平生・田布施・光・牛島の4漁協)

・10月23日、四代漁協が総会を開き8漁協のトップを切って
 立地環境調査の同意を全員一致で行う。

・山口県の宮本商工労働部参事が環境調査について
 「8漁協全体の合意を得る法的根拠は無い」と発言した事が新聞に報道される。

・11月20日、上関漁協が総会を開き、173対8で立地環境調査の同意をする。

12月1日、中国電力に対し来年の町議選に介入しないように申し入れる。
 中国電力は回答を拒否。


・12月8日、室津漁協が総会を開き、立地環境調査への同意を決める。

12月1日現在 上関町の人口5979人(うち有権者4933人)
           祝島の人口1100人
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1990年
(平成2年)
・1月14日、2月の町議選を前に「反原発総決起集会」が開催される。

2月4日、上関町議選挙の投票が行われる。
 原発反対派議員が7人から5人に後退。
 原発問題が出て2回目の町議選になる。


・3月5日、中国通産局が上関町議会で「エネルギー問題研修会」を開く。

・4月14日、光市の光漁協で立地環境調査の説明会が開かれる。

4月26日、上関町の祝島漁協で臨時総会が開催され
 「立地環境調査」について、圧倒的多数で否決される。


・5月5日、光漁協が「立地環境調査」同意を決定する。

・5月26日、田布施漁協が「立地環境調査」同意を決定する。

5月30日、祝島漁協の組合員らが中国電力を訪れ
 「立地環境調査を拒否し、今後、調査については一切論議しない」と通告を行う。


6月3日、大阪府の富田林市立第一中学校の生徒が広島修学旅行の後、
 祝島を訪れ島民から大歓迎を受ける。

・6月28日、中国電力が立地環境調査について祝島の地権者に対して
 「立地環境調査をするための話し合いがしたい」との文章を郵送する。

・7月7日、平生漁協が「立地環境調査」同意を決定する。

・7月14日、牛島漁協が「立地環境調査」同意を決定する。
 これで8関係漁協のうち、賛成7、反対1となる。

7月28日、祝島マザーランドコンサートが開かれる。
 8月9日までの間に「グリーンピース」、「ピースサイクル」、「ネクストストップ・キエフ」などが
 祝島を訪れる。

・9月10日、山口県が光・熊毛地区水産振興構想について示す。
 祝島漁協は「底に流れている基本的な姿勢は上関原発計画にからんで資金作りであり、
 中電への依存の構えと漁協合併を念頭に置いている」と指摘。

・9月25日、上関町定例議会で「原子力発電所立地の早期実現は最重要課題」と、
 原発立地を最重要課題とした「上関町過疎地域活性化計画」が提案される。

・10月11日、周辺8漁協の組合長集会が開かれ
 山口県が計画した「光熊毛地区水産振興構想案」について審議。
 8漁協とも大筋でこの構想案に同意したが、運営資金の拡充問題で
 原発の立地環境調査同意にからんで対立、結論を持ち越す。

・11月15日、愛郷一心会の山戸貞夫会長ら6名が建設予定地の土地2万6500平方mを購入。

・11月17日、周辺8漁協で構成する共同漁業権第109号管理委員会が柳井水産会館で開かれ、
 中電が要望していた立地環境調査同意について協議した。
 7漁協の同意と祝島漁協の反対はこの日の委員会でも変わらず、結論は持ち越しに。

・12月17日に開かれた上関町議会で片山秀行町長は
 4月に行われる町長選挙に3選出馬を表明した。

・12月20日の柳井市議会で、上関原発をめぐる、推進・反対の各請願はどちらも自然廃案になる。
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1991年
(平成3年)
1月9日、中電幹部が年頭記者会見をし、上関原発建設問題について
 「関連8漁協のうち唯一反対している祝島漁協の説得に今年、全力を挙げる」と述べる。
 この日、山口支店長も会見し4月の町長選挙について
 「過去2回の町長選挙の得票差以上で当選しなければ、前進したとは言えないだろう」
 と述べる。


・2月9日、山口県の湯田水産部長らが祝島を行政視察し、上関原発計画について
 「賛成、反対両派とも軟化し、歩み寄る努力をして欲しい」と要望する。

・2月10日、「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」の事務局長小柳昭さんが
 4月に行われる上関町長選挙に原発反対で立候補すると表明する。

・2月16日、光漁協と牛島漁協が総会を開催。原発問題は論議せず。

・3月2日、町長選挙を前に原発推進派が「上関町町づくり総決起大会」を開く。
 大会実行委員長の西本正夫上関町議会議長が
 「原発以外に町が生きる道は無い」と団結を強調。

・3月9日、原発反対派の「原発のないふるさとづくり」総決起大会が上関中央公民館で開かれる。

・3月31日、反原発の思いを歩いてアピールしようと「原発いらん!柳井→上関ウォーク」が開かれる。
 山口県内の各地と広島・北九州から50人が参加。柳井市から上関町まで20kmを歩く。

4月16日告示、4月21日投票で上関町長選挙が行われる。
 選挙結果  小柳 昭 ・・・2042票(46.19%)
         片山 秀行・・・2379票(53.81%)


・5月25日、「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」の第7回総会が開かれる。
 組織の強化、宣伝活動の強化、原発の金に頼らない町おこし運動への取り組みを強める事を決める。

・6月5日、大阪府の富田林第一中学が、修学旅行で祝島を訪れる。

中国電力が、町長選挙前に立地環境調査対象地区内の地権者約50人に対して
 「管理協力料」の名目で総額約1500万円を支払っていた事が
 6月19日に開かれた町議会で明らかになる。


・7月4日、上関原発立地予定海域に漁業権を持つ8漁協の組合長と
 光市、上関町、平生町、田布施町の市長・町長、県の担当職員らで構成する
 光・熊毛地区栽培漁業センター整備推進協議会が発足する。

・9月町議会で片山秀行町長は、過去2回上陸を阻止されている祝島について
 「診療所建設など公共事業を進めるためにも島の現状を充分把握したい」と
 訪問への積極的な姿勢を示す。

・10月22日、片山町長が4年ぶりに祝島を視察。
 その後2回上陸を試みるが、島民の反対で実現せず。

・10月26日、原発推進派が「上関町まちづくり連絡協議会」を発足。

・12月町議会で片山町長は「原発誘致で町づくり」・「安全性に問題はない」と強調する。
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1992年
(平成4年)
・1月9日、光・熊毛地区栽培漁業センター整備推進協議会が開かれる。
 栽培漁業センターの基金捻出で、原発推進漁協と祝島漁協で対立。

2月14日、祝島の反原発団体「愛郷一心会」が総会を開き、
 会の名称を「上関原発を建てさせない祝島島民の会」と改める。
 1月末現在の祝島の人口は950人。


・2月22日、祝島漁協の総会が開かれる。圧倒的多数で山戸貞夫組合長が再選。

・共同漁業権109号管理委員会の新会長に山根勝法・平生町漁協組合長が選出。

3月21日、栽培漁業センターの建設を目指す光・熊毛地区栽培漁業協会の
 第3回漁業者検討会が開かれる。管理運営基金7億円の確保について、
 「各漁協での負担は無理」・「負担してくれる企業はないか」
 との意見が推進派から出される。


・広島と山口の反原発市民グループが片山町長に対して上関原発の白紙撤回を申し入れる。

・3月26日、片山町長が祝島の視察に訪れるが、島民の反対でUターン。

・4月6日から9日にかけて「原発いらん!山口ネットワーク」が
 上関町周辺の2市9町の首長にたいして上関原発に反対するよう申し入れる。

・4月18日、約400人が参加して「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」の総会が開かれる。

5月12日、「光・熊毛地区栽培漁業センター」の整備推進協議会(8漁協、1市3町、県で構成)が
 開かれ、7億円の基金問題で推進派の7漁協は不足分を中電からの協力金で
 まかないたいと表明、祝島漁協が反対する。


6月23日、祝島漁協が全員集会を開き、「光・熊毛地区栽培漁業センター」の基金問題について
 協議。反原発の立場から、中国電力の協力をあてにした基金は受け入れられない事を
 賛成多数で決める。


7月13日、「光・熊毛地区栽培漁業センター整備調査漁業者検討会」の会長である
 山根勝法・平生町漁協組合長と副会長の2人が中国電力本社を訪れ、多田社長に対し
 「環境調査が意に沿えるよう努力していきたいと考えているので、
  基金となる資金協力をしていただきたい」と要請する。


8月12日、光・熊毛地区栽培漁業センターの運営基金問題で中国電力の
 石原寿男副社長(原子力立地推進本部長)は柳井水産会館を訪れ
 「環境調査の同意を条件として」約7億円の基金協力をするとの回答を行う。


8月16日から20日まで、千年の歴史を持ち県の無形文化財となっている
 「神舞」が12年ぶりに復活。


・9月26日、平井山口県知事が13年ぶりに「原発抜き」で祝島を訪問。
 島民のあつい歓迎を受ける。

10月14日、光・熊毛地区栽培漁業センターの運営基金7億円問題で
 中電からの協力金に賛成している7漁協の組合長が祝島を訪れ、
 祝島漁協の組合員や島民の前で中電協力金に賛同するように要請する。
 しかし祝島側は改めて中電協力金を拒否。話し合いは物別れに。


・10月26日の反原子力の日に「上関原発を建てさせない祝島島民の会」は
 千トン級のフェリーをチャーターし、愛媛県の伊方原発を海上から視察する交流ツアーを行う。

・11月12日、島根県鹿島町の商工会が島根原発3号炉の誘致を決議する。

11月16日、祝島で毎週月曜に行われている反原発島内デモが10年目で470回を越える。

・11月27日、中電の多田社長は9月中間決算の記者会見で
 「今までどおり。上関原発を重点にして進めたい」と強調。

・12月10日、共同漁業権管理委員会は、10年に1回の漁業権切り替えを前にして
 今後の審議作業についての話し合いを行う。

・12月18日、上関原発予定地の土地をめぐる裁判の第一審判決が行われ、
 「祝島反対派の全面勝利」となる。

・12月28日、土地をめぐる裁判の判決で敗れた推進派が広島高裁に控訴の手続きをとる。

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