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被災地から



 被災地ボランティア・訪問の様子の一部を紹介します。

原発施設内見学 フィリピンバターン原発



 2013年 8月 福島県郡山市訪問  放射線量が高くて外で遊べない子どもたち

 室内遊びのためにつくられた広い施設の中には、砂場もありました。

2016年




  2015年12月 台湾  霧社事件の末裔 カクさんとガイドさん


 霧社事件記念館 2015年12月26日  
※霧社事件 1930年10月27日 日本統治下での台湾原住民の反抗事件




(2015年) 7・19 行田・羽生総行動

 水城公園での開会セレモニーでの情勢報告の場面。この後、何人もの人のリレートークが行われ、その後、大勢の皆さんで、デモ行進をしました。
 デモ行進の場面は写さなかったので、開会の場面です。デモ行進、賑やかでしたよ。猛暑なので、開会セレモニーのこの時には、大勢の参加の皆さんは、木陰にて〔笑)。



2015年12月 台湾にて 霧社事件を訪ねて


2015年12月
台湾 霧社事件を訪ねての旅 一日目のホテル前で

 マジシャンのりと写真撮影

2013年





2013年12月  原発稼働を許さない国
フィリピンへの旅

背後はアメリカの戦艦
撤退後も、停泊。


 ★視察の後、またアメリカ基地が・・・。とても残念です。

1992年の米軍の完全撤退から、2014年に回帰。


2013年12月 ケソン市
フィリピン 平和の鐘のある公園


サンチャゴ要塞に向かう。
背後の人は、人形ではなく、動かない人間でした(笑)

みんなで、「よくできている」などと話している場面です。私が、手に触れたら、動いて、人間であることが判明しました。






2013年 12月26日 フィリピン バターン原発 施設内

フィリピンでは、原発施設をつくりましたが一度も稼働していません。
国民の反対の力で「稼働」を止めました。

巨大な原発施設 バターン原発


12月26日バターン原発施設内

すごく膨大な施設で、内部をすべて見ました。たくさん写真を撮った一部です。

埼玉県 加須市 旧騎西高校跡地



2013年12月30日撮影(埼玉県加須市)
 双葉町からかつて避難されていた方がたの農園
避難所を出られた方がたが、どこでどんな生活を始められたのか、気になるところです。


2013年末をもって閉鎖された 双葉町避難所
加須市・旧騎西高校跡 生徒ホール ここで催し物などが行われ、人びとの憩いの場となっていました.



 
 双葉町からの人びとに対する2014年の健康相断の案内 
旧騎西高校内 窓ガラスにはられた「おしらせ」

仮設住宅で生活する人びと・・・と。



2013年8月 福島県

 郡山市 訪問 「おだがいさまセンター」
原発避難の人びとが暮らす仮設住宅に設けられた「センター」で。

室内は明るい雰囲気で、人びとは、お菓子とお茶で、和やかに語り合っていました。

左側には、熊谷市に住んでいたことのある人が写っていますが、肖像権の関係で画像編集しています。


2013年8月 

郡山市「おだがいさまセンター」で。
(肖像権の関係で)写っていない)周りの方がたから、仮設住宅の様子について、お話を伺いました。

 「センター」に姿を現さない人が、心配だということ。独りで閉じこもって心身の病になる人がいるとのこと。


 2013年11月16日(土) 長野県 長野市松代町
 
「松代大本営」象山地下壕跡 
地下壕の中を歩きました。最近は被災地でヘルメットをかぶり、ここでも、ヘルメット着用になりました。
太平洋戦争末期の敗色濃厚だった1944年、政府中枢、大本営、および天皇御座所の移転計画が長野の善光寺平一帯約20キロ四方にわたって計画された。(軍部によって極秘のうちに建設された)
 約6000人とも言われる朝鮮の人びとが、工事に従事させられた。過酷で危険な労働。地元住民は立ち退きを命じられたり、工事に動員させられた。

013年11月
長野県 阿智村 満蒙開拓平和記念館 
 今年の「平和のための行田戦争展」では、戦時中のポスターを、こちらから借りました。
「満蒙開拓平和記念館」は、今年の4月に開館しました。



2013年11月2日(土) 岩手県 陸前高田市
奇跡の一本松  枯れてしまったので、複製です。

 2013年11月2日 陸前高田市 ボランティア
 砂の山から細かい遺品などを探す作業。
 
ボランティアセンターでは、ヘルメットに長靴を身につけるように指示され、みんなヘルメットをかぶって作業。よく晴れた1日。私は帽子の上からヘルメットをかぶりました。
 瓦礫は片付いていましたが、復興は進んでいませんでした。



 2013年8月15日  福島県郡山市 放射線量

 8月15日 まちの中心部は0、33マイクロシーベルトを示していました。
 以前、学習会で一緒になった友人の案内で、郡山市を訪ねました。

 放射線量は、行田市とは比べものにならないほど高かったです。

                                   【 2012年  】







2013年8月  郡山市
 外で遊べない室内遊びの被災地の子どもたち。

 直線で走ることができる場所もあり、さまざまな遊具や施設があります。
 やってきた子どもたちは、ここで、時間を決められた中で、遊びます。
 たくさんの親子連れがみられました。
2012年9月 福島・宮城・岩手 東北3県反原発・被災地支援の旅 
 福島駅集合、3泊4日の旅に、いざ出発。
 この日は、朝から雨でした・・・。
 (反原発・被災地支援)
 映画の宣伝用に、「のぼうの城」のポロシャツを着て行きました。


 2012年9月 東北3県 反原発・被災地支援の旅 説明者の方と。

 宮城県石巻市門脇小学校付近


【2012年 】 



2012年9月 東北3県の旅
宮城県石巻市 
 門脇小学校


2012年9月 東北3県反原発・被災地支援の旅
福島県南相馬市小高地区 駅に近い自転車置き場

 引き取り手のこないものすごい自転車の数。自転車には学校名があったりしました。持ち主は、どこに?

2012 5月 福島県 白河市視察 小峰城 被災の様子 
崩れた石垣
〈 白河・桑名・行田市 3市友好都市交流 〉
 



白河市 小峰城 修復

修復には、まだまだ長い年月がかかるということです。


2012年11月 陸前高田市

まだまだ瓦礫の山が見られました。



2012年11月 陸前高田市 側溝の泥だし
ボランティア


2012年 3月 岩手県 釜石市 ボランティア
 近くの小学校の中に入ってみました。着用の「遠野まごころネット」は、現地のセンターの指示で着用。

 2012年3月  釜石市

家の基礎だけが残る現地。瓦礫を拾い、埋もれている物を探しました。この日、ハワイの大学からきている若者たちと一緒になりました。ハワイからボランティアのために日本にやってきたことに感動を覚えました。

2011年 11月 陸前高田市

初めての震災ボランティア。見渡す限り、建物もなくなって見通しのよい場所ばかりでした。瓦礫の山が至るところで見られました。



2011年 11月 陸前高田市  気仙小学校内部
とても悲惨な状況でした。


2011年11月 陸前高田市 ボランティアセンター

 この頃は、センターは、ボランティアの人びとであふれ、バスの中で順番待ちでした。