「おたねもどし」とは、神舞の由来となった伝承に基づき大分県の国東半島にある「伊美別宮社」へ神舞の無い年に祝島の代表者が詣でる行事のことです
昔、伊美別宮社から京都へ向う船が難破して宮司達が祝島の三浦湾に流れ着き、島民に歓待されたお礼として祝島に麦作を伝えたという伝承でさらにそのお礼として祝島から伊美別宮社へ麦や米を奉納されていたものです
今年は9/11の朝、祝島を船で出発しました
祝島と小祝島の間を通り、南西に向って進んでいきます
姫島(右の画像)が見えてくると、もうすぐ国東半島です
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祝島を出てから40分ほどで伊美が見えてきます
伊美別宮社の周りには大きな松が多く、海上からでもはっきりとわかります
以前台風でかなりの被害が出たそうで、昔はもっと大きな松が鬱蒼と茂っていたそうです
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祝詞が読み上げられた後、祝島から来た人たちが順に神前に座ります |
別宮社内にはいろいろなものがあります
左の画像は嘉永年間に作られたといわれる御座船の模型で、真中の画像が説明書きです
(御座船とは神舞のときに神官や踊り手、神楽師が祝島まで乗ってくる船のこと)
右の画像は正面門の前で、長い直線になっていて毎年10月15日にここで流鏑馬が行われ、各地から多くの人が来るそうです
なんでも馬の確保が難しいとのことで、現在は引退した競走馬が使われているそうです |
こちらは氏子総代の方に、ぜひにと案内された「陰陽神」(いんようしん」)
撫でると縁結びや子宝、安産の御利益があり、上が男性器、下が女性器を表していているそうです
戦時中に不謹慎だということで海に放棄され、根本が折れてしまったそうで修復の痕があります
(ちなみに放棄に関係した人たちには「たたり」があり、戦後すぐ元に戻されたそうです) |
本殿へ詣でた後は御神酒と御膳をいただき、宮司さんや地元の氏子の方々と1年ぶりの交流を持ちます
また、次の神舞のことなども話し合われ、昼過ぎには別宮社を後にして島へ帰ります
この行事も神舞同じく1000年以上続いているものだそうです
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撮影:2004/9/11 |
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