加古川線とその支線

昭和55年9月14日快晴

                              

朝起きたら、5:15分だった。5時半くらいの環状線に乗り大阪駅に行く。6:00発の快速は5番乗り場に入線してきました、117系でした。車内は釣りに行く人が多かった。芦屋に到着車内は満席になりました。そして垂水あたりから中学生がたくさん乗ってきました。結構さわいでいたから鬱陶しいでした。そうこうしてるうちに加古川に到着しました。自動販売機で120円区間の切符を買い、5番乗り場で高砂線を待った。7:30分発425D高砂行は定刻通り発車しました。

425D 426D編成←高砂キハ2078-キハ20343加古川→

一番先頭の運転席まる見えの席に座った。列車は加古川を出ると、しばらく加古川線と併走してやがて分岐すると山陽本線の下をくぐり、野口駅に到着した。隣の乗り場に小さい気動車が止まっていました。キハ101と書いてあった、別府鉄道気動車でした。
鶴林寺を過ぎて、山陽新幹線の下をくぐり、尾上〜高砂北口間は山陽電鉄と併走していました。高砂に7:44分定刻に到着、車掌が切符を回収していた。その車掌から加古川までの切符を購入しました。折り返しの426Dとなって7:49分高砂を出発、野口でまた別府鉄道に連絡していました。加古川に到着して、1分の連絡で727Dに乗った。キハユニ15 を連結していました。そしてその車両に乗車しました。

727D編成←加古川キハユニ156-キハ3512キハ20346-キハ3562厄神→

加古川を発車して約15分で厄神に到着しました。次は三木線に乗るのだが、三木線の発車まで1時間ありましたので、駅の周りをうろついた。厄神9:14分発527Dは528Dの折り返しで8:57分に厄神に入線してきた。すぐに改札を通り、ホームに行った、加古川線の9:01分発732Dが入線してその発車した後に729D9:17分はつが入線してきました。729Dの乗客がかなり三木線に乗り込んできました。車内は満席になりました。
527D 530D編成 三木←キハ3513-キハ2079厄神→
9:14分に列車は発車してあっという間に三木に到着しました。三木で改札口は相当混雑していました。 1999年にいったときの三木駅です。 
切符を買いすぐに折り返しの列車に戻った。列車は9:34分に発車した、さっきより随分車内は空いていました。厄神に到着して、ホームで次に乗る731Dを37分待つ。

731D編成 ←粟生キハ20262-キハ3565-キハユニ159→

731Dが厄神駅1番乗り場に入線してきた。車内は混雑していましたが、次の駅で客が降りたので座ることが出来た。厄神を出て14分後粟生に到着しました。

1980年9月14日粟生駅

粟生でまた1時間待ち。駅前のパン屋でカレーパン2つと缶コーヒーを買って食べた。11:46分発629Dが入線してきました。車内に入ると1BOXを車掌さんが占領してくつろいでました。629D 634D編成 ←粟生キハ20343-キハ2078北條町→
沿線は無人駅ばっかりでした、眼についた看板は北条線廃止反対の看板…。12:13分に北條町に到着しました。改札を出たらキハ20のエンジンが止まった。折り返しとはいえ次の出発まで1時間あるからでしょう。北條町で発車を待つ634D もう少し早く折り返して欲しいなと思った。ただ単に北条線に乗りに来ているだけですからね。発車15分前に改札が始まった。一番前の席に座った。634Dは定刻通り発車しました。13:38分粟生に到着しました、さてお次は4分の連絡で739Dに乗車。
739D 750D編成 ←鍛冶屋キハ3069-キハ20344野村→
739Dが発車してすぐ野村から鍛冶屋までの往復乗車券を車掌から買った。739Dはそのまま鍛冶屋までいってくれるのでありがたい。定刻に鍛冶屋に到着した。5分後に750Dになり折り返した。野村(現西脇市)に15:04分到着して、谷川行の835Dまで26分あった。駅の周りを少しうろうろした。時間が来たのでホームに入る、835Dが入線してきたが、オールキハ35ロングシートばっかり辛い…、谷川に16:05分定刻着。谷川で福知山線724レが来るまで1時間以上あることごとくの1時間待ち攻撃だ。本来なら16:59分発なのだが、この日は丹波52号の運転日で17:12分発に変更されれている。724レの車内は日曜日なのに学生が多かった。篠山口で車内は満席になる。道場でハイキングの人間がどっと乗り込んできました。宝塚につくと大半の客が降りて行った(この当時は阪急がデフォ?)車内は空席が目立った。無事大阪に到着し、家に帰ったらなぜかわからないが眼が痛かった。 

2006年4月17日UP

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